昨日、山のわが家は雪が30cmくらい積もりました。
道の方は、重機で雪をのけてくれた方がいたんだけど(田舎のすごいところです)玄関は自力で雪をかかなくちゃ出かけられない。
雪かきしたらすごい大きな山ができちゃったので
「かまくらにしちゃおうか~?」
と思いましたが、そんなことしてる暇はない。バレエのレッスンあるじゃん!
ということで、小さい雪だるまだけをササっと作って玄関前に起きました。
そしてお出かけ。
通常のレッスン後、今はコンクールの練習をやってます。
ひとりずつ先生に見てもらうから、自分の番以外は練習しつつも他の人が目に入る。
この頃、毎回「わぁ~!」って思うんですけど、皆様、着実に進歩してる。美しい
自分だけ、変わらないところでうろうろしてる気がするんだけれど、でも客観的に考えてみれば自分だってわずかに~はできるようになったこともあるよね、ただ歩みがとっても遅いんだわ。
それでも、そのわずかなところは「コンクールに出る」っていう目的がなかったら、学ぶチャンスはなかったんじゃないかと思う。
本当ならちゃんと基礎を積み重ねて結果として「踊れる」のが理想なんだろうとは思うけど、大人の習い事っていうシステムでそんなことは無理なのだわ。だから小さな「学ぶ機会」からヒントを搔き集めて自分で努力しなくちゃいけないのが”大人からバレエ” なのかもね? な~んて思ったりもするこの頃です。
それでも、まるっきり基礎なしで「見よう見まねオンリー」では、ことバレエにおいては絶対無理ですよね。
今思い返せば、50代で”大人からバレエ”を再開したどり着いたSバレエで、バーの持ち方とか呼吸の仕方とか、そういうレベルの基礎から細か~く教えていただけたことは本当にありがたいことでした。
思うに、久々にやってきた大人クラスの新メンバーがあまりに~も ”どんくさインコちゃん” でどうしようもなかったから、だったんだろなぁ。先生にもそんな復習にお付き合いいただいた皆様にも感謝感謝です。
と、ここまで書いた時点で下書き保存し、その間に新聞を読んだらこんなことが書いてあって
「へぇ~!」
と思ったので引用します。
文字を書くというのはかなり精密で繊細な身体運用を要求する。筆で書くなら人差し指と中指をかけて親指で筆を押さえ、肘を上げて穂先をまっすぐ立てる。これを「懸腕直筆」という。昔お習字のときにそう教わったはずである。この姿勢をとると体軸が通る。武道家として言わせてもらえば、体軸が通っていないと手足の自由は得られない。文字を書くためには、まず体の構造が整っていないと始まらない、当たり前の話なのだが、どうも当今の子どもたちは、その体の構造そのものが崩れ始めているように思われる。
※信濃毎日新聞 2024.2.7 2面 内田樹「今日の視角」”文字の書けないこどもたち”
筆者の意図とはぜんぜん違いますが「おぉバレエにも通じることじゃないかぁ!」と思いました。
新聞なんて無駄~!って気がする昨今だし、実際「8割は無駄」って思うんだけど、ネットにはない「2割」が捨てがたく、義父が亡くなった後も購読し続けてます。
あ、あと田舎だと地方紙は情報源としてお役立ちだし、新聞紙はいろいろに使えて便利よね