おはようございます。

 

2月は逃げる

3月は去ると昔から言いますが

4月は(その事実を)知り

5月はごまかし騙し騙し

6月はロクでもなく

7月は怠けて

8月は休んで

9月に(このままでは)苦しいと知り

10月に(ことの)重大さに気づき

11月に重傷を負い

12月に重積から逃げるために

1月に(責任者が)逃げる

という1年にならないように

気をつけようと思うよしけんです。

#よく見る風景でもあるんですけどね

#今年もコシが軽い人多数

#自由を放棄した人の末路

 

さて、今朝は。

自由という暴力について。

 

今日のご飯何がいい?と聞くと

なんでもいいと答える人は

 

自由が最も尊いと思っている

自分って優しい人だと勘違いしていると

昔から思っている

ひねくれおじさんのよしけんは

 

自由の怖さ、無責任さ、そして

難しさをよく知っています。

 

ドーナツの穴を定義するには

ドーナツが必要なように

 

自由を定義するには

「束縛やシステム」がないと

説明がしにくいもので

 

自由にしていいよ、

なんでもいいよというのは

 

その枠組みを検討することを

まるすっぽ放棄した

相手に思考を丸投げした

便利な言葉なのです。

 

いやいやそんなふうに思ってない

本当になんでもいいんだって

 

と答えてきた人に、

「それならゴマ一粒で」と

答えると、初めて

 

いやそれはダメだ、

と頭を使いだすわけです。

 

僕の場合は、例えば

お好み焼き以外がいいかな、とか

ラーメンかうどん、パスタなどの

麺類が食べたいなあ、とか

肉か魚ならどっちがいい?とか

 

真っ白な空間に線をひき

箱の外殻を作ったり

 

選ぶ方向性を示唆することを

忘れません。

 

それくらい、自由は

誰かが定義しないと難しいもので

 

自由にしていいよ、というのは

最大限の信頼でもあり

最大限に挑戦されていること

でも有ります。

 

例えば、このよしけんあれこれ

というブログ。

 

自由に書いていいんです。

特定の人を傷つけるなど

モラルに反しなければ

なんでも書けばいい。

 

嘘をついてもいい、

批判だってしてもいい、

 

でも、自由にどうぞ

と言われると

実は自由な立ち振る舞いってのは

本当に難度が高いことを

日々、突きつけられます。

 

例えば、このブログを書こうと

筆を握る(パソコンの前に座る)っても

 

テーマすら浮かばない

1文字目が1時間以上出てこない

そんな時もあります。

 

だから、自由というのは

非常に難しく

 

それは、まるで

ハレとケのバランスのように

存在するものなのです。

 

制約があるから、自由がわかり

だからこそ制約の中でも

自由に楽しめる。

 

僕らの自由を阻害するのは

実は、自分自身の思い込み

 

自分を引き留めているのは

実は自分の逆の手だったり

てのはよくある話なのです。

 

だからこそ、自由ってのは

捕まえきれないし、

形にならないし、

 

どこか尊く、どこか恐ろしく

この世に存在するんだろうな

と思っています。

 

さて、今日は何が食べたい?という質問

実は相手の中に答が浮かんでいるケースが

あります。聞いてきた側が女性だと特に。

 

そこで、なんでもいいはもちろん

「カレー、絶対カレー!!」

なんて言ってしまうと、

不機嫌になってそっぽをむかれる事も

あったりしますので、要注意です。

 

カレーがいいけど、あなたはどう?

ってのが嗜みだとご記憶くださいませ。