和村幸得村長(故人)の英断。防災は先の見えない高度な先行投資
4月4日付の読売新聞は、「15メートル堤防・水門 村救う」。
という記事を載せた。
津波で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸の中で、岩手県北部にある
普代村(フダイムラ)で、住民に死者はいない。
高さ15メートルを超える防潮堤と水門が守った。
計画時に「高すぎる」と批判を浴びながら当時の村長が
「15メートル以上」と譲らなかったために、全戸無事
という極めて例外的な結果を得られた。
防潮堤は1967年に県が5800万円をかけ、
水門も84年にやはり35億円を投じて完成した。
村は1896年の明治三陸津波と1933年の
昭和三陸津波で計439人の犠牲者を出した。
当時の和村幸得村長(故人)が「15メートル以上」
を主張した。
「明治に15メートルの波が来た」という言い伝えが、
村長の頭から離れなかったのだという。

先の見えない津波の恐怖に膨大な投資をすることは、
本当の英断だった。和村幸得村長は天国でほっと
していることだろう。
悲しい話
TBS「時事放談」では、両親と妹をなくして、
独りぼっちになった5歳の女の子の「手紙」が紹介された。
家族の死がまだよく理解できない、いたいけな幼児は
「“天国”のままへ」手紙を書いた。
「ままへ、生きてるといいね。おげんきですか」
こんな悲しくつらい話を2度と見聞きしたくない。
防災への高度な投資こそ、日本人の知恵なのです。

津波を予防できたら,福島原発の事故もこんな悲しい話も無かったはず。
写真の堤防右奥が被災を受けなかった村

という記事を載せた。
津波で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸の中で、岩手県北部にある
普代村(フダイムラ)で、住民に死者はいない。
高さ15メートルを超える防潮堤と水門が守った。
計画時に「高すぎる」と批判を浴びながら当時の村長が
「15メートル以上」と譲らなかったために、全戸無事
という極めて例外的な結果を得られた。
防潮堤は1967年に県が5800万円をかけ、
水門も84年にやはり35億円を投じて完成した。
村は1896年の明治三陸津波と1933年の
昭和三陸津波で計439人の犠牲者を出した。
当時の和村幸得村長(故人)が「15メートル以上」
を主張した。
「明治に15メートルの波が来た」という言い伝えが、
村長の頭から離れなかったのだという。

先の見えない津波の恐怖に膨大な投資をすることは、
本当の英断だった。和村幸得村長は天国でほっと
していることだろう。
悲しい話
TBS「時事放談」では、両親と妹をなくして、
独りぼっちになった5歳の女の子の「手紙」が紹介された。
家族の死がまだよく理解できない、いたいけな幼児は
「“天国”のままへ」手紙を書いた。
「ままへ、生きてるといいね。おげんきですか」
こんな悲しくつらい話を2度と見聞きしたくない。
防災への高度な投資こそ、日本人の知恵なのです。

津波を予防できたら,福島原発の事故もこんな悲しい話も無かったはず。
写真の堤防右奥が被災を受けなかった村





