「働く人」と「働く場所」をより良くするために -6ページ目

キャリア後半に向けての自律準備

2018年7月のFPジャーナルの特集が、「人生100年時代のライフプランニング」だった。

 

その中で、今までとこれからの収入と貯蓄~働き方の考察、キャリア後半のサラリーマン形態だけに依存しないスキル形成の準備の必要性が述べられている。

 

経済産業省のこうした活動がキックになって、各業界団体が具体化に向けて、関連する人材へのメッセージ伝達を行っているものと思われ。

http://www.meti.go.jp/press/2017/09/20170905003/20170905003.html

 

私の勤務先でも、キャリア後半の人、会社の管理職ポジションを狙う以外の個人の成長に向けた取り組みを促進していく必要があると考え、推進を検討しようとしている。

 

定年延長や早期退職制度など、雇用の制度面だけを検討しても、それらの中身となる個人のキャリア自律が前提にならなければ、せっかく働きやすい会社づくりを目指していても、中身はスカスカで伴わない。

 

自分の業務範囲として、サクセッションプランの運用(選抜人材の配置育成)、等級職種別の要件定義と育成施策企画の方で手いっぱいで、なかなか社員のキャリア後半施策まで手が回らない。

 

でも、自分ごとでもあるし、副業の解禁のキックとなる方針立案と企画は、是非、自分が中心となって進めたいと思う。

「こうであるべき」というこだわりの盲点

仕事で管理職や幹部候補の人材j開発育成を主領域にしているので、この領域に関して研究していることを書いていこうと思う。

リーダーに必要な資質にインテグリティというものがある。以下、日本の人事部に記載がある説明から抜粋。

「インテグリティ」(integrity)とは、誠実、真摯、高潔などの概念を意味する言葉。組織のリーダーやマネジメントに求められる最も重要な資質、価値観を示す表現」

リーダーは、ビジョンを描き、内外にそれを発信し、組織の理想に向けて人の意識を目標に向けて統合的に纏めていく役割が求められます。
「あるべき姿」を組織の理想の姿、内外の人や関係先が発展的に成長できている状態を示すわけですが、その過程で関わる組織メンバーの行動や思考に「規範」を求めていくこともあると思います。

この規範について、管理職がメンバーや新人に関わる際にも「こうあるべき」「こうすべき」という態度で指導することも多いわけですが、他人に対して「こうあるべき」を求め過ぎて、メンバーとの関係や周囲との関係にギクシャクした空気を生み出している場合は、自分が他人に求めている「こうあるばき」がどこから生まれているのかを考え直した方が良いと思います。

他人や自分に厳しすぎる人は、人と人との関係性を築きにくいばかりか、最後は自分自身がパフォーマンスを落とすことになりかねないと思っています。

自分が努力しても、相手が自分の思うように動かない背景があっても、それを許すことができない。その源は、自分の承認欲求が満たされていないことの現れだったりするかもしれません。

自分はこうなりたい、他人からこう見られたい。そのためには、自分が、他人が「いつもこうあるべきだ」

結局、自分が満たされていない不満を、周囲や自分自身にぶつけているだけだと、ネガティブな発言や思考に向かいがちになる。

自分にも他人にも厳しいと、周囲から指摘される人は、自分の理想像に自分自身が到達していない不満を周囲に発しているかもしれない。
とすると、自分に対して、自分がもう少し優しくなってもいいのかな?と気づくことができると、少し何かが変わるかもしれませんね。

実践の機会

昨日、知り合いからの紹介を通じ、企業様に丸1日の社員研修をさせていただく機会を頂いた。

 

ある程度、ちゃんとした報酬を頂いた上で、自分自身としての仕事をする機会をいただけたことに感謝。

 

正直、今回は報酬は交通費程度だったとしても、やったと思う。やはり、自分が勤める企業以外の場所で、フィーを頂いてアウトプットする機会をいただくというのは本当に有難いことだから。

 

評価が問われる場で、アウトプットをするという機会があって、仕事の技術は初めて自分のものとして積み上がるのではないかと思う。基本的には、普段働く場の中でそうした機会を持つように、仕事の方向性を仕向けていくことが大切。

 

けれど、必ずしも、勤務先に常に自分の成長に適したテーマの機会があるとは限らないし、勤務先以外で評価をいただけるというのは自信にもつながる。

 

長らく、独立を目指してきたわけだから、もう少し早くこうした機会を取りに行ければ良かったんだけどね。

しかし、報酬面では副業禁止規定が依然として残る現勤務先の事情は今後も残る。

 

それでも、アウトプットするつもりでインプットする場合の学びは全然意味合いが違うし、次の機会を目指してまた頑張っていこうと思う。