世間や人と同じ自分ではないと言いながら親には世間や周りと同じものを求めていた | megumi-12のブログ

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人生の転換期を迎えたのを機に、日頃、自分が感じていることや、その時々のさまざまな思いを何かに残したくてブログ始めることにしました!

私が今描いてる人生設計、それに対しどんな不安があるのかを具体的に書いてみた。

私はこれを、「こうなりたい」とはしていない。

ある人から教わった。

例えば「明日こうなりたい」と思っても、いつも私は思ってたようにはならない。それは何故か?と聞いた。

それは、「こうなる」になってないからです。と言われた。

「こうなりたい」は願望。「こうなる」は予定。その違いだと。

どいなるか分らない未来を、予定には出来ないと言うと、

「明日出勤したい」と、思ったことありますか?と言われた。

よほどでなければ「明日出勤する」になってるはずだと。

そうなる可能性が低いものでも、「願望」を「予定」に自分が変えない限り、それは起きない。これが引き寄せという宇宙のルールだと。

言い換えたら願望の数だけ現実になる。

よく、明日仕事に行きたくないから、明日休めたらと願うだけでは、休むことにならない。自分が明日休もう!と決めるから、それが明日の予定となり、明日、その現実がやってくる。

全てはその仕組みだと言う。

この、一番最初に書いた、家を出る

は、一度家を出た私が、30年くらいして戻ってきた時には、もう私の家という感覚にはならないのは当たり前だった。

家や身内が変わったんじゃなく、

私が変わっていたのだ。

幼少期の私でもなく、結婚してた時の私でもなく、さらに違った私になっていたということ。それは、月日の経過だけでなく、人生経験で踏んできた数が増えたことで、本来の人生の目的へと自分が変化していったのだ。

そのために、自分の行くべき方向性と合わなくなった場所や人とは、違和感や歪が起きていた…ということだったのだ。

ずっと重い空気、ずっと違和感を感じ、家族なのに何で合わないんだろう、とか、極めつけは自分の部屋に居るのに、

気分が下がり、特に寝て起きると鬱みたいになるのは、波長が合わなくなってるからだとやっと気付いた。

だから自分にとって居心地のいい場所、車に乗ったり、落ち着いたカフェや、

ホテルなら違和感がないのだ。

だけど、一日も早くそうするには、

私には資金がない。

ついでに言うなら、今の職場も同じ。

合わなくなってる、もあるけど、

そこに居る人たちの生き方や価値観が、

私の波長と合ってなかったのだ。

生きにくさとは、そういうことだと思う。

だけど、今の私には資金がない。

私はさらに、資金計画も立てた。

これだけあれば何とかやっていける。

上の表を実行するために、

まず下の表の資金が要る。

たとえいくらか変更が生じても、何とかなりそうではあるが、

それでも今、私のたった一つの不安は、

「あなたの意志」

子供のころ、母親は私を褒めなかった。

今も、こんなにも頑張ってる私に、

何度も仕事に行っては苦しみ、

転職しては苦しみ、

病みながら、死にそうになりながら、

それでも這いつくばりながら戦う娘に、一度でも、「もうおやめ、あんたが死んでしまうやろ?」とは言わなかった母。

お金を借りに行くたび、

私は清水の舞台から飛び降りる勇気がいった。そんな自分が惨めで仕方なかった。そんな母親をいつか見返したいと思ってた。

だけど、そんなことをしなくても、

よそのお母さんは、娘に優しかった。

よその娘さんは、お母さんに可愛がって貰っていた。

でもね…。

人間が一人一人違う生き物というように、親も一人一人違うのだ。

私がそれを誰よりも学んだはずなのに、

お母さんにだけは、母親とはこうあるべき…をやっていた。

それに気付いたとき、私の親はこんな変わった人。に解釈が変わった。

嫌なら自分が離れればいいだけ。

お母さんはお母さんの個性や人生がある。

だってさ、私がどう変わったかって、

他の人と違う自分。だもの。