こんにちは。き~です。

 

東日本大震災から早くも12年が経ち、本日13回忌を執り行うこととなりました。

震災の後処理も、今年でようやく解決する目途が立ち、やっと落ち着けそうです。

長かった~。そしてホント苦しかった…。

 

毎年この時期はPTSDのような症状が出て、メンタルバランスが崩れていたのですが、去年あたりから落ち着いてこの日を迎えることができるようになり、今年も大丈夫そうです。

 

震災後、私が師匠と慕う方から紹介された文書を皆さんにも紹介します。

これは私の心の奥底に深く突き刺さり、心の叫びとなって、やがてこれからの未来を明るくしていこうとする力に変えてくれた言葉達です。

そして、この言葉達がコンサルテーションルームKEYの立ち上げを実現させたのです。

 

大切な人が、ある日突然いなくなったら…

 

後悔しないためにも、是非お読みください。

 

 

~~以下引用~~

 

『もし、私が知ってさえいたら』

 

もし、ぐっすり眠っているあなたを見るのがこれで最後だと知ってさえいたら、私はあなたをもっとしっかり、毛布に包んであげ、神様の祝福を祈っただろう。

 

もし、外出するあなたを見るのがこれで最後だと知ってさえいたら、私は、あなたをしっかり抱きしめ、キスをし、出かけるあなたをもう一度、呼び止め、もう一度しっかり抱きしめたことだろう。

 

もし、あなたの心からの、ほめ言葉を聴けるのがこれで最後だと知ってさえいたら、私は、それを毎日繰り返して見ることが出来るように、あなたの言葉とその態度のすべてをビデオに撮影したことだろう。

 

将来の道を考えるための明日はきっとあるし、きっと来ると考えている。

すべてをやり直すための明日はきっとくるはずだと、私たちは考えている。

 

「愛しているよ」といえる別の日がいつか必ずあるのだろう、「何か手伝いましょうか」と言える機会が、またきっとあるのだと思う。

 

しかし、万一、それが間違いだったら、あなたはどれほど愛しているのかを伝えられるのは、今日しかないのだ。

 

そのことを決して忘れないようにしたい。

 

若者にも、そうでない者にも、明日という日は約束されているわけではない。

だから、今日こそ、あなたが愛する人をしっかり抱きしめることができる最後の機会かもしれないのだ。

 

もし、あなたがなすべき明日が待っているのであれば今日実行してみたらどうだろう。

 

もしかしたら、明日は来ないかもしれないし、そうなったら、きっとその日、あなたは後悔することになるだろうから。

 

笑顔を見せること、抱きしめたり、キスしたりするためのほんのわずかな時間、相手があなたに求めている、唯一の、最後の願いだったかもしれないそれらのことを、多忙を理由に拒否してしまったとしたら、きっと後悔することになるだろう。

 

だから、今日、愛する人をしっかり抱きしめよう。

 

そして耳元でささやこう。

愛していることを、いつも大切な人だということを。

 

「ごめんなさい」「ありがとう」「大丈夫」「いてくれてありがとう」と時間をとって伝えよう。

 

そうすれば、もし明日が来ないとしても、今日、この日に、後悔することはないだろうから。

 

(作者不詳 : 関根一夫 訳)

 

 

―――

 

2011.3.11。

 

あの日突然、街ごと失った被災者たち。

 

浮かぶ言葉は「絶望」の文字だけだった。

 

誰もが、大切な人を探していた。

 

その日は、私たちにとって、一生、忘れてはいけない日となった。

 

私もネットで、市内の避難所を探した。

 

避難者名簿を一ヶ所ずつ、隅から隅まで目を通す日々…。

 

2週間後、ようやく高速道路が復活した。

 

積めるだけの荷物を車に積み込んで、東北道を激走した。

 

避難所を巡り、探したが…、どこにもいなかった…。

 

名簿を覗いてみた…。

 

見つかった人の所には斜線が引かれ、その横に「死亡」の文字がずらりと並んでいた。

 

家に行ってみたが、玄関のタイルとレールだけが残っていて、あとは何もなかった。

 

まるで爆撃をされた街が…そこにはあった。

 

 

あれから12年。

街は復活していて、かつての面影はどこにもない。

 

もう、すっかり知らない街になっている…。

帰っても、誰もいない…。どこもわからない…。

まるで、心が空っぽになる街…。

 

 

今も苦しんでいる人が、あなたのそばにいるかもしれません。

 

皆さんにお願いしたいのは、3.11を忘れないでほしいということ。

 

一瞬で全てを失った人が大勢いたことを、忘れないでほしい。

 

そして、日常を何不自由なく過ごせることがどれだけ幸せなことか、気づいてほしい。

 

蛇口を捻れば水が出る。スイッチ一つで電気が点く。栓を開けばガスが点く。

それを当たり前だと思わないでほしい。

 

日常に、こんなにもたくさんの幸せがあることを、もっと実感してほしい。

 

悩めることも、実は幸せなことなんだって、気づいてほしい…。

 

 

それが、私の願いです。

 

今回のブログを読んでいただき、少しでも何かに気付いてくれたら嬉しいです。

こんにちは。き~です。

寒い日々が続いていますが、体調はいかがですか?

風邪などひいていませんか?

 

こんな寒い時期に、心も寒くなっていては大変です。

今日は心がポカポカになれるようなお話を書いてみたいと思います。

 

去年の12月のことですが、久々に自分でもヤバイと思うほどの怒りを感じたことがありました。その原因は、あおり運転からの事故でした。

 

片側2車線の国道を走っていた私は、道路工事のため左車線から右車線に車線変更しました。すると、右車線にいた車は私に譲りたくなかったのか、クラクションを鳴らしてきたのです。工事区間を過ぎてからすぐに左車線に戻ったのですが、クラクションを鳴らしてきた車は私の後ろであおり運転をしたのち、信号待ちで私の横に付けてきて、窓を開けて何かを叫んでいました。私が無視をしていたら、信号が青になった途端に私の前へ強引に割り込み、急停車してきたのです。私はブレーキを離しただけで、アクセルをほとんど踏んでいないのにも関わらず追突しました。そのくらい強引な割り込みでした。

 

スピードは全く出ていなかったので、車はかすり傷程度でしたが、相手が「どうしてくれんだよ」と怒鳴り込んできたので、私は迷わず警察を呼びました。

しかし、私が通報している間に相手の態度が一変し、

「車も修理に出すほどじゃないし、保険も使わないから示談にしよう。もう帰るから。」

と言い出したのです。

 

いやいや、それで私が「わかりました。そうしましょう。」と言うとでも思ったのでしょうか。逃がすもんか!と思った私はすかさず相手に言いました。

「どうしてくれんだよって言ってたのはあなたですよね。警察にきちんと対応してもらいましょう。それが私の答えです。帰るのでしたら警察には逃げましたと伝えますが、それでも宜しいでしょうか。」

 

相手はまさに、ぐうの音も出ないといった様子でした。

 

このことを周囲の人達に話し、ドラレコの映像を見せたら、異口同音に「なんでそんなに冷静なんだよ」と言われました。やっぱ心理カウンセラーだから、冷静で動揺しないのかな?と。

 

確かに私は心理カウンセラーとして、常に冷静で動揺しないメンタルを作ってきました。

とはいえ、人間ですから、心理カウンセラーにだって感情はあります。

イライラするし、怒ることもあるし、泣くことだってあります。

この時も私は相手に対して猛烈な怒りを感じていました。

周りにはとてもそうは見えなかったようですが…。

きっと、うまくコントロールできたので、動揺せず冷静だと思われたのかもしれません。^^;

 

前置きが長くなりましたが、この事故のエピソードを話したことで、周りが私の冷静さに興味?を持ってくれた?ようで…。

どうやったらこんなに動揺せずにいられるのか、そのコツを知りたいとの声が所々から聞こえてきたので紹介します。よかったら参考にしてみてください。

 

 

怒りをコントロールする術を身に付ける

普段の生活の中で、ちょっとしたことでつい感情的になってしまうことってあると思いますよね。例えば、すれ違いざまにぶつかってきた人がいて“カチン”ときたり、電車やバスの中で騒いでいる人がいるのを見てイライラしたり、車の運転をしている時にマナーの悪い自転車がいるとムカッとすることってありますよね。

そんな時、その怒りに任せて感情をむき出しにしても、何一つメリットはありません

むしろトラブルの原因となる等のデメリットしかないのです。

 

ここで使えるテクニックが「アンガーマネジメント」です。

一言で言うと、怒りのメカニズムを知り、怒りに振り回されない人になるためのスキルです。

怒りを覚えると、その感情は他の感情と比べて強い力を持っています。相手に与える印象も強く、悪い印象を与え、決して良いものではありません。しかし、怒りも一つの感情で誰にだってあるものですから、無くすのは当然無理です。そうなると、その怒りの感情とうまく付き合うしかないのです。

その術を身に付けることで、「あぁ、何であの時こんなことを言ってしまったんだろう…」と、怒り(アンガー)に対して後悔しないこと(マネジメント)ができるようになるのです。

 

 

周囲を気にすることや、期待するのをやめる

イライラ(怒り)というのは、二次感情と呼ばれています。つまりそこには、一次感情の存在があります。どういうことなのか、例をあげてご説明します。

ある日のランチタイム。店内はさほど混雑していないのに、店員がなかなか来ません。注文したい。早く料理を持ってきてほしい。お皿を下げてほしい。それなのに、ボタンを押してもなかなか来ません。そのうち客は「そんなに混んでいないのに、店員は何してるんだ!」と、イライラしてきました。

この場合、客は店員に対し「呼んだらすぐに来るべきだ」「料理は待たせずに提供すべきだ」といった感情(一次感情)があり、その期待を裏切られた時に、怒り(二次感情)が生じるのです。

つまり、「店内はさほど混んでいない」と周囲をチェックしたうえで、「混んでないんだから早くできるだろう」と期待し、「空いてるくせに遅い」「この店はダメだ」という感情が芽生えるのです。

 

そうならないために、私は周囲をあまり見ないようにします。そして他人に過剰な期待をしないようにします。そして「○○すべきだ」という「べき理論」を避けています。

そして、何か別のことをして、自分の内側に意識を傾けていきます。例えば電車の中では、本を読んだり音楽を聴くことで自分に意識を集中させているため、自分の外側で何か起きていても気になりません。

この「気にしない」「期待しない」を覚え、「○○すべきだ」という概念を捨てたことで、ストレスから一気に解放されました。興味のある方は、ちょっとでも試してみてください。

 

 

ゲームだと思って楽しんでみる

交流分析の中にも「ゲーム分析」というものがありますが、それとは別で、M.マコービの「ゲームズマン理論」というのがあります。

今起きていることに対し「ゲームだ!」と思って楽しむ…というものです。

 

私の場合、例えば…

嫌味を言う上司がいる。さあ今日はどんなことを言ってくるかな?①、~~と言う。②、~~と言う。③、~~と言う。さあどれだ?と思いながら通勤してみたり…

毎日のように来店するクレーマーがいて、さあ今日はどんなことで怒鳴り込んでくるかな?と思いながら仕事をしてみたり…

いつもなぜか怒っているお客さんがいて、今日は何回「ばかやろう!」って言ってくるかな?と思いながら仕事をしてみるのです。

(ちなみにこれらは全て私の経験談です。しかも現在進行形!!)

 

あれ?今日はいつもの気合の入った「ばかやろう!」がなかったな…。

あれ?今日は「何でレジ袋3円取るんだ!」って文句を言ってこなかったぞ?

お!今日は「俺は客なんだぞ!お願いしますだろ!」って怒鳴り込んできたぞ!

キタキタキタキターーー!!(←古い!?)

 

等々、本来は「うざい」と思うようなことも、私は思いっきり楽しんでいます。(笑)

 

 

このように、ストレスを感じなくさせることで、自分の中で肝が据わり、何を言われても動じない強いメンタルを身に付けました。

皆さんには一つの参考として興味を持っていただけたら嬉しいですし、少しでもマネをしていただいて楽になってもらえたらもっと嬉しいです。

 

 

もっと詳しく話を聞きたいという方は、是非私たちに会いに来てください。

 

4月16日(日)埼玉県川越市にあるウェスタ川越で、個別相談会を行います。

一人10分間、無料で、気になるカウンセラーと個別面談ができます!!

その他、自己診断テストも受け付けていますので、ちょっと話をしてみたい、どんな人か会ってみたい等、どなたでも参加できます。

詳細は近日中に公開いたしますので、是非とも今後の情報をご確認くださいね。

皆さんこんにちは。き~です。

今年も宜しくお願いいたします。

 

お正月、どのようにお過ごしでしたか?

家族と集まった方や、仕事だったという方もいたことでしょう。

私はお年玉地獄で、一気に金欠となった一年の始まりです。^^;

 

 

さて、今年一本目のブログは、存在価値についてです。

 

今月から放送されている「Get Ready」というドラマをご存じでしょうか。

仮面ドクターズと呼ばれる医療チームが、多額の報酬と引き換えに命を救うという内容で、手術を受けることの条件が「あなたに生きる価値はあるのか」なのだそうです。

 

母がこのドラマの番宣を観て「生きる価値があるのかないのか、どうやって判断されるの?」なんて言っていました。^^;

 

そっかぁ~自分の生きる価値ね…と、私もちょっと考えてしまいました。

この時に、こんなお話を思い出したので紹介します。

 

 

――以下引用――

 

ある病院に、世をすねたおばあちゃんの患者がいました。

 

家族から疎まれていたせいか、頑固一徹で、看護師さんが話しかけても、なかなか心を開きませんでした。

「どうせすぐにあの世に行ってしまうのだから」

などと口にしていました。

 

その病院の近所に鉄工所があったのですが、一人の看護師さんが、おばあちゃんに次のような提案をしました。

「毎朝、病院の窓から、通勤の工員さんたちに手を振ってみてはどうですか」

 

どういう風の吹き回しか、おばあちゃんは翌朝、ベッドの上に身を起こし、言われるとおりにしてみました。

すると、何人かの工員さんが手を振って返してきました。

それが嬉しかったのか、おばあちゃんは、毎朝、出勤する工員さんたちに手を振るのが日課になりました。

 

工員さんたちの中にも、病院の前を通るとき、決まって窓を見上げる人が多くなりました。

おばあちゃんと工員さんの心が通い合いました。

 

おばあちゃんの表情には笑顔が戻ってくるようになり、看護師さんたちとも打ち解けるようになりました。

 

病気はだんだん重くなりましたが、おばあちゃんは毎朝、身を起こし手を振りました。

まるでそれが生きている証でもあるかのように。

 

しかし、とうとうおばあちゃんは亡くなってしまいました。

訃報を聞いた工員さんたちは、病院の近くに集まり、おばあちゃんが毎日手を振ってくれた窓に向かって、黙祷をささげたそうです。

 

林 覚乗 著『自分が好きですか』西日本新聞社より

 

―――

 

もしかしたら、このおばあちゃんは老い先短い自分の存在なんて、何の価値もないと感じていたのかもしれませんね。

 

ところが、工員さんたちがおばあちゃんの存在に気付き、おばあちゃんに「手を振る」という非言語的コミュニケーションをしてくれたことで、おばあちゃんは自分の存在価値に気付けたのかもしれません。

 

 

私が心理カウンセラーになりたての頃、こんな言葉を聞いたことがあります。

 

「知識の理論より、生きる理論」

 

人の生き様というのは、その人が亡くなる時に見えてくる。周りの人とどう接してきたのか、周りからどう評価されてきたのかが見えてくる…というものです。

 

父が亡くなった時、私はそれを目の当たりにしました。

 

父はちょうど3年前に、74歳で亡くなりました。

父のお通夜には、某企業の社長や取締役、某団体の会長クラスの方々が弔問に訪れ、父の死を悼んでくれましたが、父と親しくしていた方からの弔問は全くありませんでした。

近所の飲み友や、ゴルフ仲間、前職から付き合いのある方など、誰も来なかったのです。

 

この時に思ったのです。

そうか…、きっと父は「仕事としての付き合い」しかしてこなかったのだろう…と。

 

定年で退職してしまえば、それまでの名誉や立場は失われ、ただの人間になる。

父は、会社員としての人付き合いしかしてこなかったから、退職してただの人間になった時、周りには誰もいなくなった…ということなのではないのか。

退職後も、この人との付き合いを続けたい!と思えば、友人と呼び合う関係になれたのだろうけど、父のことをそう思ってくれた人はいなかったってことかな…と思いました。

 

父は仕事関連の手伝いで外出し、バス停へ向かう途中に倒れました。

父にとっての存在価値は、親というよりも一人の仕事人として最期まで務めを果たすことだったのかもしれません。

 

 

あなたは、自分にとって、そして周りの人にとって、どのような存在でいたいですか。

自分自身が最期を迎える時「悔いのない楽しい人生だった」と思えますか。

納得して人生を終わらせられますか。

自分が亡くなった時、どんな方があなたに花を手向けてくれますか。どんな方があなたを悼み、手を合わせ、泣いてくれますか。

 

価値のない人間なんていません。が、その価値に気付けるかどうかは、あなたの生き方次第なのかもしれませんね。

 

 

最後まで読んでくださり有難う御座います。

宜しければ是非、過去のブログもお読みください。

 

色即是空の世界観 | コンサルテーションルームKEYのブログ (ameblo.jp)

 

愛って何だろう | コンサルテーションルームKEYのブログ (ameblo.jp)

 

多様性のある世界 | コンサルテーションルームKEYのブログ (ameblo.jp)