【お酒】歴史編その2!ウィスキーは「命の水」だった!? | 大久保建佑のグルメ・酒・音楽ブログ

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こんにちわ。北海道の札幌市在住の、大久保建佑です。
趣味のグルメ、お酒、音楽について書いていこうと思います。

大久保建佑です。

 

前回は「ワイン」について書きましたが、神の血とも言われるワインは、色々な説がありましたので、まとめるのがちょっとだけ大変でした(笑)

 →今ふと思ったのですが、なぜ神の血と呼ばれるようになったのか、という歴史を調べるのも面白そうですね。

 

今回は!

お酒の歴史編、第2弾!

 

ズバリ「ウィスキー」について書いていきます!

※こちらは僕の大好きなウィスキーの「ダルモア」です。

 背景に僕の部屋が映っているので加工しております(笑)

 

ワインと並び、世界各国で造られているウィスキーは、時に「命の水」と呼ばれるほど珍重されていたそうです。

そんなウィスキーがいつ、どのように誕生し、どう世界に伝わっていったのか?

 

さっそく入っていきましょう。

 

■始めは薬用目的だったウィスキー

先ずウィスキーは「蒸留酒」に分類されるお酒です。
この蒸留という技術は、15世までにヨーロッパから、アイルランドとスコットランドに伝わってきたそうです。
 
この頃、アルコールの蒸留は薬(天然痘などの治療用)として用いられており、ここから上述の「命の水(アクア・ヴィテ)」という言葉が来ているものと思われます。
 
※ちなみにお酒とは無関係ですが「うしおととら」という漫画に「アクア・ウィタエ」というアイテムが登場します。恐らくこれが語源でしょう。
 
薬用目的だった蒸留酒は、時代の流れと共に飲用にも使われるようになります。
文献上で飲用ウィスキーが登場するもっとも古い記述は、スコットランドとアイルランドの2か国です。ここでは詳しい解説は避けますが、いずれにしろ1400年~1500年ごろには既に、庶民にもウィスキーは広まっていたようですね。
 
 

■最初のウィスキーは透明だった?

ウィスキーについて色々調べていくと「色は無色透明だった」という記述も見つけました。これはとても意外でした。
 
ウィスキーの茶色は樽に入れて熟成させることにより、樽の色素が移る事でついています。つまりは木の色ですね。しかし、当初は「熟成させる」という工程が存在しなかったため、焼酎やジンのように色がなかったのです。
 
ちなみに、何故熟成させる技法が生まれたのかと言うと、これは偶然の産物によるものです。
 
1707年、イングランドとスコットランドが合併して、グレートブリテン王国が成立した時。
王国は蒸留所に、酒造に対する課税を行いました。これは年々、様々な名目で増税されていく事となり、多くの蒸留所が廃業に追い込まれていきます。
この時、廃業を逃れるために地下に潜り、密造を行う蒸留所が多発し「密造時代」という言葉が残るほどの状態になったそうです。
 
この密造したウィスキーを隠す時、たまたま樽が使われて保存された事で、熟成させるという工程が生まれたのです。
 
何が何に繋がるか分からず、とても面白いですね。
 
 

■現代で語られる5大ウィスキー

最後に、現代のウィスキー産出国の中で代表的な国を5つ紹介いたします。
これは「5大ウィスキー」と呼ばれるほど、世界的に知られているウィスキーです。
 
・アイルランド(アイリッシュウィスキー)
・スコットランド(スコッチウィスキー)
・アメリカ(バーボンウィスキー)
・カナダ(カナディアンウィスキー)
・日本(ジャパニーズウィスキー)
 
次回ウィスキーを買う時、普段飲んでいるウィスキーがどこの産地なのか見てみるのも、楽しいかも知れませんね。
 
 
それでは、良いお酒を。
 
大久保建佑