桶狭間古戦場
昨日の熱田神宮の記事
に引き続き信長公と勝家公の足跡を追って辿り着いたのは、やはり決戦の地・桶狭間でありました。
愛知県豊明市栄町に伝わるこの地は国の史跡に指定されており、現在では緑豊かな公園として整備されております。桶狭間の顛末については一昨日の記事 にも記しましたが、かつてこの場所で日本三大野戦の一つである「桶狭間の合戦」が繰り広げられたとは、この聳え立つ石碑が無ければ想像だに叶いません。
上の画像は、公園の一角にひっそりと佇む「今川治部大輔義元の墓」であります。
戦勝を確信して桶狭間にて休息を取り、昼間から酒宴を催すなど完全に油断し切っていた義元の陣に一番槍をつけたるは信長が家臣・服部小平太でありました。横腹へ長槍を突き刺された義元はそれでも名刀・宗三左文字を抜いて反撃に転じ、小平太の右膝に斬りつけるなど応戦。しかし駆けつけた二番槍の毛利新助との乱戦の末、終には組み伏せられ首級を討ち取られた無念の最期が「信長公記」に記されています。
“うつけ”と呼ばれた26歳の信長が、“海道一の弓取り”と謳われた42歳の義元を打ち破ったその日は、間違いなく歴史の分岐点でありました。西暦で云うなら、ちょうど今から450年前の明後日6月12日の出来事です。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ
今は静まり返った桶狭間に立ち尽くして、私は「平家物語」の冒頭を想起せずにはおれませんでした。

