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*見えない世界があります。

いのち。こころ。生前の世界。死後の世界。。。

私たちの6根では知ることが出来ません。

6根とは、目耳鼻舌身体意識です。

 

*闇の中に影あり人此れをみず虚空に鳥の飛ぶ跡あり人此れをみず、大海魚の道あり人此れをみず月の中に四天下の人物一もかけず人此れをみず、然りといへども天眼は此れをみる(日女御前ご返事1250頁)。

 

*この世の全ては、人の命を生かし守り愛して喜びを与える存在である。という仮説を信ずることが自身に喜びとか安心を齎すならばこの仮説は正しいと言えるのではないか。何かの仮説を誰もが信じなければ生きてゆけないのだ。

 

*人は仮説を信じてしか生きられない。問題は、どの仮説が最高の仮説か?ということ。

 

*法華経は、宿業とか願兼於業とか三千塵点劫とかたくさんの仮説を説いて、生きる喜び生きる力を私たちに与えてくれる。

 

*墓を持つのも墓参りをするのも死後の世界を仮説して信じていて、それによって人は安らぎ死者と会話できるとか真面目に生きようとか、自身の身を正したりしている。

 

*真実かどうか、ということよりも、自身の喜びをもたらす仮説を価値としているのではないだろうか。

 

*だからカントの「真善美」という価値論よりも、「喜美善」こそ人にとっての価値であり、人の命にとっての価値ではないか。と言いたい。

 

*妙法という法は、仏が説いた「命の仮説」である。それを信じて南無妙法蓮華経と唱えると、慈悲・智慧・歓喜・生命力が湧いて崩れることのない絶対的な幸福境涯を得られると実感できるならこの仮説は正しい。

 

*やってみなはれ。やらんと分からん。知恵では分からん。信じることが最高の智慧。

 

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   アイマース久美高