OPEN!
ついに母親のお店が明日OPEN!
雑貨屋さん兼ペットショップです。
念願の再オープンです!...
みなさんぜひ遊びに来てください!
http://mamashops0903.blog.fc2.com/blog-entry-106.html
【平日 10:00ー18:00 】
【土 10:00ー17:00 】
※お店の定休日:日曜日・祭日は、
お休みとさせていただいてます。
メールの返信は翌営業日となりますので、
ご了承ください。
実店舗
〒970-8026
福島県いわき市平字五色町68番地
TEL:0246848064
FAX:0246848063(営業時間内)
FAX:0240274055(営業時間外)
広野町 減容化施設について
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/10/post_5333.html
Jヴィレッジに隣接しているところではなくうちの旅館の真後ろじゃないか?
広野町の住民5500人もいるのに30人に説明しただけで進める
この強行さ国のやるべきことなのでしょうか?本当にばかげている!
毎日騒音に悩まされ仕事も手につかない状態です。どうにかしてほしいです。
隠れた真実
隠れた真実
今、うちの真後ろに広野町が環境省に委託し
環境省が○水建設に委託をし減容化施設(焼却炉)を建設しております。
もちろん放射能物質を燃やします。
...私たち家族には何も説明もなくハンコ等も一切ついておらず近隣の住民にも許可を得ず40人足らずの住民にも説明をしただけで強行的に3万ヘクタールの土地を切り開いております。
町のお役人さんや環境省のお偉いさんはいわき(30キロ離れたところ)から通い仕事するためだけに広野町に来ております。
14時26分黙祷の時間にも関わらず重機の騒音等本当に迷惑極まりなかったため発信する決意をしました。
これが国のやり方町のやり方です。
本当に許せない。
こんな状態で中高一貫校を広野町に作るなど考えられません。
あなたの家は近くなので全く影響ありません。
風で飛ぶので隣町や遠くの町に影響あるかもしれないって、何を考えてるんだが?お偉いさんに逆らえない住民のためにも訴え続けていきます。
あれから3年~~
みなさんご無沙汰しております。
ヨシケンです。
本当に久しぶりにブログを更新します。
2014~3,11~
東日本大震災により被災された皆さまに、心からお見舞い申し上げます。
1日も早く復旧されますよう心からお祈り申し上げます。
今日であの痛ましい震災から3年が経過しました。
今思うと長いようで短かった3年間
兄弟や親戚、仲間と離ればなれになった3年間
昔のような自然溢れる双葉郡ではなく原発収束の為の
基地的存在になった3年間
考えも変わり何をするのにも我慢をし生活を続けた3年間
原発がなければこんな辛い思いもしなかったのにと
考えた時もありました。
原発から21キロに住み放射能という見えない存在と
今も戦い続けていかないとならないと思うと不安になります。
しかし、この震災で一日一日を大切にしなければならないと
改めて実感し心の底から生きることの大切さを学ばさせて頂きました。
これからも原発収束に向けて最前線で戦いお客さんのニーズに合わせた
宿を提供できるようにがんばっていきます。
住民はこんな基地的な町には戻っては来ませんが
双葉郡の復興の為やれることは全力でやっていきます。
そして、この震災をいつまでも語り継ぎ風化させないよう努めていきます。
また、今後この最前線の情報や出来事など発信して
本当の姿を皆へ伝えて参ります。
今後ともよろしくお願いします。
PRAY for JAPAN!!
東日本大震災からいちねん
今日私は会社で一人で黙祷をささげました。
この一年は自分が社会人にやっとなれた年でもあり
僕の愛する東北が津波の被害を受け福島が放射能という問題にさらされた年でもあり
みんなとばらばらの生活を歩んだ本当に試練の一年でした。
今まで故郷を離れて生活していても毎月一回は家族に会い、地元のみんなとサーフィンをしていて
本当に今まで仲間にも恵まれ最高の25年間でした。
毎月帰ってもみんなもやさしく迎えてくれ、共に泣いたり楽しみを分かち合ったり
本当の仲間が福島にはたくさんいました。
福島の人のよさを改めて痛感しています。
地元は田舎だけどはこれからもっと発展するだろう。
人も増えいつかは地元で商売をしようと考えていました。
だから僕も海外へいったり長い間学生をしたりし
親に負けないビジネスをし地元で幸せな生活を送りたいと考えていました。
震災後からはそれぞれの生活もがらっと変わり
みんなに会えないことが本当に苦痛で仕方ありませんでした。
僕の地元は原発から21キロ内にあり
5000人ほどの人口のうち200人程度が帰省し生活をしています。
今となっては僕の町は作業員の基地と化してます。
汚染物の処理場でもあり
海岸線には汚染された防具服が山積みに何キロも積み重なっている。
海は汚染されサーフィンも出来ない。
いつ原発が爆発してもおかしくない中
僕の両親は放射能を浴びながら作業員に宿を提供しています。
今までは恥ずかしくて言えなかったけど
[26年間今日まで僕を育ててくれてありがとう]
といいたいし普通の人では絶対近寄らない場所で
今もなお人の為に働く
日本を守るために働いてる両親を見て
本当に尊敬出来た。
これから収束まで30年いやもっとかかると思います。
だからこそ僕も福島のために何か出来ることをしなければならないとおもう。
いつか地元に戻って両親のように立派な人生を送ることを決意し
これから自分がどうしたいか明白にしたいと思います。
そして、この日を永遠に忘れず毎年
3月11日午後2時46分18秒
には黙祷を捧げていきたいです。
これからもがんばっぺよー
東北は強いべ
福島人は優しいけど怒らすとこえーぞ
東北が復興するにはまだまだ時間はかかるけど
これからも一人ひとりが前向きに生きてけることを祈ってます。
あと、最後にひとつ東電に物申したいです。
なぜうそをついたのかはっきりしてほしい。
だから今となってうそがばれ国民の信頼を裏切ってる。
もちろん、僕も昔から国の持ち物(東電)なんて信用してない。
僕は、住所も変えてるので一切補償金など入りませんが
福島を住所にしている方々にちゃんと補償してほしい。
そして、一回だけの謝罪だけではなくしっかり謝罪してほしい。
あと、東電の社長が今日被災者の場に顔も出さず
スクリーンごしに謝罪したらしいではないですか?
天下りで生活してた幹部達は本当にいいご身分ですな。
社長なんて判子押してるだけなんだから毎日被災者の前に現れて
誠意を見せるのが普通ではないのですか?
みんなが一人ひとり違った人生を送り
震災で幸せになったひと
震災で不幸になった人
それぞれだと思います。
もちろんあんたらみたい贅沢な生活は出来ません。
でもこれだけはいいたいです。もう俺らには戻る故郷がないんです。
故郷を失った人たちの気持ちを理解できる?
みんなお金より地元で生活が出来ること願ってるんですよ。
まっみんな前向きにがんばってるからその気持ちはわかってよ。。。とうでんさんよ-
これから信頼を取り戻すのは大変だぜー!!
これが今も変わらない僕の気持ち。