十六回目の5月16日――今でも荒井昌一さんに頼ってばかりいる | KEN筆.txt

KEN筆.txt

鈴木健.txtブログ――プロレス、音楽、演劇、映画等の表現ジャンルについて伝えたいこと

BGM:新生FMWテーマ曲『TEAM F.M.W』

 

本日5月16日は荒井昌一・元FMW社長の十六回目のご命日です。2002年のあの日から15年が経ちました。
 

今年もFMWにゆかりあるみんなのことを報告するべく、お墓に参りました。まずは何よりも3月に熊本で開催されたハヤブサ選手の一周忌興行について。ミスター雁之助選手をはじめとする仲間たちが江崎英治さんのために走り回って実現させ、あの頃のFMWの風景が蘇ったことを伝えるべく週刊プロレス誌に掲載されたグラビアをお供えしました。

 



そこから、今もプロレス界でFMWの三文字を胸に頑張っている者たちの近況を話します。雁之助選手のケガが早く治るようにお願いし、またFMWと直接的な関係はなくとも荒井さんが愛したプロレス界の戦友たち…本間朋晃選手、柴田勝頼選手、高山善廣選手をはじめ、ケガや病魔と闘いを続けている皆さんに力を与えてくださるよう、頼みました。

毎年そうなのですが、荒井さんを偲ぶというよりもプロレスに関する願い事ばかりを押しつけているような気がします。普通なら「来るたびに頼んでばかりじゃないか」と叱られるのでしょうが、荒井さんは笑顔で「私ができることであればいいですよ!」と言ってくれている…勝手にそう受け取っています。



▲写真は昨年のお墓参りでお供えしたもの。ハヤブサ選手が亡くなられた2ヵ月後だったため、当時のものを荒井さんへお渡しした。1997年、工藤めぐみさんの現役引退と山田敏広リングアナウンサーの退社の慰労会で、普段は落ち着いて全体を見守っていた荒井さんも、ハヤブサ選手のリクエストでカラオケを披露した

 

この日はご命日ということで何人もの方が訪れたのでしょう。供えられたばかりと思われる花が花立だけでは収まらず、水入れ2つ分もいっぱいになって置かれていました。私はこの地を訪れると荒井さんともう一人の方に花を添え、手を合わせます。

2009年9月、週刊プロレス編集部を離れる数日前に荒井さんのお墓の場所を知らせていただいた方がいらっしゃいました。これは当時の『週プロ野郎』で書いたのですが、じつは荒井さんが亡くなられてからその年まで、私は最後の地である水元の近くにある八潮市のお寺にいっていました。

 



でもそこは荒井さんのご先祖さんのお墓であり、現在のお墓ができた時点で移ったのですがそれを知らずに八潮へいっていたことになります。その記事を読んだ方から「私の弟のお墓がある場所へFMWのロゴマークが刻まれた立派なお墓があるんです。そちらが荒井さんのお墓だと思われます」と知らせていただいたのです。

 



退社して数日後、その方と落ち合い一緒に荒井さんと弟さんへ会いにいきました。その方も弟さんも以前からプロレスが好きで、FMWでリング撤収の手伝いをして荒井さんからていねいにお礼を言っていただいたという思い出話も聞かせていただきました。

もしも連絡していただいたのが数日遅れたら私はすでに編集部へいなかった。荒井さんがその方の弟さんを通じて本当のお墓の場所を伝えてくれたのだとしか思えなかったのです。

そんな恩人である弟さんは、今も荒井さんと同じ場所で眠っておられます。毎年感謝を伝えるとともに、荒井さんの話し相手になっていただくようお願いしているのです。

お二人が眠る場所は隣が竹やぶになっていて、本当に静かで心の休まるところです。お墓の前を離れるさいに、最後のおねだりをしました。「荒井さん、SHELLさんに翼をください」