クマの散歩道 Vol. 8 クマの足尾訪問記。 | クマの散歩道~大好きなふるさと日光市を紹介するブログです~

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大好きなふるさと日光市。その日光市のグルメやスポットなどを独自の視点で、のんびり気の向くままに綴るブログです。

※お断り この記事はFacebookに2016年9月19日にアップしたものをリ・アップしたものです。そのため記事の内容は当時の物であることをご了承ください。
 

9 月15日の足尾行の続きです。

 

さんしょう家さんを出てからは、大好きな足尾の街をプチドライブしました。実は足尾には、個人的にも既に3回は行っていて、足尾銅山に関連する施設や遺構のほとんどを回っています。

 

今回はその中から、僕が特に好きな場所を抜粋して回りました。かなり足尾らしいところばかりです。

まずは足尾銅山観光の入口。さんしょう家さんからは目と鼻の先にあります。というよりは、足尾銅山観光があって、その近くの食事場所の一つとしてさんしょう家さんがあるといったほうが良いかもしれませんね。


ここはかつての坑口の一つ通洞抗だった所です。閉山後足尾銅山観光が設立され、当時の坑内での作業の様子を人形などで再現しています。途中までは当時作業員が坑内に入る時に乗ったトロッコを再現したものに乗っていくので、とてもリアリティーがあります。足尾を訪れた時はぜひ見学してみてください。僕は前に来た時に入りましたが、今回は中までは入りませんでしたので中の様子は割愛します。

次に旧道を日光方面に向かって、途中で足尾駅に寄りました。昭和らしいノスタルジックな駅舎が今でも残っています。

構内にはかつて足尾線を走っていた、キハ35とキハ30という気動車や、銅の製錬過程で副産物として製造される濃硫酸を運んだ、タキ29300形タンク車が静態保存されています。

 

足尾駅からは、旧道を更に北上して、田元という交差点に至り、足尾本山製錬所の方面に向かいました。足尾の街中から来ると、田元交差点で左折すれば本山製錬所方面に、直進すれば国道122号線で日足トンネルを経て日光へ、右折すると山の中腹に作られた国道122号線のバイパスで足尾の中心地を迂回して南下し、みどり市や桐生市に至ります。朝はこの道を通ってみどり市まで行きました。

 

田元交差点を左折するとすぐにわたらせ渓谷鐵道のガードを潜り、道なりに右折して北上すると、間藤駅、下間藤、上間藤といった集落を通って、赤倉の渡良瀬川の対岸にある本山製錬所に至ります。

 

この一帯は、足尾銅山が全盛期だった頃は、足尾銅山観光やさんしょう家さんがあった通洞地区と共に、とても繁栄した場所です。僕が足尾の中で一番好きな景色が見られる場所です。

まずは間藤駅。ここはかつての足尾線時代から、旅客扱いでは終着駅に当たります。現在の間藤駅は、モダンな建物に建て替えられています。

観光用に立てられた間藤駅の案内板。足尾では各地でこのような観光用の案内板が整備されています。

かつてここから先へも本山製錬所まで貨物線が伸びていました。これがその本山方向への廃線跡を望んだところです。

一昨日は出発を待つ列車も撮影することが出来ました。不思議なもので、鉄道業界では一両編成の車両でもなぜか列車と言います。

間藤駅の先では、かつての貨物線が道路と交差する踏切の跡も見ることが出来ます。道路が交差する部分はレールは取り外され、アスファルトの平坦な道になっていますが、傍らには踏切警報器がまだ残っていて、道路を挟んだ左右にはまだレールも残されています。

こちらは踏切跡から間藤駅方面を見たところです。こちらには少しだけレールが残されています。

逆の本山方向を望んだところです。貨物線は、この踏切を過ぎてから渡良瀬川をガーター橋で越え、右岸を北上して本山製錬所に至ります。その途中にはトンネルや腕木式信号機などの鉄道遺構もあります。ただ線路跡は立ち入り禁止になっていますので、遠くからしか見ることが出来ません。

 

ここに入り込んで廃線跡を本山製錬所まで歩いた内容を得意げに上げているブログが存在しますが、立入が禁止されている場所に立ち入ることは絶対にあってはいけません。それは法律に触れる行為でもあり、危険だからこそ立入禁止にしていることもあります。自らの身を危険にさらすことは、自分が怪我をしたり命を落としたりするだけでは済まされず、周りにも迷惑をかけることにもなりかねないので絶対に慎むべきことです。何かすっかりヒートアップしてしまいましたが、足尾の紹介ブログでそういった法律違反を犯した末のものを見て憤慨したことがあるので、ここで取り上げてみました。

 

気を取り直して次へ進みましょう。

道路を更に北上すると、次にあるのが、間藤水力発電所跡です。道路沿いの市営住宅の一画に導水鉄管の一部が残されています。

傍らには間藤水力発電所についての説明がされた看板が設置されています。今でも電気のありがたさはおわかりの通りです。かつての足尾銅山でも電気が使えるようになったことは、いかに画期的な進展を遂げたかがわかります。

渡良瀬川の川床には発電所の石積の基礎部分が残されています。それまでの銅山の動力源だった薪や木炭に代わるものとして、電気を作るために1890年(明治23)年に完成した水力発電所です。

次は、少し戻り脇道に入って、上ノ平から上間藤の街並みを俯瞰してみました。上ノ平はかつて社宅のあった場所で、今も住んでいる方もいますが、高台にあり、非常に眺めの良い場所です。特にこれからの紅葉時季には、周囲の紅葉と相俟って、とても素晴らしい景色を見ることが出来ます。


一番奥に見えるのが本山製錬所です。ここから見える地区は、後でも触れますが往時は映画館や様々な商店などが立ち並ぶ、足尾一の繁華街だったそうです。ちょっと目をつぶって往時に思いを馳せてみるのも一興かもしれません。

 

ここは特に観光用の駐車場というものはなくて、地元住民の方が車を停めておくような広場があるだけなので、少し遠慮がちに見させていただきました。位置的には間藤水力発電所の鉄管が残る場所の崖上に当たります。そこから階段が設けられていてここに登ってくることも出来ます。

これは帰りに写した写真なので位置的には前後してしまうかもしれませんが、下間藤に立てられた看板には、間藤駅から先の下間藤から上間藤、赤倉まで至る道は当時商店が多く建ち並び、映画館もあってすごく賑やかだったというようなことが書かれています。

上ノ平地区の高台から道路に戻り、車を更に北上させて赤倉地区に来てみました。ここはロータリーがあり今も日光市営バスの転回場になっています。その目の前に松木川を挟んで本山製錬所が見え、古河橋が架けられています。

古河橋の案内板も設置されています。

 

古河橋は、赤倉地区と本山を結ぶボーストリング・ワーレントラス橋で、1890年(明治23年)に架橋されました。橋の長さは485mあり、現在はすぐ南側に新古河橋が架橋されているので、立ち入り禁止になっています。この橋は国の重要文化財です。

 

古河橋が架けられる前には、直利橋(なおりばし)という木造の橋が架けられていましたが、1887年(明治20年)に上流の松木村で起こった大火によって焼失してしまいました。

 

余談ですが、直利橋の直利とは、銅の鉱脈のことを言い、今も足尾の盆踊り歌、直利音頭にもその名を残しています。直利音頭は銅山の街足尾らしい独特の節回しを持った曲です。ロータリーの傍らには、直利音頭発祥の地の広場があります。

上で挙げた踏切のところから、松木川右岸を通ってきた貨物線は、ここでもガーター橋を渡り本山製錬所構内に入っていました。ここを蒸気機関車が牽く貨物列車が渡るさまをタイムスリップして見てみたいものです。

古河橋のある赤倉地区からまた北上すると、右側には龍蔵寺があります。ここは天台宗の寺院です。

境内には旧松木村の無縁仏を祀った無縁石塔があります。

 

今回は写真に収めなかったのですが、龍蔵寺の向かい側には松木川を挟んで、本山製錬所の硫酸タンクや大煙突を見ることが出来ます。


銅の製錬過程で産まれる亜硫酸ガスは、その煙害で、本山製錬所の北の山あいにあった松木村を廃村に至らせたほどですが、1956年(昭和31年)、自溶製錬法、電気集塵法、接触脱硫法を応用して亜硫酸ガスの大幅な排出削減に成功しました。副産物として産まれる硫酸は、本山製錬所から一段上がった高台に設けられた硫酸工場から工業用として出荷されていました。足尾駅にあったタンク車で出荷していたわけです。

そして最後に行ったのは、銅親水公園(あかがねしんすいこうえん)です。ここには銅橋という首都高の葛飾ハープ橋を小さくしたような斜張橋が架かっていて、対岸には足尾環境学習センターがあります。また銅橋のすぐ上流側に、足尾ダムがあって、堤体から水が流れ落ちる様は圧巻です。

足尾ダムは、松木川、仁田元川(にたもとがわ)、久蔵川(くぞうがわ)の三川の合流地点に作られた砂防ダムで、1950年(昭和25年)に工事が始まり、1977年(昭和52年)まで3次に渡って工事が実施されました。正式には足尾砂防堰堤といいます。全国で2位の規模を誇る砂防ダムで、それだけに実際に見ると圧巻です。この砂防ダムが出来る前は、亜硫酸ガスによる煙害や燃料として木が伐採され禿げ山と化した山肌から流れ出す砂礫がそのまま下流に押し流されていました。

 

※足尾ダムについて(栃木県の土木遺産というサイトへリンクします)。

 

※ちなみに、日本一の高さを誇る砂防ダムは富山県富山市と立山町に跨る白岩砂防堰堤(しらいわさぼうえんてい)という砂防ダムだそうです。⇒国土交通省北陸地方整備局立山砂防事務所のホームページ。

 

規模こそ2位ですが最初に砂防ダムが作られたのは足尾なのだそうです。


ここで三川が合流してからは渡良瀬川となって県下まで流れ下っていきます。有名な渡良瀬遊水地を通ってやがて利根川に合流します。

銅親水公園から先は、松木方面に道が伸びていますが、遮断機が下りていて、一般車両は入れないようになっています。この先では禿げ山となった山肌に植林する作業が今も続けられています。

 

時は遡って、2014年の1月に、日光市主催で行われた産業遺産見学会にも参加したことがあります。古河機械金属(かつて足尾銅山を経営していた古河鉱業の後進の会社)の所長さんを始めとするスタッフの方の案内で、普段は一般車両は入ることの出来ない旧松木村の植林の様子やこれも許可がなければ入れない本山製錬所の中を見学出来ました。この産業遺産見学会はとても貴重な体験でした。

 

ちょうど僕がこの産業遺産見学会に出席した日に、古河橋が国の重要文化財の指定を受けたそうで、日光市の担当者から当の古河橋の前でその報告を聞きました。翌日の下野新聞には、古河橋が重要文化財に指定されたという記事と、産業遺産見学会の記事が出ました。ちょうどそんな重要な日に、現地にいられたことは今でも貴重な体験だったと思っています。

これは、上のゲート前から松木渓谷方面を見たところです。多くの山々は中禅寺湖などのある奥日光まで続いています。

順序が逆になってしまいましたが、帰り際にここは写真に撮っておきたいと思い、元の足尾銅山観光の先まで戻り、新梨子油力発電所(しんなしゆりょくはつでんしょ)を撮ってみました。

 

この新梨子油力発電所は重油を燃料とする発電所で1916年(大正5年)に建設された発電所です。戦時中には迷彩色を施して敵機からの空襲に備えたそうです。1954年(昭和29年)まで使用された上で廃止されました。

 

ところで、水力、火力、原子力発電、そんな区分けの中で油力発電とはほかでは聞いたことがなく、どんなものかと思いますが、一種の火力発電のようですね。

現在でも火力発電所では様々な燃料が使われており、重油はその中でも一番使用率の多い燃料です。


ちなみに余談ですが、火力発電は燃料を燃やして、その熱で水を水蒸気に変え、出来た水蒸気で発電機のタービンを回して発電する発電方法です。そして原子力発電も、ウランなどから作られた核燃料を使って原子炉の中で核分裂を起こさせその時に発生する膨大な熱エネルギーで水蒸気を作り、火力発電と同じようにそれでタービンを回して発電しています。そんな理由から火力発電にしても原子力発電にしても、上位のくくりでは「汽力発電」ということになります。汽力、すなわち蒸気の力で発電する方法ということです。いやあすっかりマニアックな話になりましたね。

 

ところでブログ上で怒ってばかりいるのも何なのですが、ここでも怒らせてください。上の貨物線の所でも書きましたが、ここ新梨子油力発電所でも、廃墟探検などと銘打って中まで入って撮影をしているサイトが何と多いことか。ここは現在古河機械金属足尾事業所の管理下に

あるはずです。そこの許可を受けて入ったのであれば問題はありませんが、全くの無許可で入ったのであれば、それは不法侵入という立派な犯罪行為です。そんなブログを見るたび本当に怒りを禁じえません。ブログで熱くなるのもなんですが、これだけ書かせてください。

 

法を犯してまで、自己本位のブログを書くな!!

 

僕も自己本位の勝手気ままなブログを書いてはいますが、法律を犯してまで書きたくはないです。ホント・・・。

 

すみません。そうはいっても僕はただの民間人、いえいえただの猛獣です(笑)。ここで怒っているのは猛獣の素地だと思ってご容赦ください爆  笑

 

まあ、時間が経ってると重要事件でない限り、時効が成立してるのでしょうが、不法侵入を告発するのは古河機械金属の方でしょうし、そういう輩を逮捕するのは警察、法の裁きにかけるのは検察官、裁判官ということで溜飲をさげましょうか。

 

今日は怒り心頭で終わったクマでしたww


怒りはおいておいて、足尾は四季を通して素敵な地域です。冬場は山あいなので雪も多めですが、それぞれの季節に訪れてみるのも良いと思います。


また、近代産業の牽引役を果たした足尾の銅。そんな足尾の産業遺産群を世界遺産に登録しようと、地元足尾の有志の方々や日光市役所の方たちが頑張ってることもここに明記しておきます。