「田舎のプロレス」発言と“お約束”の意義について | KEN筆.txt

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鈴木健.txtブログ――プロレス、音楽、演劇、映画等の表現ジャンルについて伝えたいこと

この連載を熱心にご覧いただいている皆様には、なぜプロレスが人々の心を惹きつけるのか理解していただいていると思われます。ただ、一方では“プロレス”という言葉そのものがいい意味で使われないケースもいまだにあります。

もっとも多いのがお約束、茶番のたとえとして用いられること。戦後、力道山先生が日本に定着させ60年以上も国民の中に根づいてきた大衆文化でありながら、八百長のひとことで片づけられる宿命からは逃れられていません。

「強行採決なんていうのは世の中にありえない。審議が終わって採決をするのを強行的に邪魔する人がいるだけだ。田舎のプロレスといえばプロレスの人に怒られるが、ここでロープに投げたら帰ってきて、空手チョップで1回倒れて、そういうやりとりの中でやっている。私はある意味、茶番だと思う」

11月23日、萩生田光一官房副長官が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)承認案などの衆院採決に反発した民進党等の対応について次のような発言をしたことから、プロレスファンや選手から反発の声があがりました。このテの言い分は定期的に飛び出すので言われる側としては慣れっこなのですが、それでも自分が誇りをもってやっていること、愛情を持って携わっているものについて表面しかなぞっていない言い方をされたら、いい思いはしません。

「プロレスの人に怒られるが」と前置きをしているので、こういった反発が起こるのは覚悟の上での発言だったのだろうと思いきや、翌日には謝罪。ただし、これは“田舎のプロレス扱い”された野党側の抗議に対してのものであり「プロレスの人」に向けて姿勢を示したわけではなさそうです。

おそらく今でも萩生田さんは、じっさいのところ田舎のプロレスが何なのかわかっていないのだと思われます。そもそも、そういった言い回し自体、業界も我々プロレスマスコミも、ファンもしません。

言い換えれば地方興行のことを指すのでしょう。萩生田さんが大都市以外の大会を観戦した上でこうたとえたのであれば、その人の受け取り方なんだと思うしかありません。自分の目で見て、信念のもと「田舎のプロレスは茶番だと思う」と毅然とした態度で主張すればいいのです。

ただ「ロープに投げたら帰ってきて、空手チョップで1回倒れて、そういうやりとり」は何も地方に限らず力道山先生が東京や大阪でも見せてきた攻防です。そしてそれを見て、日本の国民は熱狂し敗戦ショックから立ち直れたのです。にもかかわらず「田舎」と限定してしまったのはじっさいに見たのではなく、先入観によるものだったのではないでしょうか。

前述した通り、プロレスを愛するファンからすれば「またか…(タメ息)」な出来事であり、それによって自分の価値観が揺らぐことなどありません。むしろ「だったら田舎のプロレスとやらの魅力を教えてあげましょう」と燃えてくる逞しさがあります。

萩生田さんの発言が報じられるや、ツィッターではハッシュタグ“#田舎のプロレス”をつけて、ファンがその魅力が伝わる画像やツィートをアップしていきました。そこには、茶番のひとことでは片づけられぬ魅力がとめどなく寄せられています。

一昔前なら、自分が愛するものを蔑まされて悔しい思いを噛み締めるしかなかったのが、逆にそれを利用して素晴らしさを語り合い、さらには拡散できる。じつに建設的な“逆襲”の仕方です。

では、お約束とはじっさいのところ“悪”なのでしょうか? 新日本プロレスの小島聡選手は、ツィッターが普及する以前からブログを続けています。何か伝えたいことがあったら140文字で済ませず、長文のテキストを根気よく書いているプレイヤーです。

≪語弊を恐れずにいうなら、確かにプロレスには“お約束(に見える事)”が存在するかもしれない。相手が繰り出す技に対しての受け身や切り返し等は、ある程度の「型」がないと受け身を取り損ねて大怪我する恐れがあるから。それがお約束と言われてしまえばそれまでだが、私達はその様々な切り返しを、瞬時に判断しなければならない。

なので、相手の動きに合わせて受け身を取る場合もあれば、必ずしも受け身は取らないで、切り返したり避けたりもする。自分のダメージを考えながら、「この技を受けてしまったら(フォールを)返す事ができない…」と思えば避ける。ただ、全ての技を避けていたら…ぶっちゃけ、「観てる方々が面白くないよね?」と感じてしまう。

たまに避けて会場が沸くのは、基本、普段は技を受けるから。あとは、技を受けても大丈夫だという、鍛えた身体の凄さを見せる…という見方もある。だからプロレスは面白いし、ある意味、無限大の見方が存在する貴重なジャンルだと思う≫(11月26日エントリー「“田舎のプロレス”という言葉を考える」より)

選手の立場でありながら、お約束という言葉に対し真摯に回答する――スルーしようと思えばできるはずなのに、小島選手の中に生じた思いがそれを許さなかったのでしょう。

私が週刊プロレス在籍時代にラッキーだったのは、地方興行の取材に何度も足を運べたことでした。日本初のローカル団体として1992年に盛岡で旗揚げしたみちのくプロレスは90年代、老舗団体がいかないような東北六県のまち・むらを巡業し、地元の皆さんを喜ばせました。

 

▲みちのくプロレスの本拠地と言っていい岩手県の矢巾町任総合体育館

それまでは新日本プロレスや全日本プロレスが1年に一回来るか来ないかという機を心待ちにしていました。娯楽が少ない中、年に一度訪れるお祭りに求められるのはテレビで見たあの選手が、テレビで出していたあの技。ジャイアント馬場なら十六文キック、アントニオ猪木なら延髄斬りのように、その選手を代表する必殺技を生で体感したくてけっして安くはないチケットを買うのです。

年に一度しかチャンスがないのに、それが見られなかったらまた1年間待たなければならなりません。若いファンはともかく、地方へいくほど多いお年寄りは必ず次回も足を運べるとは限らない。

力道山先生は、そんな国民の気持ちがわかっていたから八百長だとか茶番だとか言われても全国津々浦々で空手チョップをサク裂させていたのです。時代とともに世の中におけるプロレスの役割が変わっても、そこは今なお不変のものという現実。私は地方興行取材で、そのことを学びました。

もちろん試合は生ものですから、完全に同じものとはなりません。プレイヤーとしての気持ちを優先するなら常に新しいことをやりたいと思うし、変化を求めます。

そうした姿勢によって、巡業を重ねる中で新技が開発されたり、気づきがあったりします。その1ミリの違い、進化を見てほしいと訴えたのが現役時代の天龍源一郎さんであり、全日本プロレスが誇る四天王プロレスでした。

断片だけをとらえわかったような気になったら、物事の本質は見えてきません。プロレスは、進化とお約束(とされるもの)という両極を同時に成立させることができるジャンルなのです。

「観客が何を求めているか」をシチュエーションに基づいて、あるいはその瞬間瞬間に判断しある時はお約束に応え、ある場面では懸命にピンフォールを奪おうとする。それにはプロとしての高い技術とセンスを要します。

それでもお約束=茶番なのでしょうか。年に一度プロレスがやってくるのを楽しみにしているお爺ちゃん、お婆ちゃんを心の底から楽しませ、笑顔になってもらうことが茶番だとは、少なくとも私には思えません。

11月27日、全日本プロレスが両国国技館でビッグマッチをおこないました。そこに往年の名レスラー、ドリー・ファンクJrが出場しました。昭和のプロレスを見ていた世代にとっては75歳になった今なおその姿を見られるのが喜びであり、若いファンは伝説を体感できる機会です。

プロレスに興味がない層から見れば「75歳になってもできるなんて、プロレスってそんなものなのか」となるのでしょう。ならば自分が75歳になってリングに上がり、何十歳も若い相手の腕を取ってハンマーロックをしっかりと決め、動きを封じることができるか考えてください。

 



どんなに年をとっても、プロレスラーの体には技術が染みついています。それを見て観客はどよめき、拍手を贈り贈ります。最後は直系の弟子である西村修選手がスピニング・トーホールド(ドリーさんと弟テリー・ファンクの代表的な技)に来たところを丸め込んで3カウント奪取。

まさにいぶし銀としかいいようのない、75歳であってもできる勝ち方で白星をあげたのです。翌日には東京愚連隊というプロモーションの後楽園ホール大会にも出場したドリーさん。こちらは6人タッグマッチの中にチャボ・ゲレロ、ザ・グレート・カブキ、藤原喜明といったレジェンド級の選手も会しました。

ここでもドリーさんは、西村選手から伝家の宝刀スピニング・トーホールドでギブアップ勝ち。両国も後楽園も、そこには「お約束じゃん」などという目線は皆無であり、むしろ見たかったシーンが見られた多幸感で満ちあふれていました。

 



また、この東京愚連隊興行のメインイベントには74歳となった“仮面貴族”ミル・マスカラスが出場し、40年以上も保持し続けるIWA世界ヘビー級王座の防衛を果たしました。最後は代名詞であるダイビング・ボディーアタック。誰もが見たいと思っているその技が出なかったら…プロレスはプロレスであり、人々を楽しませる点においては田舎も都会もありません。



プロレスは強さを競い、勝敗を争うものです。でも、すべての試合やすべてのシーンがその一点だけに収まったら表現できるフィールドも狭まり、これほどの幅広い価値観を含有するジャンルになっていなかったはずです。

名古屋にも、どこへ出しても恥ずかしくない「田舎のプロレス」があります。じつは、それってとても恵まれていることなんですよ――。