音楽だけが時間を超えるよ──『映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!』 | ますたーの研究室

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英詩を研究していた大学院生でしたが、社会人になりました。文学・哲学・思想をバックグラウンドに、ポップカルチャーや文学作品などを自由に批評・研究するブログです。

 

『映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!』は、とてもいい映画だった。

 

(C)映画トロピカル~ジュ!プリキュア制作委員会
 

様々な点で完成度の高い隙のない作品だった。特にトロピカる部の面々のファッションやシャンティアの美しい情景を筆頭として、全般的なビジュアルの良さは特筆すべきものがある。

 

 

全体を通して話はわかりやすく、メリハリがついていたおかげで今何をしっかり観るべきかをかなりはっきりと把握することができる。

トロプリチームが主役の映画、10年ぶりのハトプリチームの登場、ゲストキャラであるシャロンの掘り下げ等々、描かなければならないことは相当ボリューミーで尺がカツカツだったと思われるのだが、変身に惜しみなく尺を割いてくれたのが大変素晴らしかった。トロプリチームの変身を1人ずつフル尺で見せてくれたのは思わず感嘆の声を上げてしまった。ハトプリチームの変身もとてもいい。10年以上経っても色あせていない。特にキュアムーンライトの変身のシークエンスがいちいち格好よくて率直に驚いた。やっぱり変身はプリキュアシリーズの醍醐味だと心から思ったところである。

 

 

本作について色々と語りたいことがあると思うのだが、本記事では1点だけ「シャンティアのうた」についてだけ書きたいと思う。

「音楽だけが時間を超えるよ」──これは今年の11月1日に26年間の活動に幕を閉じたV6のラストシングル「MAGIC CARPET RIDE」の一節だが、僕はシャロンを囲んで歌を歌い継ぐクライマックスの場面を見ながら、折りしも解散していったV6のことを重ね合わていた。

だから、自分は本記事でプリキュアのこととV6のことを織り交ぜながら文章を書いていこうと思う。いつにもまして取り留めのない記事になると思うが、それでもよければお付き合い願いたい。

 

復興について

本作は全体通してギャグとシリアスのメリハリがよく、冒頭から中盤にかけてすごく楽しくてトロピカっている感じを出すからこそ(「そうです」みたいなさりげないギャグがいちいち面白い)、最後にしんみりとした空気になるのが効いてくると感じた。端的に言って本作はシャロンの悲劇だ。

 

 

ある日、トロピカる部の面々は雪の国の王女・シャロンから戴冠式への招待を受け取る。列車に揺られて到着した雪の国・シャンティアはとても美しい国だった。ハトプリチームとも出会いを果たし、えりかとローラが少し険悪になりかけるというアクシデントもあったものの(えりかが狂言回しだけでなく、きちんとえりからしく物語を進める役割を果たすのも素晴らしかった。この辺はさすが成田さんという感じだ)、友情を築いていく。

 

そうして迎えたシャロンの戴冠式、だがどうにも彼女の様子がおかしい。彼女は招待したゲストを雪の国に閉じ込め、強制的に彼女の国民にしようとする。実は、シャンティアは遥か昔に隕石の衝突という災厄によって滅んだ王国であり、一人シェルターにて保護された彼女だけが生き延び、悠久の時を経て復活を遂げたことが明らかになる。こうして目覚めた彼女は、すでに失ってしまったものの全てを取り戻そうとする。共に女王を目指す者として一度は心を通わせられたローラは、彼女のやり方は間違っているとして止めようとする。倒すのではなく、凍り付いてしまった彼女の心を溶かすことに、本作の焦点が当てられていく。

 

 

僕は本作を、震災から10年が経った今の復興の寓話と受け取った。シャロンは、大昔に失ってしまった全てを取り戻したかっただけで、ただその方法が間違っていたに過ぎない。家族も国も災厄によって失ってしまい、遥か未来に突然目覚めてしまった私はいったいどうすればいいのかという挿話は、シャロンの立場になって考えて見るととても重たい。それでも、全てを失ったとしても、いつか前を向いて未来に希望を託すしかないというのは、凡庸でありきたりなのかもしれないが、本当にそれしかないのだろう。

 

 

物語のクライマックス、野望が潰え、命ももう長くないと絶望するシャロンに対して、ローラはかつて彼女から教えてもらったシャンティアの国の歌を歌う。国も命も全て失われたとしても、歌は残る。残った私たちは、あなたとの記憶を忘れないために歌い継ぐという持って行き方は、たいへん誠実でよかった。残された者は、いなくなってしまった者のために、歌い継ぎ語り継ぐ使命があるのだ。

 

 

シャンティアの歌を歌い継いでいく場面にも惜しみなく尺を割いてくれたのがとても素晴らしい。あの場面は、シャロンの最期を見届ける大変重要な場面でもあったからだ。シャンティアの歌を聴いて消えていくシャロンの最期はとても悲しかったが、彼女にとって幸福な最期だったとこれは間違いなくそう思う。なんというか、楽しくて浮かれている状態だけがHappyではないということに、改めて気づかされたような心持ちがある。全編通して、間違いなくシャンティアは幸せの国だと僕は受け取った。

 

歌は残る

ここで話題は変わるのだが、11月1日に行われたV6のラストライヴは、本当に本当に素晴らしい公演だった。一生の思い出に残るコンサートを見たという実感がある。

 

 

自分は取り立ててV6の熱心なファンだったわけではないが、「学校へ行こう!」世代でもあることもあり、小さい時からテレビでよく見ていた人たちだった。コンサートで直接的にお見掛けすることは結局一度もなかったが、Amazon Prime Videoで配信となったライブをいくつか鑑賞すると、「愛なんだ」や「WAになっておどろう」以外にも、知っている楽曲、聴いたことがある楽曲が結構あることに気づかされた。デビュー当時から現在に至るまで、パフォーマンスが衰えるどころか、最後まで進化を遂げていったのは本当にすごい。26年間誰一人欠けることなく、とても綺麗な形でグループを終えられたことは、日本のグループアイドル史に名を残す偉業だと僕は信じて疑わない。

 

 

確か井ノ原さんの言葉だったと思うが「僕達の活動は今日で終わりになってしまうが、僕達の歌はいつまでも残り続けるから、いつでも聴いてほしい」という趣旨のことをおっしゃっていた。

もうV6のパフォーマンスが見られないことは、端的に言ってすごく寂しい。にわかV6ファンの自分がそうなのだから、昔から応援していたV6ファンの心中は察するに余りある。それでも、彼らの作品はずっと残り続けるのは、ファンにとってはやはり希望なのだろう。

 

 

ラストシングルとなった「僕らは まだ/MAGIC CARPET RIDE」について、今の彼らが「僕らは まだ」という楽曲を歌うことの意義にもかなりぐっとくるものがあったのだが、個人的には「MAGIC CARPET RIDE」がすごく気に入っている。作詩を手掛けた土岐麻子の音楽が好きというのも大いにあるのだが、そんな彼女が「音楽だけが時間を超えるよ」という一節をV6に向けて書いているのが、本当にいい。音楽の力、というととても陳腐に響いてしまうきらいもあるが、やはりこれも疑いようのない真実なのだろう。音楽には形がないし、人を直接的に助けることもできない。だが、音楽にしかできないということも、間違いなくある。

 

 

シャロンとV6を並列するのは完全に僕の趣味になってしまい恐縮なのだが、なんというか、とてつもなくタイムリーだったと言うほかなかったので、ここに書き残した次第である。たまには音楽について書きたくなることもあるのだ。