あまりにネタがないため、
独断で選んだ文理学科6校の年別の大学合格者数をプロットした結果をシェア。
私のこの記事 を書いていたときに調べたデータとなります。
合格者数は東大と京大の合格者数です。
(すみません、地元阪大合格者を入れると差異が見えなくなると勝手に判断)
なんと私の影の形もない1950年から2022年までです。この全期間で大阪府立の学区は
13学区
5学区
9学区
4学区
学区撤廃
と変遷してます。私の時代(他県におりましたので関係なし)は9学区でした。
グラフ内にも記載してますが、
第一は北野+豊中、第二は茨木、第三は大手前、第四は四條畷、第五は高津、第六は天王寺、第七は生野、第八は三国丘、第九は岸和田、ですね。
その後は、
第一は北野+豊中+茨木、
第二は大手前+ 四條畷、
第三は天王寺+高津+生野、
第四は三国丘+岸和田
と1学区内に2個も3個も今の文理学科校がある状態だったそうです(興味もなかったんですが)。
では、合格者数の推移を見てみましょう。
横軸は年ですが、受験年にしております。つまり、学区割が変更になった年の3年後に受験し、合格者数が出るので、上の学区制の矢印はその年までと記載してます。ちいさいので拡大願います。私も含め老眼にはきついです、すみません。
1965年までの13学区制のときは北野、大手前、天王寺が実績をグングン伸ばしていたようです。大阪市内の人口増による?のかもしれませんね?
五学区制になると大阪府立三校の独壇場。三校とも各校100から120人の合格者が出る恐ろしい時代です。いまの北野高校が3つあるという時代。大阪星光学院や清風南海などの私学の実績が立ち上がりつつあるときです。※西大和も追加しました。
3校と私学2校(加えて紫の西大和)だけをプロットしたものです。
そして、長期となる9学区制では
・大阪市外の郊外エリアの茨木、三国丘、四條畷も40〜50人規模に。
・天王寺、大手前は上記三校の数字まで落ち、北野はその上レベルまでに留まる。
私の時代は北野についで三国丘が合格者が多かったんですね。黒の線が緑の線を上回る1988,1989年のあたりです。
・90年代に入ると私立勢、大阪星光学院、清風南海が、2000年代入ると西大和が激増。結果、文理学科高校は横並び、
です。
最後の四学区制では、北野、天王寺が増えています。茨木が少し減ってますので、北野へ流れたのかもしれません。天王寺は高津、生野からも流れてきたのかもしれませんね。
結果的に、学区撤廃でより加速的に、北野へダントツ集中、天王寺が少し下をキープ、の形になった、ですね。茨木、大手前、三国丘はほぼ20-25人で落ち着いてます。
一方私立は星光から西大和へ人が流れてる感じですか。
以上、大阪府立文理学科の合格実績推移でした。