聖書と科学と神の探究 | キーボードのブログ

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 聖書と科学、これはもう何十年、何百年続いているのでしょうか、本当に論争の絶えないテーマの一つですね。私が子どもの頃から関わっていた教団では、現在の科学で検証できる範囲で聖書の記述は科学的に正しい、と教えられたと記憶しています。しかし、聖書が科学的かどうかを検証する作業は非常に興味深いとはいえ、聖書中に登場する神の奇蹟の大部分は科学的検証の対象になり得ないものが多く、いくら追及しても不毛な議論に終始するのではないかという不安もあります。


 事象を科学的に説明できるなら神の奇蹟という説明は不要ですし、科学的に説明できなければ神の奇蹟は結局のところ科学的ではない、常に矛盾が付きまとって仕方ありません。おそらく、「科学的に起こりえないことが実際におきたことを科学的に証明する」ことができるなら、聖書は科学的に正しいという説明は非常に説得力を持つのではないかと思います。


 聖書が書かれた当時は現代と比較して科学技術が著しく未発達だった時代だったわけですが、旧約聖書のイザヤ書40章22節は当時の人類が知るはずもない地球の形状を正しく描写していると言われており、集会や出版物等で幾度も見聞きしました。聖書の科学的信憑性を強調するトピックの中では比較的人気のあるアイテムだと思います。


 ただ個人的には、天地の造り主なら地球が丸いぐらいのメッセージを聖書に残してもおかしくないのではないかと、「ふ~ん、そうなんだ・・・」ぐらいの感想で、不思議なほど薄い反応しか覚えなかったのでした。古くは、古代ギリシャのエラトステネスが緯度の異なる2地点で南中時の太陽高度差から地球の大きさを幾何学的に計算したと伝えられているぐらいですから、「地球が丸い」というイザヤ書のくだりは今一つパンチ力に欠けていました。


そんな中、とても衝撃的な聖句を見つけたのです。私が高校生の頃でした。それは詩編18:9。


詩編18編9節(新世界訳)
“神は天を押し曲げて、降りてこられた。・・・”


「な、なんだってーっ!!??天を押し曲げる!?」
「無限に広い大宇宙を瞬時に移動するため神は時空間をゆがめる方法を使うのかっ!!!」


 どういうきっかけでその聖句を見つけたのかは覚えていません。さほど有名な聖句ではないようですし。しかし、とにかく言葉にならない強烈なインパクトでした。以前のブログに書いた通り、当時の私は映画バック・トゥ・ザ・フューチャーとアインシュタインの時空理論にパーフェクトにかぶれており、そこにこの聖句と運命的な出会いがあったものですから、単純な科学的好奇心だけにとどまらず、ある意味で宗教的バックアップを得たと確信するまでに時間はかかりませんでした。


 科学と信仰の融合を試みようというような、そんな大それたことを企てていたわけではありません。しかし、宇宙の真理探求の果てに神がいるとの発想で、大宇宙の探求と聖書の神の探求がごった煮の状態であったことは間違いないと思います。宇宙、時空、未知の世界の探究、ここに聖書という新たな燃料を投入することに成功したわけで、若さも手伝って将来の目標に向かって本当に無我夢中になることができた。年齢を重ねた今もなお、根底に流れるメンタリティはさほど変化していないところを見ると、当時の異常な熱狂の大きさを物語っているんじゃないのかなあ。