おはようございます。
断腸の思いで、セブンイレブンの
おにぎり エビマヨネーズ味を
買ったよしけんこと食い納めです。
#二百円超えたね
#もうこれでさよならだね
#限度ってあるやろがい
#露骨に小麦に誘導しんといて
さて、今朝は。
アイデンティティ、という話を。
アイデンティティというのは、
自己同一性、というらしく。
簡単な表現で言うと、自分らしさ。
他人と違う、自分の個性のことを指します。
例えば僕がもつアイデンティティは、
恐らく『双方向的な正義感』
正義はとても大切ですが、
戦隊モノや、ドラクエのような
一方的な勧善懲悪ではなくて
結果ではなく原因にフォーカスし
それを多角的に考えて、
自己の行動の判断を下す、というもの。
どちらかを表と定義すると生まれるのは
裏という定義であり
明るさや光を定義するから、
相対的に暗さや闇が生まれる。
どちらかだけを活かして考える
というのは、野球で言うならば
延々と先行のチームが
バッターボックスに立ち続けるという
妙な行動と言えるでしょう。
社内的な正義を守るために
疑わしきを拘束し、判断を委ねる警察が居て
罪を裁く必要の有無を判断する検事が居て
ルールブックでは解釈が難しい内容の
白黒をはっきりつけるために裁判官が居て
その判断が一方的にならないように弁護士がいる。
正義を保つ、ということな
それだけの社会コストをかけてでも
必要なことだというのが見てわかるでしょう。
だから自分でも善悪の基準を持ち
お天道様が見ているという感覚で
結果思考、起こした事を裁くだけではなく
原因思考、なぜそうなったのか、を
時間の許す限り考えるようにする。
これが、僕のアイデンティティです。
そんな僕のアンテナに引っかかった
社会的なイシューが、
今、大阪でそこまで話題にならない
大阪都構想について
諦めたという讒言を撤回して
3度目の挑戦をするために
市長と府知事が総辞職しました。
今年度で任期満了なのに。
それを2ヶ月弱前倒ししてまで。
これは、なぜだ?と
すんごい違和感を抱いたんですね。
もちろん、国保逃れ議員における
国政選挙の影響を減らすべく
矛先を横に向けるための施策、
というのが、大方の見方でしょう。
ただ、それにしても、です。
稚拙な行為だな、と思うんですよね。
何か、そうする事が決まってるかのように
何度も何度も行うこの動き自体に
不思議だなと、思うんです。
なぜだろう、と思いを巡らすと
二つの視点が浮かび上がって来ました。
一つ目は、大阪の現状です。
維新政治の前の大阪は、
今と比較できないくらい、状態が良く無かった。
政令指定都市と府県による
二重行政問題は大なり小なり
どこでも発生してるでしょうが
こと大阪では、その二つの権力が
低いレベルでぶつかり合うような状態。
とかく無駄な事が多く、財政は赤字。
これだけの人が住んでいて
観光資源も多いのに、
積立金を取り崩しながら運営していました。
中央集権の遵守に対して、
徹底したマネジメントを行うのは
理解できるのですが
東を上げて、西を下げるという構造は
長期政権を持った自民党だからこその
コントロールなのでは?と勘繰るばかり。
僕が上阪したのは、2001年。
街の至る所に危険な香りがある雰囲気に
田舎者はやられてしまいました。
そこから橋下さんの半ば強引かつ
明確なビジョンを持ったリーダーシップがあり
そんな大阪を改革していきました。
その時に大阪府の職員であり
府知事に堂々と反対意見をぶつけたのが、
れいわ新選組で辣腕を振るう高石議員ですから
副次的効果も凄いもんです。
それで、大阪は、確かに良くなった。
ハコモノ行政から、
市民に向けた公平な仕組みを徹底し
府市合わせと揶揄された関係を変え、
二つの行政が連動して動くような組織に置き換え
大学など、府も市も持ってるリソースを合併して
二重行政の歪みをどんどん減らしていきました。
それ以外の市町村にも維新候補を擁立し
改革路線を進めました。
地方行政として、ここまで躍進できたのは
素晴らしいことだと、僕は思っています。
大阪都構想を2度も達成出来なかったのは、
別にそんなことしなくても、
府民、市民の生活が上向いたから
という理由もあるでしょう。
今、大阪では、
キタエリア、ミナミエリアの再開発を進め、
大阪城公園周辺のヒガシエリアは
大学を中心とした街づくり
大盛況に終わった万博の跡地である
ニシエリアでは、IR事業を中心とした
新たな賑わいエリアを作ろうとしています。
それだけ大きく変わった大阪、
改革フェーズが終わったとも言えます。
だから、都構想がどことなく
サブく虚しい響きに聞こえてしまう。
もう一つは、大阪都構想自体が
『彼ら政党のアイデンティティ』だからです。
大阪維新の会は、二重行政による無駄
地方最大都市での政治的空白を埋めるために
産声を上げた政党であり
既得権益をぶち壊し、
地域政治家の看板、地盤をぶち壊し、
更地にした上で、新たな枠組みを作りました。
改革派としての手腕は
非常に素晴らしかった。
ただ、国政と地方政治とでは目的が違うので、
スキームもそのまま使えない。
地味な裏回し、綿密で丁寧な調整
という政治的プロセスが重要になる
国政において、今一つ存在感が出せないのは
彼らの改革路線というイメージが
根強いことも一因でしょう。
明るすぎる光が、暗がりの行動を見えにくくし、
またその光に集まる人々は、
暗がりの行動を好まない。
それほどに、改革が、
彼らのアイデンティティ。
僕も若い頃は、橋下さんを激推ししてて
素晴らしいと手放しで喜んでましたが
今はそんな時ではない。
深刻な状態の中で、
空気を読めない都構想を争点とされると
より空回りしてしまう。
それでも、それをイシューとして上げるのは
それしか、ないからなのです。
20億円が無駄だ、という言説もありますが、
それもこれも、府民や市民としての勉強代
主権者が監視できていない結果です。
維新は、自民党と連立すべく動いてるのも
こういう視点から考えると、合点が行きます。
旧態依然の自民党政治を否定し
改革を終えた新たな党が
その自民党の正規軍になる。
何も今に始まったことではなくて、
まさに、勝てば官軍。歴史の理です。
あれだけの政党が、
自らのアイデンティティに縛られ
空転するのを見て
個性が与える影響力の強さを
まざまざと感じるよしけんなのでした。
あ、最後に。
国保逃れが云々と批判しますが、
ルールを整えなかったのも
これまでの統治の問題。
今回の間は、サラリーマンが
不動産投資して損金を計上して
支払うべき所得税を控除されている
という行為と、似たような匂いがします。
己が損と思うから、批判をするというのなら
お金のことをもっと学べばいいだけです。
ルールがないのに、モラルだけで動け!
と言うのも、ちょっと違うでしょう。
そして、その言説は、
簡単に集められ、逆進性が強い
希代の悪税、第二法人税の『消費税』を
財務省が廃止できないモチベーションに
つながるのになぁ、と不思議に思います。

