昨日の社内フィロソフィー研修のテーマです。
でも、「綺麗な心」とは、いかなるものか?
確かに「人生は心に描いた通りになる」と教えてもらっていますし、自分自身の人生を振り返ってみても
そう実感します。
だからこそ、綺麗な心で願望を描かねばならないのでしょうが、どうも綺麗な心と言うのがピンときません。。。
自分の中に綺麗な心があるのか?
そりゃ多少は綺麗な心があるでしょうが、綺麗じゃない心の方が多いのではって感じてしまいます。
私心、欲望、利己…
所謂煩悩から抜け出れていないですし、自分の中には煩悩だらけですしね。
あのお釈迦さんでも煩悩から抜け出るまでは、生死をかけて悟りを開かれたんですからね。。。
人生において成功を願うのであれば、自分の事だけを考えるような生き方ではダメですよね。
私心に塗れた人間に、誰がついて来てくれるのか???
僕でもそんな人についていくのは嫌ですしね。
そんな人の下で働くとしたら、どうしても自分の事を優先する気持ちを持ってしまいます。
だから、経営者や、経営幹部と言われる人は、綺麗な心を持たねばならないのでしょう。
考えてみれば簡単に分かる事です。
誰かの為に尽くし、誰かと共に良くなっていく。
僕の場合は、会社の仲間です。
仲間と為に尽くし、仲間と共に永続的に良くなっていく。
確かに、価値観も違えば性格も違うし、求めているモノ自体が違う相手なので、簡単にはいかないと思っています。
だからこそ、綺麗な心で願望を描かなければいけないのだと思っています。
僕の中の良心、使命感、志が、綺麗な心から発せられたものであるならば、きっと多くの人に理解され、共感されて、支持されるでしょう。
また、綺麗でない心で描いた願望なら、誰の協力も得られずに、結局は叶わないのだと思います。
結果は、今の自分の心の在り方次第で決まります。
「因果応報」
今、善き事を想い、善き事を行う。その結果が未来の自分と言うものなんでしょうね。
自分の中の良心磨きに励んでいきます。