ある日の出勤時、逗子駅から出発した横須賀線車中に急にすえた臭いが漂った。お手洗いのついた車両だったので、そこから臭っているのかと思い、読書を続けた。

 

大船駅に着いた時、ふと目をあげると若いママが、子どもを片手に抱っこし、もう片方の手でもう一人の子どもの手を繋いで降りて行った。ママの表情は茫然としており、はいているデニムの前方には不思議なまだら模様がついていた。私は一旦本に目線を戻したが、ふと気になってその母子が座っていたあたりの席を見ると、座席に嘔吐の跡があった。

(この記事を食事中にご覧になっていたらごめんなさい!)

デニムのまだら模様は、嘔吐の跡だったのかもしれない・・・そう思った時には既にドアは閉まっており、母子がとぼとぼと階段を登っている後ろ姿が見えた。よく見ると、抱っこしている子どもは半裸だった。あの後、お手洗いに行ってなんとか綺麗にできただろうか。子どもの着替えは持っていただろうか。いつまでも気になった。

 

 

そして、そこまでの大変さではないにしろ、自分が茫然とした時の記憶が蘇った。

 

 

おサルがうんと小さい頃、冬に風邪をひいて咳き込みがちだった時。夜中、咳き込みついでに寝ているお布団の上で勢いよく夕食で食べたものを吐き、大泣きした。まずはおサルをなだめて、新しいお布団セットを用意してなんとか寝かしつけた。その後汚物にまみれたお布団の後始末をして、全てが終わった時にはしらじらと夜が明けていた。特に熱があった訳ではなかったので、翌日は母子共に寝不足のまま、それぞれ、保育園と会社に行った。

 

 

もっと、肝を冷やしたこともあったっけ。


まだ東京に住んでいた頃のこと。遠方に車で移動しなければいけなくて、私が1人で運転をして、2歳位だったおサルが斜め後ろのチャイルドシートに乗っていた。おサルがぐずり始め、どう声を掛けても泣き止まない。そこで一旦車を停めて、オヤツの袋に入っていたプラスティックのシートを手渡すとニコニコとご機嫌になって遊び始めた。既存のおもちゃよりも、おサルはこういうものが好きだった。触るとパリパリ音がするので、楽しかったのだろう。安心して再度車を走らせ、環八に入ったところで、都内の運転が苦手な私は一層集中していた。すると後ろのおサルがグエッと変な声をあげた。バックミラーでおサルを見ると顔が苦しそうに赤くなって、手足をバタバタさせていて、様子がおかしい。そしてなんと、手に持っているプラスティックのシートのふちが欠けている。かなり固いものだったのに、噛み切って喉につかえたらしい。慌てて車を三車線の端に寄せて停め、おサルを抱き上げ、口の中に手を突っ込んでシートのかけらを掻き出した。おサルはワーンと普通の泣き声をあげ、私はホッとしておサルの背中をさすってなだめながら、プラスティックシートを安易に与えた自分のアホさ加減に落ち込んだ。すると、車の窓をトントンと叩く人が居る。半べそをかきながらウィンドウを開けると、その人が言いにくそうに、言った。「あの、あなたが車を停める時にうちの車にこすってました」

 

 

その後、どうやって後始末をしたのか・・・今ではもうすっかり忘れてしまったのだけど、確か示談にしてもらい、お互いに保険会社に対応をしてもらったんだっけな。今考えたら、こすった位で済んで本当に良かった。一歩間違えたら大事故になっていてもおかしくない。その後、怖くなってしまって暫く車を運転したくなくなったものだ。



おサルは小さい頃からのアミノ酸ドーピングのお蔭かかなり丈夫で、保育園の呼び出しも殆ど無く、大きな病気もしなかった。恵まれた労働環境で、家族、理解のある上司や同僚、ママ友や地域の方にも沢山助けてもらえて、しかも1人しか育てていないので、私の母業はかなり楽だった方だ。他の方の母業の苦労話に比べても、おサルは手間のかからない子で、お互いの性格的な相性も良く、沢山対話も出来て、実に楽しい子育てをさせてもらった。だから、学生からのインタビューや、キャリア漫談の時に「母業でどんな苦労をしたか?」と聞かれても、大抵あまり上手く答えられない。そして、子育てより介護の方がもっと大変だと思うから、改めて聞かれない限り、子育ての大変さを語ることは殆ど無かった。

 

 

横須賀線での出来事は、そんな私でも、全てが楽だった訳じゃない、子育てってやっぱり大変なこともあったなぁということを思い出させてくれた。

 

 

今週のNHKの朝ドラ「虎に翼」では、主人公の部下が妊娠して、その後のキャリアへの不安を抱えながら産休に入ることになった。「あなたがちゃんと戻れる様に席は確保してある。でも、絶対に戻らなくてはいけないということじゃない。子育てに専念をしたいならそれもよし、あなたがやりたい道を選ぶのが一番。選択肢があるということが大事なのよ」という主人公の上司ぶりには、激しく共感した。

 

 

25年前、私にも、同じ様に声をかけてくれた斜め上の上司Fさんが居た。妊娠した時、120~30名位の人が居た同じフロアーには既婚女性すら少数派だったし、そもそもワーキングマザーは私の周りに存在しなかったので、当然辞めなければいけなくなったと思い込んだ。Fさんは直属の上司ではなかったが、私を気にかけて育てようとしてくれていたので、最初に報告した。私が「妊娠してしまいました。残念ですが辞めることになります」と告げた時、Fさんはフロアーの端っこの会議室に私を連れて行ってから、小さな声で言った。

 

 

「おめでとう。あなたは自分のことを全然解っていないみたいだね。あなたは専業主婦には全然向いてないよ。今は妊娠してナーバスになっているだけだから、今辞める判断をするのは止めておきなさい。事業部では誰も取っていないけれど、試しに産休・育休・短時間制度を使ってみればいい。無理だと思ったら、その時に辞めればいいから。」


そんなふわふわした感じで制度を利用して本当にいいのか?と驚いたけれど、産休に入った私は、Fさんの言ったことに納得することになる。確かに、専業主婦には全然向いていなかった。私はちっとも、献身的な性格ではないのだから。



大げさではなく、私にとってFさんは選択する自由を与えてくれた大恩人だ。そう、キャリアにとって、選択できるって、本当に大切なこと。

 

 

今月はキャリアのワークショップや、キャリアのよもやま話をする機会に幾つか恵まれて、度々、政府や経営幹部が旗を振る女性活躍推進への違和感の話題も出た。女性管理職比率を上げるという手段が目的化され過ぎてしまって、誰のことも幸せにしていない、と。

 

 

そもそも、女性活躍推進の目的は何なのか?
 

 

活躍って、何のことを指しているのだろうか?組織内で管理職になることだけが「活躍」じゃない。私は今管理職になって、それは私個人としては良かったと思っているけれど、管理職ではなくても、「活躍」している同僚は沢山いる。うちのおサルも含め、管理職になりたくない若手も増えている。

 

「活躍」を「イキイキ生きているかどうか」と定義したら、男性活躍推進をやった方が良い場面だってあるだろう。家庭や地域社会で「活躍」したいと考えている男性の支援は、女性よりももっと必要かもしれない。

 

 

昨今では、女性活躍推進はダイバーシティ&インクルージョンの重要施策の一つに位置づけられている。

 

 

以前、別の連載記事でも書いたけれど、ダイバーシティ推進で大事なことは、ジェンダーやLGBTQ、障がいなど、属性が持つ個性に配慮することだけではない。ダイバーシティの本質的な目的は、それぞれの人の多様な才能をどう活かすか、意思決定プロセスに多様な意見を入れて、そこからどうやって新しい価値を生み出していくか、ということ。そのためには、組織なら日頃から上位職が立ち居振る舞いに気を付けて、下位職の意見が出やすい安心・安全な組織風土を作って、オープンでフラットで双方向の議論をきちんとできるように、コミュニケーション改革とマネジメント改革をすることが一番大事。



そして、年齢や属性に関係なく、人生における当たり前に大切な様々のこと・・・家事、子育て、親のケア、治療、学び、友人との時間、趣味、地域活動などが、苛烈な職業生活でないがしろにされない様に、より良いワークライフバランスが取れる様に、もっともっと働き方の選択肢が拡がることも大事。


そういう組織や社会なら、ほっておいたって皆が、それぞれの才能を活かして「活躍」できる。その結果の1つとして、もしかしたら女性の管理職比率も上がるかもしれない。若手も管理職になりたくなるかもしれない。でもそれは、強制するようなものじゃない。結果としてついてくるものだ。

 

 

私も微力ながら、残りの組織人生活において、その様な組織風土を作って行く一端を担っていきたい。

 


そうそう。

紆余曲折あって、おサルは9月から3社目で働くことになった。
 

 

今回の転職活動のプロセスでも、折に触れ相談を受けたけれど、彼の生き方はちょっと不器用で、でもその価値観はシンプルでとても解り易い。金、地位、名誉のいずれにも関心が低いそのキャリア観、労働観からは、私も学ぶことが多かった。キャリアは正解の無い世界だけれど、おサルなりに、過去の学びをしっかり活かして前に進んでいるので多分大丈夫だろう。詳しいことは、彼がもう少し落ち着いたらここでも書いてみたい。


 

数日前、おサルからLINEが来て、逗子の彼の部屋の机の上にある、私が昔書いて渡したメモの写真を撮って送ってくれという。そのメモは、こんな内容。

彼が仙台に住んでいた時、一度だけ遊びに行った私がその部屋の汚さに愕然として、その場で書いて渡したものだ。このメモがまた必要になっているということは、きっと今の部屋がまた相当汚いんだろう。新生活が始まるにあたり、心機一転綺麗にしよう、ということかしら?

 


波波波波波

 

 

 

さて、今月私の心と体の栄養になったもの。

 

月初には、檀家になったお寺で、合同の新盆供養会があった。父が亡くなってからあっという間に半年。久しぶりに父とゆっくり向き合う時間を過ごした。

 

 

そして、誕生日が近い学生時代からの朋友と、毎年恒例の合同お誕生日会。今年は奮発して、日影茶屋にて懐石コースを堪能。こういう時間の過ごし方が、実にマダム的になってきたな・・・


 

 

お盆休み中には、地元友達が主催するフラのお教室のステージにて、歌わせて頂いた。

生徒さん手作りの葉っぱのレイと、その方のお家のお庭で咲いたという素敵な色のハイビスカスをつけて頂いて、これぞ馬子にも衣装。


ステージは鎌倉の海の家だったので、汗だくだくでウクレレが滑ったけれど、海を観ながら、美しいフラを観ながら、実に気持のよい、楽しい30分だった。

7月に続いて2ステージを終えた我々、名付けて「QK Sun Visors」。これからも宜しく~♬

 


そして、お盆休み終盤には葉山で行われたキューバ音楽のLIVEへ。

初めて行った会場は海際。私の自転車には2019年、まさにキューバで買ってきたチェ・ゲバラとHABANAのプレートがついているので、意気揚々と停めたら「アメリカなら捕まりますよ」だって。

ハーモニーが美しくて、高揚するリズム。

まさかの冷房無しの部屋で2ステージ、大変お疲れ様でした!

会場から見えた夕焼け。

 

 

月末には、地元の朋友と一緒に鎌倉の海岸へ。行く途中、音楽仲間のやっているお店で久しぶりに爆買い。

通りがかりの古着屋で一目惚れしたこれは、おサルへの転職祝いとするか。

 

 

爆買い後は、由比ガ浜のタイの屋台村へ。同じ海でも逗子とは全然違う。まるで小旅行に来た様な雰囲気で、テンションが上がった。


お料理も本格的で美味しかった。もう一回くらい行きたかったけれど、時間が取れなかったな・・・

 

 

その他、目にも体にも美味しかったもの。小さな虹、見えるかな?

来月は、小旅行が3回、キャリアイベントが3回。更に自分が受けるキャリア研修もあって、楽しく忙しい。

仕事もプライベートも、最高の生産性で過ごすことを誓います!

 

 

 

先日、53歳の誕生日を迎えた。

その朝、お仏壇では、普段よりも長めに手を合わせた。お仏壇は昨年、母が亡くなった時に設置したものだが、家に神社仏閣がある様で良いものだ。両親共に亡くなると、見守られている感も半端ではない。
 

この歳になると、誕生日にはもう何もかもに、感謝の気持ちしか浮かんでこない。

 

この世に生まれてきたこと、今も生きていること。

敬愛する向田邦子さんの享年を2年も超えた。

 

心身共に健康。何不自由なく暮らせていて、大きな憂いも無い。

その殆どが努力の結果として手に入れたものではなく、たまたま手に入れたもの、維持出来ているもの。普通に有ること自体が難しい。

 

俺様街道を突っ走り、人様に沢山迷惑を掛け、沢山の方にお世話になって生きてきた。既に、恩送りをしまくらねばならないステージに突入中。

 

 

これからの人生でも大切にしていきたいものは、

 

 

自由

自立・自律

誠心誠意

コミュニケーション

越境

強みへのフォーカス

目的志向
ダイバーシティ・マネジメント

治外法権

 

ワークとライフの相乗効果
 


音楽

読書

映画

 

息子

友達

 

時間

 

心と体の健康

 

ふざけること

面白がること

 

 

ふふふ、一杯あるな。

 

 

これからも、仕事では社会のために、プライベートでは自分と周りの大切な人のために、しっかり生きていくつもり。

 

皆さん、いつも本当に有難うございます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹

 

 

毎年特別なこの7月。今月、私の心と体の栄養になったもの。

 

恒例、逗子駅の七夕飾り。

 

ディンギーヨットで名島へ散歩。

 

新しいJazz系ユニットでの愛媛演奏合宿&初LIVE。

(このユニットの詳細は、いずれお披露目するつもり。)

これは勇気が出なくて買えなかったわ・・・

 

久し振りに招かれて、ハワイアンを演奏させて頂いたこちらは、鎌倉パークホテルにて。

控室がラグジュアリーな和室。

会場のカーペットも海仕様。

ホテル入口は百日紅が満開だった。演奏中の写真は残念ながら無い、てへへ。

 

いつもの、長者が崎のおばあちゃん家みたいな「OHANA」の庭先にて。

鉄板のまるわ食堂でも。

 

そして、今年も行けた、日影茶屋のお祭りと葉山の花火大会。

これ以外にも、タコ焼きにお餅にジュースにと平らげ・・・完全に肥え続ける私。

 

とんでもなく暑いけど、お蔭様で夏バテとは無縁。こんな丈夫な体に産んでくれた親にも改めて感謝。

皆様、お互いにしっかり食べて飲んで寝て、なんとかこの猛暑、酷暑を無事に乗り切りましょうね。

 

 

 

図書館通いを再開したら、活字中毒に加速がついて不規則睡眠が続いている。

 

先日も、久しぶりに有休を取って読書三枚の贅沢な時間にしたまでは良かったが、中途半端な時間にガッツリとうたた寝をしてしまい。起き抜けにボーッとしている間に、夜に入れていたコーチングのカリキュラムの時間はとうに過ぎてしまっていた。自分にガックリ・・・。

 

この様に、私は本の世界に没頭する余りに生活に支障をきたしてしまうことがある。電車を乗り過ごしたりするのもよくあること、本当に注意が必要だ。

 

途中で止められなくなりがちなのは物語、そして評伝や自伝。特に、実在した人物の評伝や自伝は面白くて仕方がない。キャリアコンサルタントとしては、やっぱり人の生き様が気になるのよね。

 

 

最近読みごたえがあったのは、斎藤明美さん著の『高峰秀子の捨てられない荷物』。

 

去年、高峰秀子さんの『わたしの渡世日記』を読んで、ご自身の激動の人生について突き放した様な書きぶりに惚れ惚れしたので、その後も高峰秀子さんのエッセイは折に触れて読んでいる。そして、今回読んだ『高峰秀子の捨てられない荷物』は第三者の視点から書かれているが故に、ご本人が自覚し得ない深層心理や、鴛鴦夫婦と称された松山善三さんとの夫婦関係の構造にまで入り込んでいて、猶更興味深かった。

 

日本映画史上、最高の三大女優・名女優と言われたのに何故55歳で早々に引退したのか。小学校もろくに通えなかったのに、どうやって至高のエッセイストになったのか。彼女の様に才能溢れ、注目され続ける女性と結婚した松山さんは、どの様な覚悟を決めて夫として寄り添い、お互いのどの様な努力により、深い愛情関係を維持したのか・・・

 

この様なことが書けるのは、そしてご存命中のご本人達から書くことを許されたのは、著者の斎藤さんがその稀有な無防備さと率直さから、徹底した人嫌いであった高峰秀子さんの懐に唯一入り込んだ存在だったから。斎藤さんが何故そこまで高峰秀子さんに入れこんだか?それは、高峰秀子さんがそれほどまでに魅力的な人だったから。彼女は、ついには松山家の養女となって、お二人が亡き後の意思を継いで様々な活動を展開している。

今年は奇しくも高峰秀子生誕100年だそうで、記念イベントが催されている。「夜7時の高峰秀子を観て語る女の生き方講座」だって、面白そう。何処かでタイミングが合ったら行ってみようかな。

 

 

女の生き方と言えば、今のNHKの朝ドラ、「虎と翼」からも目が離せない。日本で初めて女性としての弁護士、判事、裁判所長となられた三淵嘉子さんをモデルにした内容だけれど、女性が生きる中で抱えがちな葛藤を率直に描き続けてくれていて、自分のことの様に感じている人も多いのではなかろうか。しかも、悲しいことに、ここで描かれている葛藤は今も殆どそのまま続いているものばかり・・・。まさに、女は三界に家無し。

 

 

今月は、会社の創立記念日に今年で3年目となる、恒例の同期合宿をやった。皆それぞれに家庭のこと等を背負っている世代なので、途中参加・途中退出しやすい様に今年も東京開催で。そして、恒例の(1)ランチ、(2)夜ご飯、(3)一棟借り出来る宿にお泊り に加えて、今年は(4)入社30周年記念のキャリアのワークショップ&アフターのストレッチも入れた4部構成に。

 

 

集まった殆どのメンバーは地域限定一般職での入社で、会社の屋台骨を支える地味な、でも大事な仕事を担っているメンバーばかり。上からも下からも頼られ、場面によってはいいように使われ、組織の潤滑油をやらざるを得ない世代でもあり、尚且つプライベートでも子どものこと、パートナーのこと、親のこと、自分の健康の心配などもあって、充実もしているけれど、比例してストレスも大きい。

 

だから一切の心配なく、気兼ねも無く、好きなだけ愚痴ったり文句を言ったりできるこの場は本当に貴重だ。何より、皆優しくて、気立てが良くて、細かいことまでよく気が回って、しなやかで、時々お茶目で可愛くて、それぞれに個性豊かで・・・本当に自慢の同期だな、と毎年しみじみ。

 

キャリアのワークショップは、勿論私が言い出しっぺなのでキャリアコンサルタントとしてファシリテーションをやらせてもらった。これまで自分をアピールする場面が少なかったが故に、自分の能力を言語化しきれていなくて、自信を持てない等の悩みを抱えているメンバーも居るけれど、30年の付き合いを踏まえてお互いにフィードバックをするので、その言葉には説得力があって、とても勇気付けられる。

 

議論をする中で、あるメンバーから「自分は人間力が無い」と何故か自分を過小評価するような勿体ない発言が出たので、では「人間力」とは何を差しているのか?と意見を聞いてみたら、多様な意見が出て面白かった。

 

 

・話題が豊富な楽しい人

・規則正しい生活を送っている、基礎力のある人

・自己管理能力があって、いつも心身を整えている人

・人への理解力、洞察力があって寛容な人

・「どうせ死ぬのだ」と腹を括っている人

・「寄り道」力がある人

 

 

時間が無かったので途中で止めたけれど、きっと他にもあるよね。

 

・人にも物事にも誠実な人

・自分も他人も尊重し、活かせる人

・物事を前向きに考えられる人

・自分の物差しを持っている人

・人生を楽しんでいる人、面白がれる人

 

皆さんなら、何を入れるだろうか?

 

 

「コミュニケーション」もそうだけれど、「人間力」の様に大きな概念を表す言葉は、漠然としたまま置いておくと取っ掛かりが掴めない。だからこの様に分解をしてみると、出来ていること、出来ていないことがハッキリして、何から手を付けたら良いか、行動しやすくなる。

 

キャリアコンサルタントとしては、特に「自分の物差しを持っている」という点は重視したい。人の目を気にし過ぎたり、比較の罠にはまったりすると、大抵宜しくない方向に思考が行ってしまうものだから。私が憧れて止まない向田邦子さん、高峰秀子さんなども、相手目線になれる思いやりはしっかり持ちながらも、世間という頼りないものによってブレたりしない、自分だけの物差しを確立していた。

 

 

同期合宿の後、ご縁があって参加したある講演会では、「AIの台頭によってこれから人間にますます求められるのは『人間力だ』」という話になって、ここでもまた人間力の話か!と笑ってしまった。

 

 

曰く、作業やインテリジェンスの部分はAIが代行し、サービスはどんどん均一化してしまうので、最後に差別化を図るポイントは人間性、つまり人にどう好かれるか、ということになる。人間力を磨くためには、人に沢山会うしかない。そして、既に多様化している社会の中で「常識」「コモンセンス」などというものは殆ど無くなっているので、そういうものには頼らず、多様な人と交わって、理解し合うための対人スキル、コミュニケーションスキルが必要になっていく、とのこと。その後の議論の中では旅、読書なども人間力を磨くよね、というごくごく当たり前の結論に。


高峰秀子さんが今の時代に生きていたら、なんと仰るだろうか?

 

結局、人間が自然の一部としての人間らしく、感性を大切にしながら生きる、ということが求められるんじゃないかな。元々インテリジェンスにも、専門性や技にも乏しい私は、いい時代になるなぁ・・・と楽しみにもなってきた。

 

 

虹 虹 虹 虹 虹

 

 

そんな単純な脳みその私にとって、今月心と体の栄養になったもの。

 

まずは会社の音楽系サークルの恒例LIVE@川崎セルビアンナイトに、Macintoshで出演。

今回のセットリストは

1.Heaven's kitchen/Bonnie pink
2.男たちのメロディ/SHOGUN
3.愛のままを/カネコアヤノ
4.Love Love show/THE YELLOW MONKEY
5.歌声よ起これ/サンボマスター
6.歩いて帰ろう/斎藤和義

 

キーボードのMが居なかったので必然シンプルなロックを中心に、五月蠅くまとめ・・・いや、まとまってないけれどこれでいいのだ。

もうひとつ、No Music No Life界隈の大先輩達の「還暦過ぎちゃったLIVE」@京都では、ゲストとしてコーラス参加。63歳オーバーでもお元気でカッコイイ皆さんに楽しく混ぜて頂き、音楽は一生ものだな~と改めてホクホク。



そして、海。6/2は、第1回 Zushi Sailing Festivalだった。

海を愛するメンバーと逗子を愛するメンバーが集まって、代理店も使わずに2月からコツコツ、手弁当で準備を頑張ったのを神様が見ていてくれたのか、雨予報を吹き飛ばして開催に漕ぎ着けた。


コンテンツのメインはウィンドサーフィン体験、ディンギ―ヨット体験で、他にもトークショー、ビーチクリーン、全員集合写真撮影などを展開。私は、プロジェクトマネジメント、陸イベント企画運営、そして当日のMCを担当。

参加してくれた友達からは、「ここにいるすべての人が楽しんでるのがひしひし伝わってくるし、その雰囲気も含めて素晴らしかったー!」と嬉しいフィードバックも。詳しいご報告はこちらにて。

一緒にやってくれた実行委員会の皆さん、ご登壇下さった皆さん、参加して下さった皆さん、本当に有難うございました!

来年も6月の第一日曜日に開催しまーす。

虹 虹 虹 虹 虹

 

そして、今月出会った景色、生き物、美味しい会話を盛り上げた美味しいもの、花達も。
 

 

 

さぁ、もう今年も折り返し。後半戦も、貪欲に仕事して、旅して、出会って、読んで、歌って、遊んで、食べるのだ!

 

 

 

 

 

 

 
昨日は酷い暴風雨だった。
西の方では5月の観測史上最大の降水量を記録したところもあったらしい。今年初の台風も近づいている。お願いだから、これ以上災害が起きないで欲しい。
 
夜、ニュースを見過ぎてしまうと心配が募るので、最近は、スマホには早めに寝てもらうことにしている。そもそもスマホを見る頻度も時間も減っている。両親のことで急な電話がかかってくることも無くなったので、寝室には置かない様になった。ほったらかしついでにウッカリ忘れて出掛けてしまうことも。そのせいで、明らかに電話やSNS等への反応が悪くなっている。皆様、本当にごめんなちゃい。
 
正直、インターネット上の情報に疲れてきたということもある。あの、洪水の様な広告のせいでもあるだろう。もっと、じっくり時間をかけて創られた作品を、何にも邪魔されずに堪能する時間を多く取りたいと感じる様になった。映画を観たり、話題のドラマを観たり。何年振りかで図書館通いも再開した。
 
リアルな活動は猶更貴重。今月から、今年のヨットシーズンもスタートした。前世は漁師かお魚か・・・というくらい海が好きだ。海岸に居るだけで幸せ。
 
一番小さい頃の海の記憶は、数少ない家族旅行で行った鳥取の砂丘。その次は、母方の祖父母の家があった鎌倉の七里ガ浜。幼稚園にあがる前から、定期的に遊びに行っていた。沖で足を取られて溺れかけたこともあるが、嫌いにはならなかった。
 
小学5年生の時、葉山に越してからは、一色海岸に足繁く通った。山側の道路から海に出る小道は、いつ行ってもノスタルジックな気持ちになる。
 
坂の上、殆ど山の中腹に家があったので自転車は持っていなかった。週末や長い休みには、ゴザと本と飲み物を持ってプラプラと歩いて海岸へ行き、大浜海岸側にの芝生の丘に寝転んで、本を読んだ。夏にはテキヤのおじさんが焼きそばを焼くのを手伝って、お昼にお裾分けをもらった。別のおじさんにナンパされて身元を確認したら、御用邸の警備員だった、なんてこともあった。暑くなると、防波堤からガンガン飛び込んで、ライフガードに拡声器で注意をされた。
 
一色海岸の水はとても綺麗なので、そこで慣れてしまうと、森戸海岸や逗子海岸などは汚く思えて、なかなか泳ぐ気にならなかった。その後他の海岸に行き、茶色い海を見て、自分はなんと贅沢なところで泳いでいたのかと気が付いた。
 
大学生になり、ウィンドサーフィンをやる様になってからは逗子海岸がホームゲレンデだった。東京のキャンパスには殆ど行かず、年がら年中海に居て、夜道で見えないくらい真っ黒に日焼けしていた。2月の真冬でも、湯気のあがる海上で、かじかむ手を交互に口に咥えて温めながら乗ったものだ。冬のレースの運営のため、浜で長く待たなければいけない時もあり、新聞紙、黒ビニールのゴミ袋、段ボールの温かさを知った。
 
そんな花の女子大生とは程遠い生活が終わり、引退した時はちょっと嬉しかったけれど、海が恋しい気持ちは残った。社会人になり、会社のヨット部に誘われて初めてディンギーに乗り、「なんと、座っててもいいのか!」と感激した。艇種は2~3人乗りのシーラーク。マストからワイヤーで吊るされながら、体を外に出してバランスを取るトラッピーズは、ウィンドサーフィンをやっていた自分にはとても楽しかった。

その後、結婚を機に東京へ引っ越し、出産などを経て暫く海から遠ざかったが、2003年に逗子へ戻り、2006年頃からご縁があって再びディンギーに乗る機会を頂いた。今クルーとして乗らせて頂いているのは葉山14という艇種。大きなセール(メインセール)のラインと小さいセール(ジブセール)の赤がカッコよくて、いつ見ても惚れ惚れする。
船のオーナーである船長=スキッパーのマサさんとは、コンビを組ませて頂いて、多分もう18年目くらい。海は、見るだけでも幸せだが、海に出られれば尚幸せ。寒がりのせいで、冬は冬眠を決め込む私のことも許してくれる神様=マサさんのお蔭で、毎年5月から10月は極楽セーリングシーズンとなる。
 
サーフィンをやってみたこともあるけれど、波打ち際近くで一波一人のお約束で遠慮しながら乗るのは性に合わなかった。最近流行りのSUPも、わざわざ漕がなきゃいけないのが性に合わない。やはり、海は広いんだから、そして自然の風が吹いているんだから、風と波に乗って自由にあちこち行きたい。
 
今シーズン3回目は、毎年この時期恒例のクラブレース。
学生時代はレースなんて大嫌いだったけれど、何も背負っていない社会人となってからは、このお遊びレースもお楽しみのひとつ。朝からみんなで集まって、セッティング。
幸いお天気も良くて・・・風はもう少しあがって欲しかったけれど。
今回のレース海面では、逗子の湾口近くにスタートラインが設置された。
上下の写真で左側に見えるボートは本部艇と呼ばれ、大変なレースの運営をしてくださる。今のシーズンはまだとても水が綺麗。
海上には陸上の様に目で見える様なスタートラインをひけない。だから、風が吹いてくる方向の風軸に対して90度にスタートラインを取れる様に、そして、そのスタートラインから全部のヨットが一斉に出られる様に、本部艇とある程度離したところに浮きのマーク(アウターというブイ、浮き)を設置する。その本部艇とアウターの間に見えないスタートラインがあるという前提で、スタート時刻を設定して、5分前からカウントダウンする。各艇では、時計と睨めっこしながら、スタート時刻ちょうどにスタートラインからスタートできる様に艇を操る。
上の写真の右側奥にある小さい黄色い三角のマーク(ブイ、浮き)がアウター。スタートライン前でスタンバイの図。
こちらはスタート直後の図。スタートラインを切った後は、風上に打ってあるもう一つのマーク(上マーク)を目指す。陸上のレースの様に決められたトラック、コースなどは無いので、上マークに向かう海面のどの辺を進むのか、何回方向転換(タック)をするかなどは、それぞれの艇の選択による。風、波、潮や他の艇を見ながら、適格なコース取りが出来た艇が速い、ということになる。
これはちょうど、上マークを廻ろうとアプローチをしているところ。
上マークを廻った後は風下へ、スタートラインの方に戻るために下る。スタートラインがあったアウターまで戻って、それを半時計周りに廻って、再度上マークへ向かって廻って下ってをもう1周。合計2周廻って1レース終了となる。風やコンディションにもよるけれど、この日のクラブレースは3レース実施された。
 
レースとレースの間には小休止。本部艇の周りに集まって、次のレースのスタート時刻のアナウンスを待つ。我々の艇では「モグモグタイム」宜しく、ドライマンゴーをパクパク食べたり、飲み物を飲んだりするのが恒例。

ウィンドサーフィンの学連では、下りの途中にサイドマークを打って、三角形になるトライアングルコースを廻っていた。風が無いとひたすらパンピングをして漕がないといけないので、真夏の無風レースなどは辛くて吐き気がしてきた程だ。今はそこまで頑張らなくて良いのが嬉しい。皆、無理をしないスタンスで楽しんでいる。我々の艇はレース中もずっと音楽を流しているので、一番不真面目かもしれない。今回、3レースともスタートはバッチリだったけれど、苦手な微風のせいもあって成績はイマイチ振るわなかった。でもいいのだ。
 
レースが終わった後は皆で助け合いながら片付けて、クラブハウスの屋上でバーベキュー。また秋のレースに向けて、一生懸命練習することを誓・・・わない。
 
今年はどれだけ、海に出られるかな。去年の夏は週末に雨が降ることが多かった。今年は去年の分まで海に出たい。
 
 
波波波波波波波波波波
 
 
今月、海以外にも、あれやこれやが私の心の栄養になってくれた。
 
鎌倉の極楽寺で、人生初のシロダーラ体験
綺麗に整えられた古民家で一人貸し切り状態。昭和か、はたまたインドか・・・異次元に迷いこんだ様な夢うつつの3時間を過ごさせて頂いた。

施術をして下さったのはキャリア20年のベテラン先生。私の脚(膝下)をマッサージした後、「私のこれまでの経験の中で一番筋肉が詰まっている足でした」と言われた。長年の遠距離通学&通勤、長年の海生活、更には3月から続けている、外出をしない日のトランポリン1時間のお蔭かな?体重は減らないどころか増え続けているけれど、老後に向けた貯筋は順調ということでまぁ良し。
 
そして、美味しいものたち。

 
来月からは、いよいよイベントが目白押し。
こちらのLIVEでは、このメンバー、Mackintosh2024で久しぶりにガンガンのロックをやる。

 

そして、いつもお世話になっているマリンボックス100のオーナーから光栄なお声がけを頂き、2月から一緒に準備をしてきたこのセーリングイベントがいよいよ本番を迎える。

当日私は、1日中陸でMC三昧。長年お世話になっている海へ、そして海仲間へ恩返しのつもりで頑張るのだ。ウィンドサーフィンやディンギーの体験プログラム以外にも、逗子の海の環境についてしっかり考えるトークショーがあったり、海岸で美味しいものが食べられるお店が出ていたりする予定。

参加してアンケートに答えてもらったら、オリジナルロゴのステッカーをプレゼント。是非、逗子海岸に遊びに来てね♪
あと、心配なのはお天気だけ。神様、頼むから晴れさせて~!!!!!
 
おサルが、次の就職先を決めた。
 
退職前の有休消化中に始まり、もっと長くかかるかと思われた転職活動は、結局2か月弱で終わった。
彼のこれまでのキャリアに全く関係の無い、未経験の業界の小さい会社で、5/1から半年間の契約社員生活がスタートする。正社員登用が前提だけれども、まずは、使い物になるかどうかを試されるのだ。
 
労働条件は厳しい。
今のアパートの家賃は払えなくなる予定で、働きながら次の住処も探さねばならない。
 
今年のお誕生日プレゼントをまだ渡していなかったので、「転職祝いが良い?何が欲しいか教えてね」と声をかけておいたら、
「やはり誕プレは自炊の費用を浮かせる援助をお願いできますと幸いです」とLINEメッセージが来た。
先日は、伊豆高原の実家の管理対応に付き合ってもらったが、その途中で寄った食事処では、私の奢りなのを良いことに、とんでもない量を平らげていた。
子どもの頃の小食ぶりや、食べるのがとてつもなく遅かったことを思うと感慨深い。・・・が、おサルよ、人間の体の構造では、エネルギー備蓄にも限界があるのだよ。
 
 
おサルの今回のキャリア選択は、will・can・mustで言えば、can・mustは度外視。willというよりもlikeだけで突き進む道を選んだ訳だ。
若い頃は、willは度外視して、can・mustだけで打算的、且つ堅実的にキャリア選択をしてきた私とは違って、ロマンチック街道を歩むことにしたんだなぁ。
 
 
転職活動中、おサルの目指す業界で長く働く私の友人にも会わせて、話を聴かせてもらい、アドバイスももらったが、おサルから彼女への、行き先が決まった報告とお礼メッセージの中には
「おそらく想像以上に厳しい世界かと思いますが、ひとまずガムシャラにやりたいと思います!」
という言葉があって驚いた。
普段、飄々としているおサルの辞書に「ガムシャラ」なんて言葉があったなんて!
 
でも、ここまで割と「ガムシャラ」に仕事をしてきた私としては、勿論嬉しい。
仕事に対するスタンスは人それぞれだけれど、やっぱり一生懸命真面目に打ち込む人の方が好きだし、信頼できるから。
 
 
元来体育会系ではなく、ストイックとも無縁な生活を送ってきた私が、人生で初めて、一番打ち込んだのが仕事だったのかもしれない。学生時代までは、放送部や委員会活動も、バンドも、ウィンドサーフィンも、アルバイトも・・・とそれなりに忙しくしてきたが、当時からマルチタスクが得意だったからやれていたことだし、自分の中で「楽しい」を超えない範疇の中で、と無意識に決めていた様に思う。
 
最近、学生時代のウィンドサーフィンの同期が、当時のことを思い出して、「いつも、どうやったら速くなれるかを考えていた。上手な人の動作をよく見て、真似をして、自分のものにしていった」と話していたが、同じ時期、私が考えていたことは、「太陽が波に反射してキラキラ、綺麗だなぁ~」とか「江の島まで行くなら、どんなオヤツを持って行ったらいいかな~、袋にフルーツを入れてボードの後ろに結び付けておいたら、辿り着いた時にはうまいこと冷えているかな~」なんてこと。必然、彼女はインカレ1位になり、私は予選すら通過しなかった。
 
 
でも、仕事を始めてからは、私なりに求められていることを一生懸命学び、自分が関わった分の付加価値をつけて、次の方にバトンタッチが出来る様に・・・と努力してきた。その改善も、より本質的に、そのために、長期・全体で捉える様に、そして速く。そういう職業人で居続けることが自分の誇りにもなっている。
 
おサルの選んだ道は一般的には茨の道だ。
 
でも、好きな世界だからこそ、逃れられないハードワークにも不条理にも耐えて、続けて、その中で実力をつけて、結果を出して、よき出会いを活かして、信頼貯金を貯めて・・・自分自身のキャリアを自分でしっかり切り拓いて欲しい。
環境のせいにする人ではなく、「自分だったら何ができるか」と考えて、行動ができるプロフェッショナルになって欲しい。
 
母としては心配しか無いが、キャリアコンサルタントとしては楽しみだ。
最近観て感動した映画、「浅田家!」の主人公、写真家の浅田政志さんのお母様の様に、どっしり構えて見守りたい。
 
 
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さて、「ガムシャラ」街道を歩み続けてきた私も、セカンドキャリアについてはもう少しwill・want・like寄りに、そしてこれまでとは違ったペースでやりたい、と考え始めている。「人生100年時代だから・・・」とお尻に鞭を打つ様に煽る風潮もあるけれど、ちょっとした違和感もある。だって、健康寿命も延びるとは限らないんだから。
 
先日、ガーナからのお客様との食事会があった。

日本は初めてとのことで、印象は?と聴くと「Japanese are very busy」だって。ガーナでは「カックラカックラ」(ゆっくりゆっくり、step by step)という大事な言葉があり、度々使うそうだ。

 

そうだよね。

こんなに忙しくする必要があるのか、忙しくしている分の成果は上がっているのか、そこをもう一度考えなければいけない。

2023年度の国際比較では、日本の1人あたりの労働生産性は、OECD 加盟 38 カ国中 31 位、データが取得可能な 1970 年以降、最も低い順位だって
 

個人としては、OECDの物差しだけじゃなくて、自分の心の中にある物差しでどうなのか、も考えたい。

 

文藝春秋5月号「有働由美子のマイフェアパーソン64」では、作家の万城目学さんが興味深いことを言っていた。
 
「私には無職の才能があった」
会社を辞める前の有休消化期間中に、くまのプーさんの3000ピースのジグゾーパズルを買ってきて、背景の空の青を1時間に1ピースのペースではめて・・・(中略)・・・
「何やってるんだろうなと思いながらも、ピースを探す自分も愛しいし、有意義に使える時間をどぶに捨てる楽しさというか」
 
これに対し、有働さんも
 
「有意義でないと無駄と思い込んで生きて参りましたが、有意義って誰のための有意義だったのか。もしかして私の費やしてきた有意義な時間は自分のためではなく、誰かが作った社会常識に添うだけの有意義だったのかもしれないなとドキッとしています」
 
と自戒している。全く同感だ。
 
だから、最近の私の挑戦は自分のwill・want・likeにどれだけ正直に、過ごせるか。
「いや、これまでだって、十分好きな様に生きてきた様に見えるけど」と言われるけれど、もっと、もっと、と貪欲になっている。
 
やるべきことをさっさと先に終わらせる性質なのは、その後の時間が気持ち良いからいいとして・・・
時間が全然足りなかったワーキングマザー全盛期の後遺症の様な、うたた寝すると罪悪感を感じてしまうとか、予定を詰め込み過ぎてしまうなどの癖は辞めたい。
自然の中で、カックラカックラ。もう少しゆったり過ごしたい。
 
 
そんな私の、今月の心と体の栄養。
 
大好きだった、懐かしきオバQ達。
 
美味しいものたち。

学生時代、沼津での夏合宿の間に行っていた、懐かしき丸天。

 
同窓会に来やしない同級生と行った、淡路島。

ちょうど桜が見頃だった。

何処に行っても浜辺はチェックしておきたくなる。

 

GW最初に行った七面山と身延山。

頑張って登ると涅槃(ねはん)に達するという、久遠寺の石段は 104m。1段1段が挑戦的な高さで、恐ろし過ぎて手すりを磨きながらしか上り下り出来なかった。
文句無しの青空。ロープウェイに乗り、7分間で辿り着く奥之院からは、富士山も富士川も一望できた。
 
地元逗子のハーフマイルビーチも、相変わらずいい感じ。朋友の連れてきたワンコも寛いで。

5月からは、今年のヨットシーズンがスタート。
6月からは海イベントも音楽イベントも続く予定なので、もうこれ以上何も入れないぞ~。