ヒストリーゾーン 客車
☆開拓使号客車(コトク5010) 番号がなく「開拓使」が客車の名称
北海道最初の鉄道である官営幌内鉄道で使われた。
アメリカハーランド・アンド・ホリングワース社で1880年製造された。
官営幌内鉄道で使われ開拓使等の政府高官専用の特別客車。
1881年8月明治天皇の北海道行幸にお召列車として御乗用になった。
☆創業期の客車(レプリカ)
明治期の客車 3等客車を模して作られた展示用車両(レプリカ)
☆ハニフ1形式客車 甲武鉄道の電車
デ968号電車ハニフ1形式客車 甲武鉄道飯田町工場製造1904年
元は甲武鉄道(現在のJR東日本の中央本線の一部の前身)が1904年飯田町-中野間の電化に際して製造した電車(デ968号)、国電の祖とも呼ばれる。
1906年甲武鉄道は国有化され国有鉄道となった。
1904年から1909年にかけて36両が製造された。
1914年から1915年にかけて電装品を外して客車として私鉄に譲渡された。
譲渡された私鉄は、信濃鉄道16両、佐久鉄道6両、三河鉄道10両、南薩鉄道4両
展示車両は、譲渡された信濃鉄道では、1925年の電化に伴い廃車となった。
譲渡時のデ968はハ6としてさらにロハフ1として活躍していた。
廃車後筑摩鉄道(後の松本電気鉄道、現在のアルピコ交通)に譲渡されハフ1として使用された。
1932年ハニフ1に改造され、1949年に休車となり保管されていたもの。
☆マイテ39形 展望車
1949年特急「へいわ」用に使用された。
桃山式の御殿づくりの和風、戦前は外国人観光団には好評だった、戦後は「霊柩車」とあだ名され不評だった。
☆オハ31形式客車
木製の客車が製造されてきたが、1927年から鋼製車両が製造された。
オハ44400形(1928年からオハ32000系。1941年10月からオハ31形)は三等座席車、形式名が変わるが二等車、寝台車、郵便車その他製造され使用された。
☆ナハネフ22号 B寝台緩急客車 国鉄20系客車
1958年から1970年まで16形式473両が製造された。
最初に投入された列車「あさかぜ」にちなみ「あさかぜ形客車」とも呼ばれている。
登場当時は「走るホテル」とも呼ばれた。
以上
せっかく写真に収めながら紹介から漏れた車両がありそうです。
でも、沢山の記念すべき列車車両を見学し過ぎて頭の中が混乱しています。
整理するのが大変でした、ここらで「鉄道博物館」から次のネタに移らして貰います。
☆おまけ