*「相手を敬い抜く信念が差異を超え人間を結ぶ」
5月2日の聖教新聞の一面にこの見出しを見て衝撃を受けました。
なかんずく、「敬い抜く」という言葉、「抜く」という言葉が鮮烈に響きました。
「抜く」と云うのは、「徹する」「貫く」ことですね。
*これは、世界で多くの紛争解決、和平交渉に尽力してきた、オーストラリア・シドニー大学のスチュアート・リース名誉教授の言葉です。
*リース先生は語ります。多くの紛争現場を見て来た私の経験から言えば、緊張が極限まで高まった場面での対話は、何を議論するかよりも目の前の相手の尊厳を認める。相手に敬意を持つことが根本的に大切です。また、自分の無知を自覚し、他者の声に耳を傾けようとする謙虚さなくして、成長も平和もありません。
*御書に、人を敬うことの大切さが記されています。例えば
①不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候いけるぞ
②宗公旦と申せし人は沐する時は三度握り食する時は三度はき給いき
来客があれば入浴中なら濡れた髪の毛を握って会い、食事中なら口の中の食べ物を吐いて会う。それが三度であっても。
*新人間革命の5巻で、山本伸一が語っています。
日蓮大聖人も、門下が病気であると聞かれれば、すぐに手紙を出して励まされている。大聖人の御振舞いは、常に、極めて迅速であられた。ましてや現代は、スピードの時代である。だから、私も同志から報告を聞いたら、すぐに反応し、激励するように努力している。
たとえば、本部に会員の皆さんが報告に来られる。私は、伝言を託すなど、すぐになんらかの行動をおこしてきた。これがリーダーの鉄則です。
*これらは、人を敬えばこその行動であり、そこに人と人との信頼関係ができて人間と人間が結ばれる。
*逆に信頼関係が築けない、或いは破られるのは、どんな時だろう?
御書に曰く。大果報の人をば他の敵やぶりがたし親しみより破るべし。
例えば家族であったり、近所の人であったり、同級生であったり、身近にいる親しさから礼儀を欠いていることはないだろうか? ラインが送られてきても、無視したり、読んでも返事しないで放置していないだろうか?
*全てを、人間関係を深め信頼関係を築くチャンスと捉えることが、「相手を敬い抜き、差異を超えて人間を結ぶ」ことになるのではないだろうか。
自分には、「抜く」ということが出来ていなかった。取返しのつかない失敗であり後悔である。
アイマース久美高

