綺麗な心で願望を描く | 大阪の社長 kentのブログ

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関西で介護事業と不動産オーナー業をしている社長の
日常感じた事や出来事を綴っています。

昨日の社内フィロソフィー研修のテーマです。


でも、「綺麗な心」とは、いかなるものか?


確かに「人生は心に描いた通りになる」と教えてもらっていますし、自分自身の人生を振り返ってみても

そう実感します。


だからこそ、綺麗な心で願望を描かねばならないのでしょうが、どうも綺麗な心と言うのがピンときません。。。


自分の中に綺麗な心があるのか?


そりゃ多少は綺麗な心があるでしょうが、綺麗じゃない心の方が多いのではって感じてしまいます。


私心、欲望、利己…


所謂煩悩から抜け出れていないですし、自分の中には煩悩だらけですしね。


あのお釈迦さんでも煩悩から抜け出るまでは、生死をかけて悟りを開かれたんですからね。。。


人生において成功を願うのであれば、自分の事だけを考えるような生き方ではダメですよね。


私心に塗れた人間に、誰がついて来てくれるのか???


僕でもそんな人についていくのは嫌ですしね。


そんな人の下で働くとしたら、どうしても自分の事を優先する気持ちを持ってしまいます。


だから、経営者や、経営幹部と言われる人は、綺麗な心を持たねばならないのでしょう。


考えてみれば簡単に分かる事です。


誰かの為に尽くし、誰かと共に良くなっていく。


僕の場合は、会社の仲間です。


仲間と為に尽くし、仲間と共に永続的に良くなっていく。


確かに、価値観も違えば性格も違うし、求めているモノ自体が違う相手なので、簡単にはいかないと思っています。


だからこそ、綺麗な心で願望を描かなければいけないのだと思っています。


僕の中の良心、使命感、志が、綺麗な心から発せられたものであるならば、きっと多くの人に理解され、共感されて、支持されるでしょう。


また、綺麗でない心で描いた願望なら、誰の協力も得られずに、結局は叶わないのだと思います。


結果は、今の自分の心の在り方次第で決まります。


「因果応報」 


今、善き事を想い、善き事を行う。その結果が未来の自分と言うものなんでしょうね。


自分の中の良心磨きに励んでいきます。