初めて出逢った時の約束を果たしてくれた20周年…POLYSICSはPOLYSICS | KEN筆.txt

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BGM:POLYSICS『Uncontrollable Urge』(DEVO cover)

 

4日はPOLYSICSの20周年記念ライヴで豊洲PITへ。どーしてもグッズのボトルがほしくて開場より1時間ほど早目にいくも(ひとつ前の短期ツアー中に発売されながら完売となり、今回がデザインを替えての再販)自分の数十人前で、開場前グッズ販売の終了時間が迫っていたため締切に。

 

とはいうものの、開場したあともでも無事購入できた。ボトル以外にはかまちのポーチ(略してかまポーチ)も購入。やはりグッズは実用品の方が食指がそそるのだ。

 

▲会場内に貼られていた歴代ポスター。改めて見ると、こんなにあったんだなーとの感慨が

 

それにしても20周年ですかー。ハヤシさんと出逢ったのは『NEW WAVE JACKET』リリース直後だったから2001年で、初対面でこんなことを言ったのを憶えている。

 

「ヴィジュアルを見た瞬間、これは聴いたら絶対にハマって人生の何割かを奪われることになるのがわかったから避けていたんです。でも…避けきることができませんでした。それでですね、自分が好きになったバンドってみんな解散しちゃうんですよ。YMOもPLASTICSも解凍P-MODEL(厳密にはメンバーチェンジ)もJAPANも…だからそのジンクスを破ってください」

 

今思うとけっこう失礼なこと言っているよね、これ。でもテクノ&ニューウェイヴバンドって昔からなぜか活動期間が短くて、その後ソロになっても追い続けることはできても、やはりバンドという形態が好きで聴き始めたからにはずっとそれでいてほしいのが本音で。その思いを口にしたら、ハヤシさんは笑っていた。

 

でもテクノを踏襲するだけにとどまらず、マンパワーによるロックとしても昇華させて唯一無二のサウンドを確立させた上で20年も続けるとは、その時点では想像もしていなかった。YMOでデビューから散開まで5年、PLASTICSにいたっては中西・チカ・立花・佐久間・島体制だと実質2年ほど。みんなやりきってしまうとじっとしていられず次のものを求めてしまうクリエイター体質だから、短いのかなどと思ったりもした。

 

だから、見られるうちに見ておかなければいつか見たくても見られなくなる日が来るという強迫観念から、時間の都合がつくかぎりライヴへ足を運んだ。そもそも避けきれなくなっていった初のワンマンは名古屋のCLUB QUATTROだった。

 

関東近圏では千葉LOOK、横浜FADには何度もいき、前橋club FLEEZ、柏ZAX、HEAVEN'S ROCKさいたま新都心。2002年ぐらいまでは学園祭にも出演していて東京薬科大学や明治学院大学の体育館で見たこともある。体育館でニューウェイヴ…大学の生徒さんたちが体育座りで眺める中、演っていた頃だ。

 

札幌、大阪、大家健さんの地元・富山県南砺市ではBOOM BOOM SATELLITESとの対バンだった。これも今となっては本当に貴重な一夜となってしまった。

 

ハヤシさんと他のメンバーであるフミさん、ヤノさんがテクノ&ニューウェイヴの先人と違ったのは、バンドに対する思い入れの深さが大前提としてあったこと。よく「プロレスって人生そのものですよね」と選手や関係者が言うけれど、彼らにとっては「POLYSICSって人生そのもの」と胸を張って言えるのではないだろうか。それを家族のような距離感でスタッフの皆さんが支え、一緒に喜びも苦労も味わうことで20年続いてきたのだと思う。

 

思い入れがあって、何よりも楽しまなければそんなに続かなかったはず。もちろん産みの苦しみもセールスに関する悩みも我々の知らぬところで味わったと思われるが、ライヴでそういったネガティヴな匂いを感じさせたことは少なくとも自分が見た80回以上のステージで一度もない。

 

いつもオーディエンスをハッピーにさせて、自分たちも楽しんで。エンターテインメントの基本を崩すことなく演奏スキルもキャリアとともに上げていって、そして今なおあの血管がブチ切れるようなテンションでやっているのは、じつはすごいことなのだと思う。

 

以前にやった2日でダブりなしの100曲演奏にしても、今回のライヴで歴代衣装を披露するべく何度も着替えたのも、雑談の中で「いいね、それ!」となってもなかなか本気でやろうとは思わないのが普通。でもPOLYSICSはバカバカしいことも面倒臭いことも、自分たちが楽しめてファンにも喜んでもらえるならば当たり前のようにやってしまうバンド。そこに関しては、感謝の念さえ抱いてしまう。

 

▲ライヴでさんざん衣装を着替えまくった揚げ句、ラストにはNEW衣装も披露。黄色は『NEU』期以来2度目

 

みんなから「ハヤシ君」と呼ばれていたハヤシヒロユキさんも、今年の8月8日で最後の三十代を迎えます。あのハヤシがもうすぐ四十代!? でも二十代の時とまったくテンションもヴォーカルスタイルも変わっておらずライヴでは叫び続けているんだから、これまたすっかりすごい!!!!!(かつてウェブで隔週連載していたコラム「ストップ!!びばりさん!」で本人が書いていた言い回し)。

 

▲アーリーPOLYファンにとっては懐かしの“びばりさん”。びばりさんとはシモキタにある当時、行きつけだったお店。ここのトリッパがうまくて、CUEのライヴ後、朝まで打ち上げしたものだった

 

この方は五十代になっても六十代になってもPOLYSICSを続け、そしておんなじ声で歌っているのだろうか。再結成されたYMOの皆様も、昨年見ることができたPLASTICSも年相応にサウンドも落ち着いていたが、DEVOがおっちゃんたちになってもカッコいいように、ハヤシ&フミ&ヤノのトリオだったら永遠に二十代の初期衝動まんまのPOLYSICSを続けるのではないかというのが、20年を迎えた時点での正直な感触なのである。

 

そげなことを思いつつ、全39曲をスタンドスペース後方より眺めていた。この日はアニバーサリーということで久々にライヴ会場へ足を運んだという知り合いがけっこういて、再会できたのも嬉しかった。その中には元メンバーのスガイさんや元サポートのイシマルさんもいて、元気そうだった。

 

POLYSICSのいいところは、何かがあると歴代のメンバー(及びサポート)が集まること。今となっては顔を合わせられないという関係がひとつもなく、アメリカ在住のカヨさんも日本へ帰ってくるとメンバーと会っている。このあたりにも、バンドの家族性、チーム性が表れている。

 

▲POLYSICSオフィシャルブログ「Poly Blog」より前列左からハヤシ、フミ。後列同じくスガイ、イシマル、ヤノの歴代メンバー及びサポート。後ろのお三方が歴代POLYドラマー

 

デビュー通算1000本ライヴの翌日に1001本目を同じ渋谷AXで演ったように、一本一本のステージを自分たちらしく形にしていく。いつ、どこでどう切ってもみんなの中にある最大公約数のPOLYSICSが見られる…それを20年続けてきたのだから、これからもCLUB QUEでやっていた頃と変わらないのだと思う。

 

終演後の挨拶を済ませ、すぐさまPITを出てニコニコプロレスチャンネルへ。JWP女子プロレス退団後、フリーを経てSEAdLINNNGリングへ入団した中島安里紗選手の生インタビューを中継。本番前に、買ってきたPOLYボトルを持ってもらい撮影。中島さんはそれがなんなのかわからぬまま応じてくださったのであった。

 

▲中島さん、趣味に付き合わせてしまいすいません。ハヤシさんも“ゼンジョ世代”の女子プロファンです

 

▲帰宅後、フミさんの愛猫・かまちとウチのタロ太郎をお見合いさせる

 

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