金庫番組の一番最初 横山郷土館(栃木市) | 田舎の鍵師(キーセンターくわな)・Wikipedia(不可思議探偵団の鍵師欄に)

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不可思議探偵団開かずの金庫
2010年開始・4回連続出演 以後現在に至る金庫シリーズの始まり

世界の金庫技師の教育プログラムで授業をしている写真
ALOA本部理事(国際地域代表)として活動(2008-2010)

(財)合気会支部道場(うたづ合気道倶楽部希の会・道場長)

私が一番最初に金庫のダイヤルを探りながら開けるテレビ番組に出演したのが2010年の4月でした。その場所は今回改めてご紹介する横山郷土館にある大金庫でした。
最近あちらこちらのテレビで金庫を開ける番組が放送されて花盛りですが、その一番最初になるのがこの金庫なのです。
 
哀川翔さんが司会をされた不可思議探偵団の一回目がこの現場でした。
テレビに初めて金庫を開ける事を見せる企画に対して、私もなかなか腰が上がらなかったのですが当時私は世界の鍵師を教育する公的なアメリカの協会で金庫の解錠理論を教えるアジア人ただ一人の教官として活動していましたから、白羽の矢が当たったのも不思議ではありませんでした。
 
といっても私が承諾していなかったら、今に続く金庫の番組はこの日本では存在していなかったのですから、少し責任を感じています。
 
たまたま今日見たテレビで久しぶりに「天才鍵師」の名称が使われていることに、少々懐かしくもあり驚いたのです。
 
というのも以前に天才鍵師とカギ開け師と言う記事を書いた時にも触れたのですが、鍵師はある会社が商標を保持しており、テレビに出演している最中にこの会社から警告文が届きました。
ただそのときは鍵師の商標の登録前から私が公に鍵師の言葉を使用していたことが証明が出来たので難を免れましたが、おそらく今回の鍵屋さんにも書面が届くのではと思っています。
天才鍵開け師は上記のような事情で問題にならないように、テレビ局が天才鍵師の名称を使わずに苦肉の策としてこの名称で乗り切ったいきさつがあったのです。
 
私はこの栃木県の後、彦根にある仏壇屋さん、山梨県の歴史資料館、この段階でテレビに出るのが億劫になりやめることを決意して、制作会社に通告をしたら最後に北海道の金庫をしてからとなって、そこで仕事を終えました。
 
色々な現場で作業をしてきましたが、この栃木市で放送された回が後に続く金庫番組のひな形になっているように思います。いまもすべての動画は録画して持っているのですがネットにアップすると違法ですから私の店に来る方で希望されたら見せています。
 
手探りで金庫を開けるには今夜の放送のようにほとんど動かすことの出来ないダイヤルでは不可能です。当然と言えば当然ですがこの辺がテレビ局の演出なのでしょう。探るには軽い動作をするダイヤルが対象なのは素人にも分かりそうな物です。
最近はドリルを使って開けることを許されているようなので、鍵屋さんはやりやすくなったでしょうが、私の時は一番最初でしたから、どんなことをしても開けるという方針の下、とても大変だった記憶があります。(最後の北海道の現場)
 
滋賀県の現場が終わった後私がテレビに出るのをやめると言った時、仲間からは代わりの人が出るのですが後悔はしないですかと声をかけられました。私はアジアから誰もなしえなかったカギの国際機関で活躍出来るようになった者としての誇りがあればテレビに出ることが大事では無かったですから、田舎に引っ込むことに納得して現在があります。
 
次回は私がアメリカで教育している100万変換のダイヤルの開け方のさわりだけを少しご紹介したいと思います。
 
先月の13日から20日にかけてアメリカのラスベガスで行われた鍵師の国際会議に出席しておりましたのでそれも少し別の記事で報告致します。
 
田舎の鍵師 桑名隆
 

私がテレビに初めて出たのが