実況席から見た路上プロレスin東京ドームの一部始終 | KEN筆.txt

KEN筆.txt

鈴木健.txtブログ――プロレス、音楽、演劇、映画等の表現ジャンルについて伝えたいこと

BGM:王貞治&本間千代子『白いボール』

 

1987年10月4日、アントニオ猪木とマサ斎藤による昭和の巌流島対決から2年8ヵ月後の1990年6月24日、大仁田厚とターザン後藤が夢の島運動公園体育館で日本初の「ノーピープルマッチ」と銘打った一戦をおこなった。なぜ観客不在の試合をやることになったのか。それは大仁田に対し疑問を抱いた後藤が反旗を翻したものの「『身内のゴタゴタをファンに見せるな』が、ジャイアント馬場さんの教えでした」という大仁田の考えによるものだった。

取材するマスコミが立ち会い、中には入れなくとも集まった十数名のファンが窓の外から覗き込む中(数分間だけ“館外乱闘”があり、そこだけ生観戦できた)おこなわれた一騎打ちは33分49秒の激闘の末、両者KOで勝負がつかず。これにより、2人の決着戦は今なお伝説として語り継がれる史上初の電流爆破デスマッチへとなだれ込んでいった。

あれから26年と11ヵ月、ノーピープルマッチは夢の島から東京ドームへと到達。ファンに見せるべきものではなかったものが、今や世界中に生配信されるというまったくもって真逆な狙いのもとおこなわれる時代となった。

 



あの日と同じように今回も何人かの猛者が、その周辺まで来ていたという情報がSNSで見受けられたものの東京ドームには小窓などない。ただ、そこでタブレットを通じ比較的至近距離から観戦することで疑似体験は味わえたのだろう。

16時の試合開始より1時間ほど前、DDT UNIVERSE用実況の村田晴郎さんと私は某所に集合。そこは東京ドーム敷地内で起こることのすべてが監視できる秘密のブースであり、映像モニターを見て喋るという寸法である。

 



今回、団体設立20年にして夢の東京ドームへ進出したDDTだが、じつは2001年12月8&9日の2日間、福岡ドームには何食わぬ顔で進出していた。同所で開催されたイベントの一環としてフィールド内にリングが設営され、そこでタッグトーナメントを開催。大型ヴィジョンにも「闘う連続ドラマ ドラマティック・ドリーム・チーム“レスリングとんこつ”」とデカデカと映し出され、このタイトルは現在も博多における大会名として受け継がれている。

旗揚げからわずか4年でちゃっかりドーム進出を果たしたもののそこからが長かったわけだが、2012年8月の日本武道館大会でブチあげた東京ドーム進出は、路上プロレスという意表を突いた形で実現する。ちなみに今回の無観衆試合(主催者発表観衆0人)で同所における最低観客動員数が11年ぶりに更新された。

これまでの記録は2006年1月13日に「SPIRAL SPIDERS」というインディーズバンドがおこなった公演で、抽選に当たった約200人のオーディエンスが無料招待され、グラウンドに敷かれたゴザの上からライヴに参加し、冬にもかかわらず暖房を入れぬ中で熱気に包まれたという。それを大幅に下回るゲートとなり、今後もこの記録は破られることなく東京ドームの歴史へ刻み込まれる。

16時と同時に、現地の模様がモニターを通じ我々の目に飛び込んでくる。新日本プロレスの“イッテンヨン”等で見馴れているはずなのに、フィールド内から見る東京ドームは果てしなく広く、なおかつ「ガッラーン…」という効果音がうねりをあげるようなスタンド席の風景によって、それに拍車がかかる。

2001年10月13日、DDTは横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)外で開催されたイベントプロレスに参加後、屋内におけるセレモニーに急きょ駆り出され、試合を終えたばかりの汗だく状態で高木三四郎とMIKAMIが合唱に参加。これも観客を入れたものではなかったのですこぶるだだっ広く感じたわけだが、あの時の情景が頭に浮かんできた。

井上マイクリングアナウンサーの「ただいまより、路上プロレスin東京ドーム大会を開始いたします」の場内アナウンスから『FIRE!』がヒット。今回よりUNIVERSEが大人の事情をクリアし、エントランス曲が聴けるようになったのは嬉しい。一塁側ベンチから登場した高木は、無観衆に対し「ヘイ!ヘイ!」と煽りつつダイアモンドを一周。バックスクリーンをバックにファイアーポーズを見せる。

変わって東京ドームに2015年1月4日以来の『風になれ』が染み渡る。まさか桜庭和志戦に続くこの地での試合が路上プロレスになるとは、鈴木みのるも想像していなかっただろう。ちなみに路上プロレス出陣は2014年8月17日の両国国技館(高木&葛西純vs鈴木&中澤マイケル)以来。中継では「初かも…」と言ってしまったが失念していた。ごめんなさい。

鈴木はNEVER無差別級のベルトをブラ下げて三塁側ベンチから登場。思えば、日本武道館にて2人が5年後の約束を交わした時点で、このタイトルは制定されていなかった。

高木は現NEVER無差別級王者を倒さなければ5年越しのリベンジを果たすことができない。鈴木の入場を待つ間、いつになく荒い呼吸からも緊張の度合いが伝わってきた。

両者がホームベースをはさんでニラみ合う中、君が代斉唱。レッスルマニアにおけるリリアン・ガルシアよろしくアジャ・コングさんが熱唱するも、その間も収まらぬ両者はつかみ合いをやめない。それを覆うかのようなアジャ様のジャイアンリサイタルサウンドが、東京ドームの屋根を突き破らんかのようにボエ~ッと響き渡る。

 



これにより、アジャ様も東京ドームで歌ったアーティストの仲間入りを果たした。さて、試合はチョップ合戦からスタートしたが、すぐさま鈴木のワキ固めが決まる。グラウンド内にはロープがないためこれは早々に勝負あったと思いきや、高木が一塁ベースに手を伸ばすと松井幸則レフェリーが「セーフ」とコール。どうやらこの一戦は、プロレスと野球のルールを混在させたミックストマッチとしておこなわれるようだ。

松井レフェリーに野球の審判としての技量もあるとは知らなかった。そのアンパイアムーブは、往年のアマチュア野球審判の第一人者・西大立目永(にしおおだちめひさし)さんをほうふつとさせた。

セカンドベース上付近で逆片エビ固めを決めたものの、アームロックで逆襲された高木は、グラウンド内での攻防は不利と見たかゲリラ戦へ持ち込むべく三塁側スタンドへ。後楽園ホールバルコニー席からの「ジャスコ」コールが高らかに幻聴する。

無人のはずのスタンド席だったが、そこにいたのはスーパー・ササダンゴ・マシン。せっかく東京ドームなのでと、大型ヴィジョンを使っての煽りパワーポイントをおこなおうとしたが、コードがつながっていなくて映らず。そればかりか鈴木に見つかり心臓の病気からの復帰直後にもかかわらず先日の復帰戦に続き路上でボコボコとされる。

そのまま2人はスタンドを上り通路へ。客席の階段を上がっていく風景は、絵的にはWWEのシールドの入場シーンを逆回転しているかのようだった。そのままコンコースを進むと伊橋剛太がいたが、鈴木に蹴り飛ばされ蒲田行進曲状態に。さらに2階スタンドへ移動し、鈴木が高木を下へ落とそうとする。

この高さから落ちたら命はなかったが、そこへたまたま売り子のアルバイトをしている赤井沙希が「ビールいかがですかー!」とやってきた。これにより話題が赤井さんの体型(前とか後ろとかあるとかないとか)に移ったこともあり、命拾いする大社長。

その後も行く先々でいろんなゆかりある人々が登場。レディビアードが無観衆な場所で路上ライヴをやれば、大家健は東京ドーム関係者(ホンモノです)に5万円をチラつかせてガンバレ☆プロレス東京ドーム興行の開催を涙で訴え、さらに愛息のハッピーボーイ君へ総合格闘技用のグローブを買ってやるべくドーム内清掃のバイトをしていた葛西純までが巻き込まれたが、業務用脚立からのテーブルクラッシュで大家を真っ二つに。

ここから先は入り組んだバックステージへと移動。このあたりになると迷路のような状態のため関係者やマスコミの中で迷子になる者が出てもおかしくない状態。終わってみれば1人か2人ぐらい見当たらない人間が出てくるのではと不安になってきた。

半年ぐらいが経ってバックステージの目立たぬところでプレス証をつけた白骨が発見されたらじつに気まずい。それでも高木と鈴木のランニングワイルドは止まらず、すでに2度階段落ちし燃え尽きた灰と化した伊橋がぐったりしているところへ近づいてくるというシュールなシーンがあった。

この時、不自然に階段へ座り込む伊橋が長尺で抜かれていたが、これはもう一つのカメラの回線が脱線したらしく、その間のつなぎとしてフタ絵のように利用されたというのが真相。言われてみれば、直後にカメラが変わって階段で鈴木がアキレス腱固めをかけている時の映像が、映画『戦場のメリークリスマス』でジャック・セリアズ(デヴィッド・ボウイ)がヨノイ大尉(坂本龍一)に口づけするクライマックスシーンっぽく不自然に乱れている。だがその撮り方が絶賛された(カメラの不調だったのに)のと同様、今回も逆に臨場感が伝わってきてよかった。

その後、PRIDE.1で前田日明さんと高橋義生さんがニアミスした付近を通過するとムエタイ戦士やタクヤさん&ゆっこママ&楽しんごさん(KUDOではない)のオカマ軍団と遭遇し、ドサクサに紛れて男色ディーノまでもがそこへ。昔から「東京ドームは人生の縮図」とか「ドームには魔物が棲んでいる」とはよく言われるが、まさにその通りとしか思えない。

と、ここまではUNIVERSEで中継した模様が無料公開されているのでコチラをご覧ください。そして続きが見たくなったら即登録を。


試合は続くよどこまでも。そしてオカマはどこまでもついてくる。しばらくいくと、そこにはロッキー川村が。思えばこの東京ドームにおける初のプロレス・格闘技興行は1988年3月21日、マイク・タイソンvsトニー・タッブス戦だった。

 

その意味でも、ここにボクサーがいるのはアリだろう(駄洒落ではない))。ところがそのロッキーも、ディーノ&オカマ軍団によってなぶりものに。獲物へよってたかって食らいつくピラニアに、ロッキーは「エイドリア~ン!」と泣き叫ぶしかなかった。

 

三塁側ダッグアウトまで来ると、そこには棚ボタ弘至と中邑珍輔が。ヴィジュアル的にこの2人が東京ドームで揃うのは2014年1月4日のIWGPインターコンチネンタル戦以来となり、今となってはレアケース。よせばいいのに珍輔は鈴木に脱力のアレをやってしまい思いっきり顔面を蹴飛ばされ、棚ボタは「HARASHIMAはどこだ!?」やら「横一列で見てもらっちゃ困るんだよ!」やらと、ひとりで映画『俺たち文化系プロレスDDT』のメインテーマを勝手にオマージュする。

こちらも高木に蹴散らされ、ドームにおける2人の揃い踏みはまた封印された。そこからブルペンにいくと野球好きの石井慧介と中津良太がキャッチボールをやっていたのだが、その傍らにいた監督がなんと天龍さん! どうやら『巨人の星』における星一徹的ポジションらしい。鈴木は高木にボールを投げ放題のビンボール攻撃。

退散した高木を鈴木がグラウンドまで追うと、2人の視線がマウンドに向けられたまま止まる。そこにいたのは不動明王のようにそびえ立つガウン姿の里村明衣子だった。

野球の経験はまったくないと思われる里村なのに、その存在感は往年の伊良部や大魔神・佐々木を遥かに超えるものがあり「私と勝負しろ!」とプロレスではなく野球での勝負を2人に挑む。先頭バッターとして高木がバットを持ちバッターボックスへ立ち、ウグイス嬢・滝川あずさのアナウンス。

 

気がつけば両サイドベンチでは、とりあえず東京ドーム内に入れるというだけで集まったような選手の皆さんが盛り上がる。これは相当のピッチングを見せるという雰囲気が充満する中、里村の投げた投球は絵に描いたような大暴投や草野球でもあり得ないような距離でボールがバウンドし、チョロチョロと転がるのみ。

普通なら、ここで思わず照れ笑いでも浮かべるところだが、やはり女子プロ界の横綱はモノが違った。眉一つ動かすことなく異様なまでの眼力で投げ続けたのだ。

おびただしい数のアレやコレやがあった今回の路上プロレスにおいて、最初から最後までビタ一文表情を変えなかった人物が2名いる。一人は里村。そしてもう一人は人間の感情を忘れた男・サムライTVのマタローである。

そんな里村を攻略できぬ高木に業を煮やした天龍監督が、代打・淡口を告げる長嶋茂雄監督の向こうを張って鈴木との交替を告げる。気がつけば里村はボールが届くようにとマウンドを離れホームベース付近にまで来ているかのようだったが、村田さんいわく「いや、あれは里村さんの迫力によって前に迫ってくるように見えただけです」とのこと。まさに『巨人の星』や『侍ジャイアンツ』チックな描写が現出していたのだ。

ところが、里村の投げたボールが鈴木の頭をかすめたためバッターボックスから突進。ここで真っ先にベンチから鉄砲玉のごとく飛び出してきたのが征夫さんというのが、また…。

これを機に両軍入り乱れプロレスまがいではなく野球まがいの大乱闘へ。収拾がつかなくなったところで天龍監督がストップをかける。かつて藤波辰爾のドラゴンストップがあった同じ東京ドームで、もう一人の龍がストップをかける日が来るとは万感の思いである。確かに野球は殺し合いではない。

天龍さんのおかげで再び1対1に。スリーパーをスタナーで逃れた高木は、ヤクルトvs阪急の日本シリーズで大杉勝男のホームランをファールだと抗議しに走っていった上田利治監督のようにレフトポール下まで移動し、きびすを返すと「うおおおぉぉぉぉ~っ!!」と全力疾走。この時、しっかり並走するマタローの姿は、まさに恨みを晴らすべくどこまで追いかけてくる魔太郎そのものだったが、とにかく十二分に助走をとった上でのサンシローズラインで勝負に出た47歳の高木は100mぐらい走ったとあってすっかりバテてしまい、あっさりかわされスリーパー。

そこからゴッチ式パイルドライバーでグラウンドに叩きつけられると3カウント。バックホームで手を伸ばしたものの、わずかにホームベースには届いておらず、松井レフェリーが「アウト!」を宣告し、終了となった。

 



5年越しのリベンジを果たせなかった高木は、これほどの時間をかけてやっても勝てないとあればもはやここまでとばかりに、その場で引退を宣言(3・20さいたまスーパーアリーナ大会以来、鈴木みのる関連では通算3度目)。もはやその表情には思い残すことは何もないと高い筆圧で書かれている。

屋台村プロレスからキャリアをスタートさせた男の引退試合が東京ドームになるとは…まさに男の花道である。こういう物語があるからプロレスは素晴らしい。

ところが、カウント7のところで横に並んでゴングを聞いていた鈴木に不意打ちのスタナー。そして「俺はまだ諦めねえぞ。次、あんたと当たるのはここだ!」と告げるや、指を差したヴィジョンに“無人島”の三文字とテキトーな無人島の写真が映し出される。

誰もが驚き、そして光の速さで引退することなど忘却の彼方へと投げっ放す中、鈴木は「やってやるよ!」と即答。東京ドームよりさらに広いところでの無観衆試合となると、言われてみれば無人島はその条件に当てはまる(別に当てはまらなくてもいいのだが)。

「俺は引退なんてしねえよ! 栄光のDDTは、永久に不滅です!!」と長嶋茂雄の現役引退を勝手にラーニングした高木。その場にいた誰もが「それが言いたいだけでやったのとちゃうんか」と突っ込んだのは言うまでもない。

敗者なのに『FIRE!』が流れる中、鈴木が襲いかかり再びベンチ組も加わっての大乱闘。脳内で『8時だョ!全員集合』オチのテーマが大音量で流れる中、UNIVERSEの中継は終了した。

勝負タイムの33分54秒は、奇しくも26年11ヵ月前の大仁田vs後藤戦とわずか5秒しか違わない。路上プロレスのスペシャリストである高木と、恐るべきコンディションを誇る鈴木ではあるが、これまでの多人数ではなく1対1で広大なドーム敷地内を移動しての闘いは想像以上にキツかったはず。特にスタンド席の傾斜はけっこう急だし、バックステージでかなり階段も上り下りしたのだからそれも当然だ。

にもかかわらず、30分を超える激闘を繰り広げ路上プロレスの神髄を見せた2人に敬服する。それにしても次回は無人島って…これはシャレ抜きで遭難者の出る恐れがある。にもかかわらず、村田さんは中継をこう言って締めた。「それでは皆様、無人島でお会いしましょう!!」

 

【DDT UNIVERSE】【見逃し】路上プロレス in 東京ドーム