今こそ知っていただきたいハヤブサ、荒井昌一社長…FMW! | KEN筆.txt

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鈴木健.txtブログ――プロレス、音楽、演劇、映画等の表現ジャンルについて伝えたいこと

現在、愛知県内にはいくつかのプロレス団体が存在しています。その中心となっているのはこれまで何度となく紹介してきたスポルティーバエンターテイメントですが、もっとも古いのは1991年に設立された東海プロレスになります。

もともとはアマチュアプロレス団体を名乗り、働きながらリングに上がる者たちによる組織でした。70年代から始まった社会人プロレスのJWA(JAPAN WRESTLING ASSOCIATION)の東海支部として発足。その後、団体名をJWA東海から現在の東海プロレスに変更。

アマチュアとしてのスタートだったためクローズアップされませんでしたが、新日本プロレス、全日本プロレスに次ぐ古い団体となります。日本初のローカルプロモーションとして注目を浴びたみちのくプロレスよりも先に旗揚げした事実が名古屋にはあるわけです。

その東海が設立される2年前、史上初めて名古屋の地における旗揚げ戦をおこなったのがFMW(フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング)。当時は、東京からスタートするのが常識でしたが、大仁田厚は対戦相手である青柳政司の地元で団体としての第一歩を踏み出しました。

そのあたりは当コラム第4回で詳しく触れています。初期のFMWは東海地区における営業力があり、旗揚げの地・露橋スポーツセンターだけでなく名古屋近圏の体育館をいくつも発掘しました。涙のカリスマ・大仁田がデスマッチを定着させてまたたく間に老舗2団体やUWFに並ぶ支持を得るようになると、愛知県体育館にも進出。

95年に大仁田が引退(その後カムバック)するとハヤブサを中心とした新生FMWが再スタートを切り、胸いっぱいのプロレスでファンに支持されます。98年からは全日本やSWS、WARで活躍した冬木弘道が合流、エンターテインメント色を前面に押し出し独自路線を進んでいきました。

しかし2001年、ハヤブサが試合中に大ケガを負ったばかりか(当コラム第8回参照)経営も困難に陥り、02年2月に倒産。社長だった荒井昌一さんが自らこの世を去るという哀しい最後を迎えてしまいました。

あれから13年が経過した今年に入り当時、営業部長として東海地区でもらつ腕を振るっていた高橋英樹氏が「もう一度FMWの名前を復活させたい」との思いから超戦闘プロレスFMWを設立。大仁田をはじめとするゆかりある選手たちが集結し、あの頃の熱気を再現するべく活動を始めました。

4月27日の旗揚げ後、6月30日にはちくさ座で初の名古屋大会を開催。その中に、89年10月6日の露橋スポーツセンターへ足を運んだ方もいたかもしれません。

何年経っても、FMWの三文字は当時を知る者たちの中から消えることはないのです。それは選手や関係者、そしてファンも同じです。日本でインディペンデントを名乗った初の団体は、生まれた時から見る側の思い入れによって支えられる宿命にありました。

大仁田の知名度が世間レベルに上がるまでは会社規模も資金力も、ネームバリューも新日本や全日本に遥か及ばず。だからこそ「俺たちが応援して支えるんだ!」との気概を持って足を運んでいたのです。まだ、サポーターなどという言葉もなかった時代でした。

週刊プロレス編集部に在籍していた私にとって、FMWは初めて担当を任された団体でした。旗揚げから崩壊、その後の13年間と現在をずっと見てきたひとりとして、今なお深い思い入れを持ち続けています。

超戦闘プロレスFMWの名のもと再生したこのタイミングで、古巣のベースボール・マガジン社から8月3日に『FMW激闘史』が発売されます。これまで、本誌である週刊プロレスの誌面で特集が組まれたことがありましたが、FMWのみで丸々一冊というのは初めての試みと思われます。

私はその中で、ハヤブサ選手のロングインタビューと巻末コラムを書かせていただきました。プロレスによって大きく人生を変えることになった現実を、あれから13年が経ちどう受け止めているのか。そして今でも前向きに日々生きていられるその原動力はなんなのか。

現在のファンが目にするのは、車イスに乗って各大会の会場に姿を現すマスクマンとしてのハヤブサのみ。それだけに気が遠くなるような歳月を懸けて一歩ずつ前に進んでいる状況が、実感としてつかめていないと思われます。

だからこそ、本人の口から伝えてもらうことに意義があると思いました。頸椎損傷により一生寝たきりになると医師に宣告されながら、我々の想像を遥かに超える運動力までに回復した事実。さらには、プロレスラーになったからこそ待ち受けていた運命に対する本心…。

FMWを追い続けてきたファンの皆さんには、改めてハヤブサとは何かを考えていただき、当時をリアルタイムで体感していない世代の方にもこれほどまで己のすべてをプロレスに捧げた人物がいることを知ってほしい。そして巻末コラムでは、荒井社長について書きました。

FMWと選手たちのことを第一に考えた荒井社長の姿勢とその人柄も、どんなに時間が経ってもまったく色褪せずにファンの中で息づいています。選手ではないフロントの人間がここまで思い入れを持たれる存在となったのは、異例といっていい。

荒井社長がどんな思いでFMWにすべてを捧げたか。これも新しくプロレスファンになった皆さんへ伝えたい。私が担当したページ以外も、ソウルフルな内容になるはずです。

FMWとは、そういう選手・スタッフの集合体でした。地元の団体ではありませんが、前述したように旗揚げ戦の地であり、ハヤブサ選手がデビューしたのも名古屋国際会議場と縁が深いので、ぜひとも東海地区の皆さんに読んでいただきたく思います。プロレスは、さかのぼることによってより楽しめるジャンルです。

 



週刊プロレス別冊夏季号『FMW激闘史』(8月3日発売)
ベースボール・マガジン社刊、1389円+税

SPECIAL INTERVIEW
大仁田厚、ハヤブサ、工藤めぐみ、ミスター・ポーゴ、ターザン後藤、ミスター雁之助、里美和、田中将斗×黒田哲広
SPECIAL STORY
サブゥー、冬木弘道
BATTLE EDITION FMW名勝負BEST10
1位 大仁田厚vsハヤブサ [95.5.5川崎]
2位 天龍源一郎vs大仁田厚 [94.5.5川崎]
3位 ザ・グラジエーターvsハヤブサ [ 95.9.26後楽園]
4位 大仁田厚vsターザン後藤 [90.8.4汐留]
5位 W★ING金村vs田中正人 [96.8.1汐留]
6位 工藤めぐみvsシャーク土屋 [97.4.29横浜]
7位 大仁田厚&ターザン後藤vs松永光弘&ジェリー・グレイマン [89.12.10後楽園]
8位 大仁田厚&ターザン後藤vs栗栖正伸、ドラゴン・マスター[90.4.1後楽園]
9位 工藤めぐみvsコンバット豊田 [96.5.5川崎]
10位 大仁田 厚vsサンボ浅子 [95.1.5後楽園]
軍団抗争・ユニットの歴史
INSIDE INTERVIEW
高橋英樹 [元FMW営業部長、現超戦闘プロレスFMW代表]、斎藤充 [元FMW実況アナウンサー&PPV中継制作プロデューサー]

SPECIAL EDITION
日本人選手名鑑、FMWマットを彩った外国人レスラーたち、いたいた!こんな外国人、マンモス佐々木と訪ねる“新生FMW道場”はいま…、初期FMWあの日あの時あの風景、FMW懐かしグッズアラカルト、FMW3つのピリオド [ドキュメント]、年表、ENDING COLUMN「荒井さんとの別れから13年――今、プロレスは翼を広げている」
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