6月4日(月)は、「お食事処なんたい」さんで食事をしたあとは、今度は二荒山神社中宮祠をお詣りしました。
場所は中禅寺湖畔の国道120号線(沼田街道)沿いにあります。
二荒山神社は、二社一寺のある山内(さんない)地区に本社があり、男体山の頂上に奥宮(おくのみや)があります。その中間点にあるお社という意味で「中宮祠(ちゅうぐうし)」と呼ばれています。この名前は、付近の地名にもなっています。

これは国道120号線、立木観音入口交差点のところに立つ一の鳥居です。朱塗りの立派な鳥居です。今や中宮祠地区の〝顔〟になっています。
写真を撮影している方向が県道で、立木観音や半月山展望台へと続いています。そして写真を撮っているところは橋になっていて、すぐ川下には、中禅寺ダムがあります。ダムというよりは規模的にも役割的にも水門に近く、ここで中禅寺湖の水量を調節して放流しています。すぐ直下には、有名な華厳滝(けごんのたき)があります。ここから発する川は利根川水系の大谷川(だいやがわ)です。

国道120号線を西進するとすぐに目の前に二荒山神社中宮祠が見えます。交差点の向こうにかなり目立ってこの鳥居があります。車ならここから上がったところに駐車場があります。この鳥居は東鳥居というそうです。

上の駐車場で車を停めてから一度境内に入って、それからこちらの石段を下りましたので逆行したことになっていますが、国道120号線で上の鳥居の場所より更に少し西に寄った場所にも神社への入口があって、こちらには山門(八脚門)も設けられています。

そしてこちらが、その国道沿いにある鳥居です。こちらは浜鳥居というそうです。

その傍らにはの水神の碑があります。この横にも数台停められる駐車場があります。
傍らに見える案内板には・・・
大正十年九月二十八日建立
中宮祠渡船組合のメンバーが、 中宮祠湖の水神様に感謝の誠をささげ、湖上の安全を祈願して建立された。
例祭 水神際 九月五日 午前十時
祭神 水波能売神(みずはのめのかみ) (天照大神のお姉さま)
神徳 湖上安全 ・ 開運 ・ 晴雨祈願
傍らに見える案内板には・・・
大正十年九月二十八日建立
中宮祠渡船組合のメンバーが、 中宮祠湖の水神様に感謝の誠をささげ、湖上の安全を祈願して建立された。
例祭 水神際 九月五日 午前十時
祭神 水波能売神(みずはのめのかみ) (天照大神のお姉さま)
神徳 湖上安全 ・ 開運 ・ 晴雨祈願
八脚門を上がると広い境内になっています。右側が最初に着いた駐車場方向という位置関係です。正面の石段上に見えるのが唐門です。

石段を上がって右手に朱塗りの手水舎があります。

手水鉢の縁には、かわいい巫女さんの絵で手水の使い方の説明がされています。こんな丁寧に説明されている神社やお寺は初めて見ました。


その中宮祠稲荷の鳥居の脇には、神宮遙拝所があります。遙拝所というのは、昔は伊勢神宮参詣は庶民の憧れでした。しかし、今のように交通機関も発達していない時代のお伊勢詣りは大変なことだったため、誰でも行けたというわけではありませんでした、そこで日本各地に遥かはなれた伊勢神宮を拝するために作られたものが遥拝所と呼ばれています。


もちろんこちらでもきちんとお詣りしましたよ


さて、また戻って今度は拝殿へ。

こちらが拝殿です。こちらでもしっかり家族やお友達、最後に自分の健康をお祈りしました。

二荒山神社のご祭神が書かれています。

きちんと参拝の仕方も書かれていて親切ですね。


さざれ石です。ん?どこかで聞いたことあるぞと思った方。そう「君が代」の歌詞にありますね。さざれ石とは漢字で書くと「細石」で、読んで字のごとく細かい小さな石のことをいいますが、石灰岩が雨水で溶解され、そのとき生じた粘着力の強い乳状液が少しずつ小石を凝結して一つの大きな岩になったものもそう呼びます。現地の看板にも同じようなことが書かれていますが、詳しくはウィキペディアの項目をご覧ください。ここでは君が代の歌詞に謳われる理由もわかって興味深いです。
旧字体で書かれていますが、新字体で書けば「扇の的弓道発祥の地」と書かれています。
中禅寺湖は毎年8月4日に開かれる「扇の的弓道大会」が有名ですが、そのいわれは・・・
1185年の源平合戦屋島の戦いで小舟に立てられた扇を射落とすように命じられた那須与一は、二荒山神社大神に「この矢はずさせたもうなと念じ、馬上から扇を打ち抜いたとされています。その那須与一を顕彰するために1962年から県弓道連盟が大会を開催、大会規模は全国屈指と言われております(この説明文は、日光市内のゆば料理の老舗「ゆば亭ますだや」さんのホームページ内、日光縁だよりから引用させていただきました)。
ということです。この碑はそれを記念して建てられたものです。
ところで碑に何か人の姿が写ってるぞ。誰かは秘密です





ここが男体山への登山口です。男体山の頂上には奥宮があります。


まずは鳥居があります。

鳥居も重要文化財に指定されているようです。

同じように山頂にある本殿も重要文化財に指定されています。看板の右奥に「霊峰二荒山」と彫られた碑が建っていますが、男体山の旧称が二荒山ということです。日光連山全体が二荒山神社の神域とされ、その広さは3400ヘクタールにも及びます。男体山だけでなく、それぞれの山の山頂にも祠が祀られています。

山頂まで行けなくてもお詣りが出来るように 登拝門の前にもお賽銭箱が設けられています。遙拝所までは往復10分だそうですが、神様ここでご勘弁をm(__)m

山頂までは3時間の道のりだそうです。僕はまだ登ったことがないので、いつの日か登ってみたいと思います。石段の左脇に見えるのは健康の守護神である山王社です。


登拝門の脇からは、幸運の杜と呼ばれる林に行くことが出来ます。ここでは「カワラケ割り」が出来ます。カワラケに「厄」という字を書いて思いっきり打ち割ると厄落としになるそうです。または、嫌なことを書いて打ち割ってストレス解消!気分爽快!になるのも良いそうです。現代人は後者のほうが多かったりして。僕もやってみようとしたら、お賽銭をあちこちで上げたので小銭がなくなっちゃって、「お金ないから気持ちだけ~、神様よろしく」って言ってタダで厄を落とそうとした不届きものです






幸運の杜の中には様々な形をした石がこうして飾られています。

そして幸運神社と称する小さな祠も鎮座しています。

杜の中にはこんな札も掛けられていました。人生において常に失敗はつきものです。七転び八起きという言葉もありますが、へこたれずに起き上がることが大切なんですね。

こちらは上のさざれ石の近くから幸運の杜に行けるように木の幹で作られた階段です。

ここで男体山の登山受付をしているようです。


登山番付札という御札を奉納出来るようですね。

登山用の杖も用意されていました。

登山用の金剛杖について書かれています。

こちらは御札や御守りの授与所です。


拝殿の前、左側には神楽殿もあります。

これは拝殿の西側にある山霊宮(やまのみや)の鳥居脇に伸びる楓の枝です。新緑でも清々しいですが、紅葉の時季には絵になるでしょうね。

鳥居越しに見た山霊宮。

山霊宮の裏にあるイチイの木(二荒山神社のホームページより引用)。


山霊宮。
霊峰男体山を中心に日光連山八峰に、篤い信仰を捧げた功休徳者(功績の優れ徳行のあった人々の御霊を御祀りしたお宮であります。
建物は、白木造りです(上の案内板に書かれていること。この文章自体は実際は二荒山神社ホームページのお問い合わせ欄の質問に対する神社側の回答として書かれたものを引用しています)。
建物は、白木造りです(上の案内板に書かれていること。この文章自体は実際は二荒山神社ホームページのお問い合わせ欄の質問に対する神社側の回答として書かれたものを引用しています)。



山霊宮の脇には七福神の石像もあります。

ここからは帰りがけに写した写真になります。これは八脚門から浜鳥居と中禅寺湖の様子を捉えたところです。手前には御神木も見えます。

こちらは唐門までの石段脇に立てられている二荒山神社の詳細が書かれた案内板です。
日光二荒山神社中宮祠と、〝日光〟と頭についていますが、正式名称は二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)ですが、宇都宮市の大通りにある二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ、またはふたらやまじんじゃ)と区別するために便宜的に鎮座する地名を冠しています。下野の国(栃木県の旧国名)の神様、二荒神を祀って建立されたことでは共通しているようですが、直接のつながりはないようです。主祭神もそれぞれ違い、日光二荒山神社は大己貴命(おおなむちのみこと)、宇都宮二荒山は豊白入彦命 (とよきいりひこのみこと)です。
ちなみに「二荒」という字は音読みで「にこう」と読むことから日光という地名の由来とされています。
日光二荒山神社中宮祠と、〝日光〟と頭についていますが、正式名称は二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)ですが、宇都宮市の大通りにある二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ、またはふたらやまじんじゃ)と区別するために便宜的に鎮座する地名を冠しています。下野の国(栃木県の旧国名)の神様、二荒神を祀って建立されたことでは共通しているようですが、直接のつながりはないようです。主祭神もそれぞれ違い、日光二荒山神社は大己貴命(おおなむちのみこと)、宇都宮二荒山は豊白入彦命 (とよきいりひこのみこと)です。
ちなみに「二荒」という字は音読みで「にこう」と読むことから日光という地名の由来とされています。
二荒山神社中宮祠
日光市中宮祠2484
日光市中宮祠2484
0288-55-0017