クラッシュカバー(事故郵便):ハイジャックにより遅延した日航機「よど号」搭載郵便物 | 郵便・切手から 時代を読み解く

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切手コレクター必見! 経済評論家にして郵便・切手評論家でもある池田健三郎が、辛口トークと共に「ゆうびん」や「切手」を通じて時代を読み解きます。
単なる「切手あつめ」や「郵便物コレクション」とは次元の違う、奥深き大人のライフワークの醍醐味をお伝えします。

郵便の利用者は、当然ながら「急ぐ」ゆえに速達郵便を選択しますが、それにもかかわらず何らかの「事故」により郵便が著しく遅延し、速達どころか普通便よりも遅くなって名宛人に届けられるケースも皆無ではありません。

 

昨日の本ブログポストでは、昭和30(1965)年の紫雲丸事故により水没、引き揚げを経て大幅に遅延し逓送されたカバーをご紹介しましたが、画像はその15年後に起きた、日航機「よど号」に搭載され、ハイジャック事件に巻き込まれて大幅遅延となった郵便物です。

 

 

当然、このような郵便物は極めて稀にしか生まれませんので、コレクターの間では珍重されますが、稀少でありながらも「よど号」は「紫雲丸」よりも相対的には現存数が多いことが知られています。確かに、以前は大変高価でしたが、最近では価格も落ち着いてきたようです。

 

前者はハイジャックされたとはいえ、最終的に搭載されていた全ての郵便物は無傷で帰国を果たし、遅延はしたものの名宛人に届けられたのですが、後者は沈没船からの引き揚げ郵便物なので全てが無事というわけにもいかないことから、比較すれば現存数が少ないのも当然といえましょう。

 

さて、画像のカバーの背景について簡単にご説明します。1970年(昭和45年)3月31日、羽田空港発板付空港(現・福岡空港)行き日本航空351便(ボーイング727-89型機、愛称「よど号」)が赤軍派を名乗る9人によってハイジャックされました。犯人グループは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)へ亡命する意思を示し、同国に向かうよう要求、よど号は福岡空港と韓国ソウル・金浦国際空港での着陸を経たあと、4月3日に北朝鮮の美林飛行場に到着(犯人グループはそのまま亡命)しました。

 

運航乗務員を除く乗員と乗客は、福岡とソウルで順次解放されたものの、山村新治郎運輸政務次官が人質の身代わりに搭乗し、運航乗務員とともに北朝鮮まで同行し帰国しました。

 

この時この飛行機に積載されていた郵便物の多くは、急ぐがゆえに航空機に搭載された速達郵便で、宛先地は北九州が殆どでしたが、人質らと共に同機に積載されたまま飛行を続け、北朝鮮を経て解放後の同年4月3日に帰国したのです。

この郵便物は、第1種の速達郵便で、東京・牛込局で引き受けられ(消印の日付は昭和45年3月30日)、長崎市内宛であったことから、羽田発の「よど号」に搭載されて、空路、福岡を目指す筈でした。貼付切手は、新動植物シリーズの水芭蕉45円と新藤20円となっています。

 

よど号が日本に帰還した後、直ちに福岡中央局に運ばれ、そこで「この郵便物は、乗取り事故の日航機に搭載されていたため遅延しました。」と印刷された付箋が貼られ、それと共に「福岡中央45.4.3 18-24」の証示印を押捺して長崎北局(日付は昭和45年4月4日)に逓送され、紆余曲折を経て最終的に名宛人に届けられたものです。

 

なお、この郵便物の差出人が「社会主義協会」であるのは、まったくの偶然と考えるしかありません。

 

ところで、私はここ数年は、飛脚時代から昭和12年の速達郵便制度全国実施直後までの郵便物を重点的に整理し、作品に仕上げて国際コンペ(国際切手展)に出品をつづけてきました。

 

それはそれで一定の成果を修めることができ幸いであったのですが、他方で全国化以降の郵便物や、戦後の新憲法制定後の新郵便法の適用を受ける新しい時代の郵便物の整理はやや疎かにならざるを得ませんでした。

 

こうしたことから今秋から来年にかけては、そろそろ昭和12年以降の使用例を中心に、コレクションの大掛かりな整理と再構成に着手しなければと改めて思いを強くしたところです。その際には、「紫雲丸」や、この「よど号」のカバーにもしっかりと活躍の場を与えるつもりです。