こうしてみると、渋幕は言わずもがなですが、秀英は、かなり上がっています。千葉御三家に迫る勢いです。
ある意味、渋幕と秀英の相乗効果と言えなくもないです。
校舎の入口の場所は違うとはいえ、やはり隣同士なので、意識するのだと思います。
「渋幕に追いつけ」「秀英に負けるな」と。
なお、千葉は保守的なのか、上位3校の顔ぶれは30年以上前から変わっていません。
東邦大付属東邦、市川、渋谷幕張の「千葉御三家」です。
その次に来るのが、高校受験だと昭和学院秀英、日大習志野、専大松戸でした。
後2校は離れているので、実際は居住地で受験校の棲み分け(京成本線、東葉高速エリア=日大習志野、東葛エリア=専大松戸)ができていました。なお、日大習志野は高校のみ(日大理工学部の併設校)で、中学はありません。
その更に次のランクは、千葉日大一高(中学からあり)や日出学園(小学校からあり、育ちがいい)でした。
渋幕はワタクシの学生時代から勢いがありましたが、今ではすっかり別のレベルの学校になりましたね。
なお、ワタクシが代ゼミに通っていた当時、「この校舎(津田沼校)からの東大合格者は、不思議と見た目が不良っぽい(失礼)のが多いのが特徴」だと英語の鬼◯先生(東大クラスも担当)から聞きました。
おそらく、自由すぎる千葉高生と渋幕生がいたからかなと思います。
当時の代ゼミは、文系クラスがTL(東大文系)、KL(京大文系)、HL(一橋大)、CL(千葉大文系)、WL(早稲田文系)などのクラスに分かれてました。
TL(東大文系)、KL(京大文系)は、
①県立御三家(千葉高(当時は神童揃いで凄かった)、県船橋、東葛飾)
②私立御三家(東邦、市川、渋幕)
③都内の超難関校(新御三家の海城や当時同水準の某校など)
の出身者ばかりでした。
なかなかハイレベルな陣容でした
ワタクシは、もちろんTL(東大文系)なんか夢のまた夢でしたよ
なお、こちらが現在の市川の校舎です。