会話やしぐさ、反応や表情、家族のやりとりのなかで気づくことがよくありますし、打ち合わせを重ねるなかで、素直に出し合えるようになることもあります。


設計者が、その家庭のこれまでの生き方や、これから進もうとする方向とかけ離れた独りよがりの勝手な提案をしても、たいていは失敗します。


また、住み手の方からも自分たちの生き方とは無縁に思える矛盾した要望や意見が部分的に出てくることがよくあります。


・・・子どものことに関してはとくにそうです。


その場合、私たちは、その家庭生活の全体像を総合的にとらえて、そこから矛盾をわかりやすく明らかにして解かなければなりません。


そうすることによって、注文住宅に住む人たち自身が、その生き方を前進させるための具体的な要求を再び組みたて直すことができるからです。


それには、私たちが住み手の生活そのものの視点で考えられるくらいに、その生き方をしっかりつかみきるように心がけねばなりません。


・・・それにしても、家庭生活のあり様は十人十色、千差万別で、つくづく難解な仕事だと感じています。




実例をうんぬんする前に、ここでは第三の点についてもう少し考えてみます。


・・・たとえば、子どもの部屋を作るときには、どれだけのスペースをどのような方法で区切るのかを具体的に決めなければなりません。


が、それには、そのなかでの子どもの生活が家庭生活全体のなかでどのように位置づけられるのかを間違いなくつかまなければなりません。


子ども自身の専用の場が持てることの大切さと、家族と一緒にいて過ごすことの大切さとをどのようにつき合わせて考えるか・・・。


自我の形成や自立を進めることと、理解や協調のできる人格を育てることとを、どのように統一させるか・・・。


私たちはそれを、住む人びとの実生活のなかの子育ての骨格としてとらえなければなりません。


注文住宅づくりの計画の段階で提出される要求や、暮らし方を聞いたりするなかから、生活の実像をできる限り正確にくみとるように努めていますが・・・


しかし、やはりプライバシーにかかわることは、夫嬬や親子の関係によって微妙に複雑で、なかなか言葉では読みとりにくいものです。



現実の建物は複雑な条件がからみ合った結果としてできあがります。


そのなかから子どもの育て方や生き方と、子どもの部屋のつくり方とを抜き出して関係づけるのは、なかなかやっかいです。


結果としてみると、子どもの部屋もその都度主に次の3つの条件が作用して決まってきています。


第一は、生活の仕方です。


それは親の生き方や子育ての方針がどうかということであり、家族関係がどのようになっているか、将来をどのように見通すかということなどです。


第ニは、住まいづくりを可能にする現実の条件がどうなっているかということです。


経済的条件、敷地の条件、近隣関係や施工関係、日程等の条件です。


第三は、名古屋 注文住宅などの住まいづくりが着実にうまく進行したかどうかです。


生活の仕方がどれだけ密度濃く具体的でしかも総合的に把握されたか、住む人たち自身が生活をバランスよく前進させようとどれだけ追及したか・・・


限られた条件の枠のなかで、しかも、その条件の特徴をひき出し、生活を前進させる課題と重ね合わせて十分に解決できたかどうか、ということです。



さまざまな商品が、より強く誘惑し、欲求をおこさせることによって競り勝とうとして、テレビや雑誌、ダイレクトメール、商店街等々、あらゆる大量の情報網に乗って浸透しようとしています。


子どもたちの興味の違いが家庭内でぶつかるので、子ども部屋を分けなければならないといったことも、みんなでよく考え直してみるべき面があるのではないかと思います。


・・・このようにみてくると、子ども部屋を分離し、仕切らなければならない理由のなかには、無自覚に外圧に流されたり、不自然に押しつけられていることも多いようです。


このような社会的な現状に生きているのだから、子どもの部屋を考える場合にも、受験や性や要求があるからといって即、隔離し遮断してしまうのではなく・・・


互いに理解し合ったり、気づかいをしたり、時間をずらしたり場所をかえたりすることで、それぞれの場面ごとに区切ったり、閉じ込めたりしなくてもすむのではないかと考えています。


さて、これまでは子ども部屋のあり方や考え方について書きました。


私自身は注文住宅の設計を仕事にしていますので、今回は実際にどのような課題にぶつかって、どのように作ってきたのかを、あえて、いくつかの例をあげて検討してみようと思います。


あえてというのは、実例では話のように割りきれなくて、説明するのに気が重いからです。


退廃のマスメディアの攻撃に対して、子どもに孤独な防戦をさせてはならないと思います。


家庭が一緒に受けとめて、はねかえす場としてしっかりしなければなりません。


夫婦の愛と猥褻な性とがどうちがうかを考えてみて理解できるような、そういう子どもとのふれあいを育てたいものです。


性に対する健康な認識が自然に育つように心を開いた生き方に合った、子ども部屋のあり方を考えたいと思います。


性に関する部分だからといって完全に仕切っておくべきだとは考えません。


子どもたちは、また、さまざまな宣伝に欲望をあおられています。


あれもしたい、これもほしいという気持は、現実の家庭生活の条件をはみ出してしまいます。


あれもこれも満足させるためには、注文住宅の中に相当な広さをもった子ども部屋をそれぞれにつくらなければならないといったありさまです。


・・・この異常につくられる欲望の原因に商業主義があると私は考えます。


子どもが勉学にはげんだり、集中するのはよいことです。


・・・しかし、間題は、いまの異常な学歴社会や学校不足、教育産業のあり方にあると言われています。


社会のしくみがどのような人間関係をつくっているか、それがどのような人間をつくろうとしているか、というところに現在の教育間題があるようですし、そこに家庭内のバランスを崩してでも追いたてられる受験間題の根源があるようです。


性の間題では、子ども自身の変化の間題と、夫婦生活の間題があります。


子どもが一定の成長段階になると、着がえるところ、寝るところなどを他の人、とくに異性から分離する必要が出てきます。


このとき、子どもの成長過程での性の変化をどのようにカラッと明るくみんなのものにしておくかということは、子ども部屋のもちかたにもかかわる大事なポイントだと思います。


日本の注文住宅の歴史では、夫婦生活の場を確立することがかなり重要な課題であったと思います。


そして、いまはこの課題を、日常生活のなかでいかに不自然さがないようにおおらかにあつかうか、が大切になってきています。


なぜなら、不健康で猥褻な性の氾濫が、一方的にあからさまに地域や家庭に入り込んで来て隠しようもない、という状況があるからです。

家族が毎日、いきいきとかかわり合える家族室を中心に大きくすえることとの兼ね合いのなかで、子ども自身の場所をも必要な段階に応じて確保していくことだと考えています。


・・・次に、愛知 注文住宅で子ども部屋を必要とする理由の、後者について考えてみます。


これは、家庭で、子どもの生活が他の生活と一緒になると差しさわる場面がある、ということでしょう。


この点で私がすぐ思いつくのは、第一が受験間題で、第2が性の間題、第3がつくられる欲求の間題です。


2人の子どもが中学に入って、否応なくこの受験間題をかかえ込んでしまっているのをつくづく感じます。


中学にはいるとすぐに試験で順位が出るのに驚きましたが、3年にもなるとまわりじゅうが浮きたっていて、無自覚は許されません。


偏差値によるランクづけに身動きならなくしばりつけられますし、ランクを上げようとあせります。


親にしてみれば少しでもと、本人の意欲にかかわりなく勉強部屋に追い込んでしまいますし、そのためには他の生活は犠牲にしてもと、バランスをくずすようにさえなります。



自我を確立するために、自らの心を育てるために、子ども自身が主体的に管理する揚所が必要になってくると言えると思います。


・・・ところで、人びとが信じ合って生きていこうとするなかでは相互理解や気づかいが育つのと同じように、そこでは責任を自覚し、自己の存在の意味も確認するようになってくるものと思います。


互いの弱点を批判し、優れた面を伸ばすために、素直にぶつかりあうことができる関係は、人格の向上にとって大切なことです。


そして、個性の発見も、自意識も、主体性の確立もそうした人びととのかかわりのなかでこそ、健全に育ってくるものと思います。


そのもっとも重要な拠点が家庭にあると言えます。


子どもたちはつかみかけた自我を家族関係のなかへぶつけながら、自立の道を進んでいくのではないかと思います。


そうして気づいた自分を、自分自身で見つめ直し、確かめて整えるための自分の場も必要になってくるのでしょう。


私は、子どもの育つ時期の注文住宅のあり方として、この関係をどう見るか、ということは大切だと思います。

自分のことは自分ででき、身辺をきちっと整理する生活の仕方が身につくようにしつけや訓練をしなければなりません。


・・・が、それだけの理由なら、必ずしも注文住宅の子どもの部屋として個室にしなくてもよいはずです。


むしろ、家庭や保育園や学校などの集団生活のなかで、責任をもって管理する場所や仕事を分担するのは大変良い訓練になると思います。


人に迷惑をかけないこと、人に喜ばれることなどは、自分の役割や行為の意義を客観的に確認することになります。


しかし、子どもが自分自身の場所をもつということには別の意味もあります。


自分だけが特別にかかわるものや専有できる場所に対しては、おのずと愛着も深まります。


とくに、自分を意識しはじめる頃、他と比較して自分は何かと自問し、自分の個性を感じはじめると、なにかで自分を反映させる場を必要とするようです。


それは、自分自身と対話をし、自分を見つめるのにふさわしい場所をしっかりと確保したいということでしょう。



家庭の核としての父母の生活を大切にしようと考えるならば、それにふさわしい家づくりと空間が必要です。


また思春期にたどり着き大人の仲間入りをしようとする子どもを家族みんなで喜びあい、兄弟姉妹の間でお互いの性を理解しいたわりあうことができていれば、そこから男女の子の別就寝が位置づけられます。


"秘めごと"として、親と子、兄と妹(姉と弟)の性を隠し合うために部屋を分けるのではなく・・・


一人ひとりの人間としての営みを尊重し、それにふさわしいよう豊かな空間を求めていくことは、私たちの人間としての権利であろうと思います。


さて、子どもの部屋はなぜ必要なのでしょうか。


私はその理由には2つの側面があると考えています。


その一つは、子どもが自立していく過程で、自分自身の空間を必要としてくるからだと言えます。


いま一つは、その子どもの生活を、家庭生活の他の場面から分離し、仕切る必要があると言う理由です。


・・・まず前者について考えてみます。


子どもはいずれ親ばなれをして、立派な社会人になっていかなければなりません。