尿取りパッドが15cc→30cc→50cc
に進化しました😌
果たして元に戻るのか
不安でしかありません
はい。
いつか書こう、書こうと思っていた
旦那のモラルハラスメントから脱却した話
2人目が産まれる今だからこそ
少しお付き合いください
私が旦那と結婚をしたのは20代の半ば
両親からは
『30歳になるまで結婚をするな。』
『家に金を入れろ。』
と言われていたのですが
知るか知るかそんなもんワシャ自由になるんじゃい
と
中学生高校とはとある部活で灰色の学生生活
短大も奨学金の返済のためやら車の免許をとるためやら生活費を稼ぐためにバイト三昧の資格の勉強漬け
社会人になってからも仕事や資格の勉強が忙しく
その中で
生まれて初めてお付き合いをした現旦那と結婚をしました
そして旦那も私が初めての彼女でございました
お付き合いから新婚生活まで
私の親がアレな以外は全然順調な生活。
どちらかが早く帰ってきた方が夕飯を作るかお惣菜を買ってくる
私は金融機関での仕事
旦那はサービス業寄りの仕事であったため
休みはなかなか合いませんでしたが
給料は当時
私と旦那
同じくらいか若干私の方がもらっていました
義母にはやんわりと
『夫婦の財布は別にした方がいいわよ』
と言われていましたが
どんな性格の良い人
真面目な人でも
お金の管理が杜撰な人、預金ができない人、カードローンやクレジットカードに手を出して収拾がつかなくなる人を職業柄たくさん見てきたため
(実際旦那は結婚が決まった時点で預金が全くありませんでした😌)
表向きは夫婦の財布は別々で
お互い負担する生活費の項目を分けて、支払いの残りはお互いの名義で預金をするみたいな方法をとりつつも
旦那の負担項目を若干重くし
私は浮いた分を預金に回して夫婦のお金として貯めていました
掃除や洗濯は
当時ね、
私の方が溜め込んでしまうタイプで
平日休みだった旦那が洗濯をしてくれたり
5、10、15、20、25、30日という
いわゆるゴトウビと呼ばれる金融機関にとってアホほど忙しい日は
帰るのも21時を回ってしまうのが珍しくなく
私が食べて帰る場合は
旦那は実家に帰りごはんを食べたり
外で済ませたり
私が遅くても家でごはんを食べるとなれば
旦那が
シーフードカレーや玉子焼き
実家のじゃがいもで粉吹き芋を作ってくれたこともありました
正直シーフードカレーは
シーフードミックスの臭みが抜けず
エビもイカも火を通し過ぎて縮こまりカチカチで
カレールゥも溶けきっておらずごはんも水加減間違えたのかベチャベチャでアレだったのですが
あんなに美味しかった、満足だと思える料理には
たぶん今後死ぬまで出会えないだろうな
それくらい
私にとって幸せでしかない新婚生活だったのです
それがある日
旦那からね
義母の癌の再発
そして転移について聞かされると同時に
もう車の運転も、家事をこなすのも厳しい状態である
ということを聞かされました。
お付き合いをしている時
義母が数年前に癌を患い、摘出手術と抗がん剤治療により寛解したとは聞いていましたが
最後にお会いしたお正月の集まりだったかなでも元気そうでしたし
まさかそのようなことになっているとは
更に旦那の口からは
『俺は長男だから実家に戻り母親を支えたい。』
『でも結婚する時、◯◯(私)に
同居は100%ない、他で家を建てるか買うかしようと約束をした。』
『だから約束を破ることになるし
離婚するか、一緒に俺の実家に入るか選んでくれ。』
と言われ
指先から血の気はひくわ
頭の中が真っ白になりましたよね
続きます
結婚の挨拶でこの家に来た時も
顔合わせの時も
義母には
『私も仕事続けているし、◯◯さん(私)の自由だけれど辞めなくていいよ』
『こんなバタバタ(ボロい)家だから、同居もせんでいいし金銭的なお手伝いはできないけれど好きに家建ててね』と言われていたので
まあ青天の霹靂でしたよね
いつもありがとうございます
耐熱ボウルに
もやし2袋
中華だし小さじ2杯パラパラ
軽く混ぜ混ぜ
ラップをして
電子レンジ600Wで4分チン
混ぜ混ぜ混ぜ
再び電子レンジ600Wで3分チン
ポン酢大さじ2杯
ごま油大さじ1杯
オイスターソース小さじ1杯
混ぜ混ぜ混ぜ
混ぜ混ぜ混ぜ
ハム6枚〜7枚ほど刻んでぽいぽい
混ぜ混ぜ混ぜ
もやしとハムのサラダ完成
ごま足しても絶対ヨキ
中華だしの旨味と
ポン酢の爽やかさが食欲をそそるサラダになりました