Keyaki -6ページ目

パリコレでの演奏と、あれから5年。(第1話)

はっきり覚えている。それは今年の7月26日だった。

UKのDidgeridoo Festivalの出演が決まっており、ユーロスターに乗るためにBrusseles Zuid駅に向かっていた。
楽器をコンパクトにパッキングし、CDは事前に友人宅に送り、入国時に見せるようにオーガナイザーからの招待状もプリントアウトし、用意万端意気揚々。
準備もモチベーションもばっちり、約1年ぶりのLondonで友人達に会えるのも楽しみにしてた。

緊張のUK入国ボーダー。しかし今回は必要なものは全て揃えてある。
問題ないだろう、入国拒否の可能性は低い。
できるだけ愛想よく、パスポートを見せながら全ての質問に軽快に答える。

答える。

答える。

答える。


(明らかに質問時間長いぞ)


答える。


答え、、、、え?別室?




そして、、、




例のやつ、、、。




綺麗につめた荷物を全部無造作にひっくり返され、 高圧的でまるで犯罪者を扱うような5時間もの審査とインタビュー。



結論。

入国拒否。。。これで3度目。



理不尽すぎて、怒りを通り越して体験したことない次の段階の感情。

人生で一回だけロケットランチャーをぶっぱなしていいなら間違いなくこのタイミング。

説明できないくらい極上に悲しく、やるせなく、頭にキすぎていた。

長蛇の旅行者が皆こっちをみている。。



怒りで我を忘れ膝をガクガクさせて家に帰り、とりあえずは入国できなかった旨をオーガナイザーや関係者に謝罪連絡。

整理のつかない感情まま全てのメールを送り終えた後、調度到着した新着の一通のメールを開いた。







それは日本からのメールで丁寧な文章でこう書いてあった。

「この秋に行うパリコレでジャンベの生演奏できるミュージシャンを探しています。興味あれば一報ください。」


あまりのギャップに反応できず、通常の判断能力を失っていたので何度か読み返す。


何度読んでもそれは間違いなく仕事のオファーで、ニットデザイナーJUNKO MAEDAが行う「PARIS COLLECTION S/S 2015」の製作の方からだった。

9月24日に行われるShowの今回の作品テーマが「アフリカン」らしく、Showをジャンベの生演奏で演出するとのこと。そのためジャンベ演奏者を探していると。

HPを拝見すると、20年近くもパリでコレクションを続けておられる大ベテランのデザイナーさん。

これは場数を踏める願ってもないチャンス、これは自分にとって人生初の大きな大舞台、これは挑戦しないわけがない。

よくわからない感情のまま返信は即答。


「是非やらせてください。よろしくお願いします」


こうしてUKのFestival出演を逃した同日、パリコレ演奏の仕事を得た。

今思えばなんとも不思議なタイミング。。。そしてもの凄い落差のギャップ。





製作の方と諸条件をFixして出演が決まった後、メールベースでの打ち合わせが始まった。

前回のコレクションの映像を見て、大体の現場の雰囲気はつかむことができた。

show本番の構成をお伝えいただき、自分からは、発表する作品数や転換に合わせた大まかな演奏の内容イメージをお伝えする。

数回のメールのやり取り後、製作の方と大体の演奏イメージが共有できたところで、演奏細部の作り込みはこちらにお任せくださるということだったので、どんなリズムをどう叩くかなどは実際の洋服の写真がきてから少しづつ練り上げることにした。

当日までは2ヶ月半ある。準備するには充分な期間だ。





7月は忙しい時期で、他に幾つかのGigが入っていた。

Gigと路上をこなしながらShowの演奏イメージを少しづつ固めてはじめていた。

そんな頃、あの紳士のプライベートパーティでの失敗の一件があった。

2日くらいへこんだ後、前を向いたときにこう思った。



「今回のパリコレは絶対に失敗できない」



いや、むしろデザイナーのMAEDA先生や製作の方や各関係者様に「keyakiを呼んでよかった」と言っていただけるようにしたい。

お客さんにも喜んでいただけるようにしたい。

他のことは頭の中から捨て、Showの事だけ考えよう。



そして7月の後半以降、頭の中のこの仕事に集中させていった。



http://junkomaeda.com/



〈つづく〉



驕ったんだな②

本番当日、迎えの車に乗って現場に到着。

広い広い庭と大きなプール、豪華な建物と高級車。

一流のミュージシャンのように扱われ、ステージをみて興奮した。



早速機材をSetしてPAさんに音をつくってもらい、リハーサル。

音出しはきわめて良好で、新しいピカピカのギア達もいい表情でおさまっている。



一通り音をCheckして問題なかったので(というかむしろ最高だったので)、

一時場を離れて増えていくお客さんにまぎれた。



日もすっかりおちて夜も更けてきたころ、紳士が目で合図してきた。

そろそろ出番だ。



紳士がステージの前にお客さんを集める。

マイクで挨拶をし、沢山の冗談でお客さんを盛り上げている。


そして自分が紹介された。



ステージに出て行き、Setに座り自己紹介をした。


大勢が興味深そうに注目している。


大丈夫だこの日のためにイメトレもばっちりだし、新しいギアも光ってる。


最高の演奏する、それだけだ。




自己紹介のあと、一曲目をスタート。


演奏は静かなイントロから始まり、徐々にテンポをUPしていく。


一番メインのおいしいパートに近づいた。


さぁ、ここがお客さんが驚くところだ。キメてやる。




ところが、

そのサビの直前で、

新品ギアのキックペダルが突然動かなくなった。



演奏はそのまま続け、もういちどAメロをはじめから演奏して再度サビへいこうとした。

ところが今度はキックペダルが全く動かなくなってしまった。


即興で曲調をアレンジしてしのげるレベルじゃない。


楽器がひとつ、まったく使えなくなったんだ。





血の気が引いた。



何度踏んでも動かない。



しかたなく演奏を止めた。



急いでペダルを治そうとした。



しかし、いくらいじっても元にもどってくれない。



でもこれが治らないと演奏ができない。治さないといけない。



5分たっても一向に治る気配がない。



そのうち10分が過ぎた。

お客さんはざわつき、あの紳士は不安そうにみてる。







うごかない、治らない。





15分程が過ぎた。


お客さは完全に飽き始め、会場にしらけた雰囲気が流れ始めた。



仕方ない、あきらめるしかない。



残りの2つでやるんだ。演奏に戻ろう。




結局カホンはあきらめて、ディジュとザイロフォンだけで演奏をはじめた。



しかしKickの音がないので貧相に聞こえる(ような気がした)。

自分が全然のらない。



そのうちお客さんが少しづつ離れていくのを感じた(そう思い込んだだけかもしれない)。



動かないギアと全く使いこなせてないHiHatが、余計に自分の気持ちを貧相にしていた。



心が折れそうになりながらも集中して演奏しようとした。



しかしすぐ横に不安が並走してくる。



紳士がうつむいたように見えた。



その時、演奏に勢いがなくなってしまった。



そして、実際に半分以上のお客さんがステージの前からいなくなった。



地獄だった。





最後の曲をおえ、紳士が少なくなったお客さんにむけて何かをしゃべっていた。


大失敗だった。。。


恥ずかしくて顔をあげることもできない。


招待してくれた紳士の顔を見ることもできなかった。


はずかしい、みっともない、ださい。



お客さんたちが2次会の建物へ消えた後の広い広いガーデンで、一人で楽器を片付けながら、自分が情けなくて恥ずかしくて。きっと顔は真っ赤だったろう。



演奏前の“やってやるぜ顔”
演奏中の“トラブルのときの焦り方”“不安顔しながらの演奏”

結果的にお客さんを満足させられなかった“自分の足りなさ”。

あぁ恥ずかしい。

穴があったら入りたかった。





そもそも俺は技術的な事はまだまだなレベルだ。

ディジュも初心者だし、ジャンベだってまだまだだ。カホンキックのレベルも。

だとしたら自分ができるのは、今できる事を丁寧に、そして最大限のクオリティで演奏することだけだったはずだ。

それなのに練習もしたことない新しいギアで本番に挑むなんて。。。


「やったことなくても俺ならできる」という驕りが今回の結果を招いたんだ。
「すごいの見せてやる」っていう傲慢が招いたんだ。


練習も重ねていない楽器でStageにあがるという最低なことをしたんだ。



これは完全にプロフェッショナルとして失格だ。

練習してないものを人前で見せているんだから。

ただのエゴ以外のなんでもない。




若いころからいつもそうだた。少しうまくいきはじめるとすぐ調子にのる。

そして驕った結果、大事な場面でやらかす。エゴや驕りや傲慢さで。




今回もまた同じ失敗をしてしまった。




また驕ったんだ。





そのせいで、この夏、大事なチャンスを一つ逃したんだ。




(終わり)


驕ったんだな①

キッカケは路上だった。

夏のブリュッセルの街の中でBuskingをしていた時に名刺をもらってくれていたんだ。

その紳士は丁寧にメールをくれ、路上で見たパフォーマンスの感想と、演奏の依頼が書いてあった。
詳しく内容を聞くと、自分の記念となる重要な誕生日パーティで、自分と友人のために是非演奏してほしいとのこと。


光栄極まりない。もちろん即答で受けさせていただいた。


ギャラの交渉もスムーズで、当日のPA機材も先方がすべて準備するとのこと。

申し分ない条件だった。



・紳士の記念となる特別な誕生日パーティ。

・100人規模のお客さん。

・たっぷり1時間のGig。

・郊外の広い敷地の一軒家。

・自分ためだけの専属PA機材とエンジニア。

・スモークやライティングまでも設置してくれる。

・送迎付き


全てkeyakiの演奏のために最高の準備をしてくれるという。

正直こんな経験は初めてだった。

どうも気前が凄すぎるので素性を聞けば、ベルギーの大手メディアグループ総帥の御曹司ということ。

どうりで。。。。



本番までの間、何回かメールをやり取りしてコミュニケーションも良好。

しかもその紳士は、もし今回のGigが成功すれば彼らのもつネットワークからTV・Radio・各イベントやコンサートにてkeyakiをBookingするよ、とまで言ってくれた。。









キタ。


キタよ!



これがチャンスというやつか。

テンションは最高潮、モチベーションも絶好調、かるく有頂天。

毎日そのことばかり考え、イメージも練りに練った。



「最高のものにしなければいけない。」


「今までにない最高のものを魅せよう」


「よし!新しいSetで豪華にやってやる」


(今思えば完全に力はいりすぎて、発想が間違えていた、でもその時は気付かず。。。)





実はちょうどその頃、新しい楽器を購入したばかりだった。

ずっと前から欲しくて欲しくて、そのために貯金してきたDe Gregorioのカホン(Bass域が太くて最高)、それから演奏に表情を加えるためのHiHat、そしてカホン用のKickペダル(これで前踏みができる)。

夏に路上で稼いだ金と貯金で新しく手に入れたピカピカのギア達。

その機材達を導入して豪華に最高のSetをやろうと思ったんだ。

新しい機材での練習はしていなかったけど、こっちは幾度となく路上の現場で臨機応変にやってきたんだ、しかもいい機材達だ、なんとかなるだろうと思ったんだ。


この発想が今回の失敗の全ての根源だった。



(つづく)