よく共演者に「弾き語りとかやらないんですか?」と聞かれることがある。
「やらないです」
「なんでやらないんですか?」
「やりたくないからです」
大体、こういう会話はライブハウスでの会話になるから端的にするため、こういう返しになってしまう。
「やりたくないからです」の言葉の中には、今までの過去、経験、俯瞰してみた自分、色々な感情も含まれているのだけど、それを伝えるにはいつも時間が足りない。
だから、どうして今のスタンスになったのかを少しダラダラと振り返りながら文に残しておこうと思いました。長くなると思うので興味のある方だけどうぞ。
決して弾き語りをディスったりしているわけではないです。
自分の持っている才能の向き不向きの話しになります。
小学1年〜4年までピアノを習っていました。
譜面もろくに読めないしど下手くそだったので、超お嬢様な先生からは大層嫌われていました。(外で遊んでから行ったりしてたので手も汚かった)
その先生の口癖は「ねぇなんで出来ないの?!」でした。
そうですね、楽器を好きになれるわけありませんね。
音楽の授業でみんなでやる合奏でも、やってみたい楽器には一度も合格できない。
どうして、みんな"せーの"で始めたものなのに上手くできる人と出来ない人の差があるんだろう、と子供ながらに思っていましたが、そりゃ足の速い子がいれば遅い子もいるわけで。
この時からすでに「楽器はやるもんじゃねえ、聴くもんだ!」と思っていました。
毎年夏休みに父が連れてってくれるクラシックコンサートが大好きでした。
そうして次に楽器に触れることになったのは高校1年生です。
中学時代に「ゆず」が流行ったもんで、好きな友達と一緒にハモりながら歌うのがすごく楽しくて、その頃まだカラオケには、アルバム曲やカップリングの曲が入ってなかったから、自分で弾けば入ってない曲も歌えるんじゃね!と思い、父のフォークギターを借りパク。
ネックが反りに反っていて弾きづらく(父はガットギターをずっと弾いてた)、歌本を見ながらコードチェンジの練習をただただする日々。
なんとか簡単な曲は弾いて歌えるようになった頃、
「コピーはムズイ!自分の弾きやすいコードだけで曲を作ろう!」
ここからいきなりオリジナル曲の乱れ撃ちです。
わたしは元々、言いたいことを文に書き留めておくタイプだったので、歌詞ができまくるし、
覚えたてのギターだから曲ができまくるし、
この時初めて「楽器楽しい!」と思えました。
しかしそれも束の間。
とある日に「ゆずのギターオフ会」に参加したことがあったんですが、
その時もうわたしは1年くらいずっと毎日ギターを触ってたので、「弾ける側」だと思っていました。
そうしたら、まだギターを始めて2ヶ月、っていう子が自分よりもはるかに上手かったんです。(え、まってあのイントロもう弾けるの?みたいな)
またここで味わうんです、
"せーの"で始めた時の、できる人と出来ない人の差を。
そこでもうやーめた、とは、まだならず、
歌うのは楽しい。だから最低限、自分が歌えるくらいの伴奏ができればいいや!
と、開き直り、2〜3コードだけで延々と歌ったりしていました。
高1の頃のわたしはちょっと心が病んでいたのでよく学校をサボっては昼間の人のいない広場にギターを持って行って、父のおさがりのMDレコーダーに録音しながら曲を作っては歌い、その頃から外で歌う快感に目覚めていきます。
そしてついに高2から新宿の定時制高校へ編入。
定時制の帰りは夜9時頃になるので、学校にギターを持って行っては帰りに新宿西口駅の反対側でひっそり路上ライブ。
ライブ…っていうかただの公開練習です。
今はすっかり普通になりましたが、当時は若い女の人の路上弾き語りなんていなかったので、遠巻きで聴いている人たちからたくさん差し入れやおひねりをもらいました。
たまに観に来てくれた友達とそのおひねりでご飯を食べて帰ったり。
カバーでサザンの「いとしのエリー」なんてやった日にはそれはもうおじさまおばさまからの反応がすごかったですね。
別に看板を出してるわけでも、投げ銭箱を置いてるわけでもなかったですが、
外で歌うのが楽しくて多い時は週4ぐらいでやってたので、だいぶ投げ銭が貯まりました。
こういうお金ってなかなか使えない性分なのです。
いよいよ使い道をどうしようかなと思った時、初めて自分のギターを買いました。(ギター弾ける友達連れてって選んでもらった)
だいぶ音楽が楽しくなってきたわたしはそこでさらに欲が出て
「自分の曲に他の楽器が入ったらどうなるんだろう!」
という、興味だけで、初めてメンバー募集サイトを使います。(ベロニカとの出会いになったサイト)
「メンバー募集してます。◯曜日の夜9時頃から歌っています。気になったら声をかけてください。」
そんなざっくりとした内容だったのにも関わらず、3〜4人きて声をかけてくれました。
そこで全くの赤の他人と、初のバンド結成です。
(もちろん色々ありましたが割愛)
自分より少し上の、軽音部の大学生たちでした。
わたしは音楽スタジオなど全く入ったこともないしマイクの繋ぎ方も分からないし、何から何までやってもらいました。
「じゃあ、ライブとかはどうする?」
「ラ…イブ、するの…??」
などと言っているわたしはとても滑稽に見えていたことでしょう。彼らをさんざん怖がらせてやりました。(そんなつもりなかった)
ちなみに初めてのライブはそんなメンバーたちの学園祭でした。
それも野外で、天気も最高で、終わったあと小さい子が駆け寄ってきてくれたのが嬉しかったです。
ちなみに最初に会った人たちが結構、ジャズやファンクが好きな人たちだったので、それが影響していろいろ聴いていたら、パットメセニーにどハマりして「ジャズギター最高!」となりました。
それからいろんなメンバーとの出会い別れがあり、たまにライブとかはやってたけど、継続的なバンドやユニットの活動はあまり出来なかった。
その頃に感じていた、自分の曲へのメンバーたちの取り組み方も、どことなく引っかかっていました。
みんなで一緒に作っていく、という感じじゃなくて、「君がどういうアレンジにしたいのか決めて。その通りにするから」というもの。
音楽の引き出しも専門用語も分からないままの自分は、周りをたびたびイラつかせていたと思います。(実際キレられた)
けど、なんか、違うんだよな…
わたしは、わたしでは思いつかないものがたくさん聴きたいのに。
そんな気持ちでどんどん人と合わせるのがダルくなります。
別に、わたし音楽好きじゃなかったかもしれない、と気づく22〜3歳の頃。
そう思って何もしなくなった頃に、転機が。
電車で超絶やばい痴漢に遭い、しかし撃退してひっとらえ、警察沙汰に。
なんやかんやありまして、示談金130万という現金を手にしました。(本当に弁護士から封筒で手渡される)
そういうことで手にしたお金は気持ち悪いのでなかなか使えず、
何か意味あることに使ってしまいたい…
そう思った勢いで「音楽の基礎を学ぼう。きっともっと嫌になってキッパリ辞められる」と、1年間だけ音楽の学校に通うことにしました。
始めは地獄だった鬼のボイトレも最終的にはすごく良い先生だったし、DTMを習うからと、パソコンも(示談金で)Macに買い替えてLogicを入れて、全て分からないことだらけ。
だけど一個ずつどういう変化があるのかを試しながらやってたら面白くて朝になってた!ということがよくありました。
そんな新鮮さが嬉しくて10曲ぐらい作ったデモCDを夏休み明けに先生に持って行ったらすごく感激してくれて、評価がめちゃくちゃ上がった。
クラスの子達ともいつも泣いたり笑ったり、なんかすんごい青春してた。
でもある時気づくんですよ。
「曲…、作るの、ダルい……」
「全部、同じパターンじゃん…」
と。
結局、生の楽器のことを分かっていないから、単調なトラックの切り貼りの連続で、
「それっぽくはできる」けど、すごくつまらない。
なんであの時先生たちからは「君は面白いな!」と持ち上げられていたんだろう…。
(魔界からきたみたいな歌だね!と言われてました)
卒業制作で最高だと思ってた自分のアルバムを数カ月後に聞き返したら、
「なんて…退屈なんだ!!!!」
「自分にしか分からん思想の歌詞やめろや!!」
と、ものすごい嫌悪感がわいた。
自分の頭の中にあるパターンを組み合わせたものの、連続だった。
絶望した。あんなご飯食べるのも忘れて時間かけて作ったのに…?
ここで、完全に自分の中での創作活動は終了しました。
大体、作曲も歌も、歌詞も演奏もすごい、なんて、そんなことあるか?
全部一人でやって、そのどれもが最高!なんて、そんなとんでもない人間いるのか?
昔は作曲家も作詞家も歌手も別だったのが主流だったじゃないか!
という思考になり、昔、弾き語りでステージに立っていた自分が途端に恐ろしくなった。
わたしは、人の時間を奪って、なんて退屈な時間をステージで与えてしまっていたんだ!
自分にしか分からない事柄を、小賢しい言葉で積み上げて、なんて気色の悪いことをしていたんだ!
と、のたうちまわった。家で。
なんでできないのか、を追求する気持ちがなければ、その人はそれに向いていない。
ずっとそうだったじゃないか、ピアノも、ギターも。
それでも、そのあとからもメンバー募集サイトを使ってバンドを探していたのは、
やっぱり、初めて外で歌った時の快感に取り憑かれていたからだと思う。
ちゃんと作曲者がいる、継続した活動ができそうなバンド、
そこで出逢ったのがVERONICA VERONICOでした。
歌詞も、神話やお伽噺をモチーフにしているというから、もう自分の反吐が出そうなほどくだらない思想を書かなくていい、
このバンドの作品のための言葉を書こう、
わたしはこのバンドの作品の一部になろう、
そう思って、今に至ります。
だから、「弾き語りとかやらないんですか?」と言われても「やらないよ」と答える。
自分に向いていないことを頑張って披露して、
みんなに「よくできたねーパチパチ」
みたいな状況を想像するだけで吐きそう。
ステージの上では常に、最高のことだけをする自分でいたい。
もう愛情のなくなったものをステージの上では持てないんだよ。
ベロニカに入った始めはよく思ったよ。
わたしに楽器の才能があれば良かったね、って。
けど、今はもう、
「わたしの体はベロニカの音を鳴らしている楽器そのものなんだ」
と、思っています。
一人で音楽をやるということは、もうわたしの中では意味がないんです。
4人の音を出して作って、初めてベロニカの作品が出来上がる。それだけがやりたい。
だから4人のうち、誰かが欠ければ終わり。
そんな約束の中、長く長く楽しんで生きたいと思います。
こんな長いのに、ここまで読んで下さってどうもありがとう。
忘れないために記した自分用のブログですが、
この気持ちを共有できたあなたに、心から感謝です。
またライブで会いましょうね。
それではまた。

















































