私が今描いてる人生設計、それに対しどんな不安があるのかを具体的に書いてみた。
私はこれを、「こうなりたい」とはしていない。
ある人から教わった。
例えば「明日こうなりたい」と思っても、いつも私は思ってたようにはならない。それは何故か?と聞いた。
それは、「こうなる」になってないからです。と言われた。
「こうなりたい」は願望。「こうなる」は予定。その違いだと。
どいなるか分らない未来を、予定には出来ないと言うと、
「明日出勤したい」と、思ったことありますか?と言われた。
よほどでなければ「明日出勤する」になってるはずだと。
そうなる可能性が低いものでも、「願望」を「予定」に自分が変えない限り、それは起きない。これが引き寄せという宇宙のルールだと。
言い換えたら願望の数だけ現実になる。
よく、明日仕事に行きたくないから、明日休めたらと願うだけでは、休むことにならない。自分が明日休もう!と決めるから、それが明日の予定となり、明日、その現実がやってくる。
全てはその仕組みだと言う。
この、一番最初に書いた、家を出る
は、一度家を出た私が、30年くらいして戻ってきた時には、もう私の家という感覚にはならないのは当たり前だった。
家や身内が変わったんじゃなく、
私が変わっていたのだ。
幼少期の私でもなく、結婚してた時の私でもなく、さらに違った私になっていたということ。それは、月日の経過だけでなく、人生経験で踏んできた数が増えたことで、本来の人生の目的へと自分が変化していったのだ。
そのために、自分の行くべき方向性と合わなくなった場所や人とは、違和感や歪が起きていた…ということだったのだ。
ずっと重い空気、ずっと違和感を感じ、家族なのに何で合わないんだろう、とか、極めつけは自分の部屋に居るのに、
気分が下がり、特に寝て起きると鬱みたいになるのは、波長が合わなくなってるからだとやっと気付いた。
だから自分にとって居心地のいい場所、車に乗ったり、落ち着いたカフェや、
ホテルなら違和感がないのだ。
だけど、一日も早くそうするには、
私には資金がない。
ついでに言うなら、今の職場も同じ。
合わなくなってる、もあるけど、
そこに居る人たちの生き方や価値観が、
私の波長と合ってなかったのだ。
生きにくさとは、そういうことだと思う。
だけど、今の私には資金がない。
私はさらに、資金計画も立てた。
これだけあれば何とかやっていける。
上の表を実行するために、
まず下の表の資金が要る。
たとえいくらか変更が生じても、何とかなりそうではあるが、
それでも今、私のたった一つの不安は、
「あなたの意志」
子供のころ、母親は私を褒めなかった。
今も、こんなにも頑張ってる私に、
何度も仕事に行っては苦しみ、
転職しては苦しみ、
病みながら、死にそうになりながら、
それでも這いつくばりながら戦う娘に、一度でも、「もうおやめ、あんたが死んでしまうやろ?」とは言わなかった母。
お金を借りに行くたび、
私は清水の舞台から飛び降りる勇気がいった。そんな自分が惨めで仕方なかった。そんな母親をいつか見返したいと思ってた。
だけど、そんなことをしなくても、
よそのお母さんは、娘に優しかった。
よその娘さんは、お母さんに可愛がって貰っていた。
でもね…。
人間が一人一人違う生き物というように、親も一人一人違うのだ。
私がそれを誰よりも学んだはずなのに、
お母さんにだけは、母親とはこうあるべき…をやっていた。
それに気付いたとき、私の親はこんな変わった人。に解釈が変わった。
嫌なら自分が離れればいいだけ。
お母さんはお母さんの個性や人生がある。
だってさ、私がどう変わったかって、
他の人と違う自分。だもの。
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