kenro-miniのブログ -8ページ目

kenro-miniのブログ

kenroが見た、行った、読んだもんをつらつら書き。美術展、映画、本、旅行など。

いよいよクライマックスに近づいてきた。今回、最も行きたかった場所。ロンドンから特急で40分ほど、しかし、その先はタクシーしか足がない。広大な公園を擁するには、街から遠く離れたところに設けざるを得ない。イギリスには高い山がなく、なだらかな丘が延々と続く。平坦な丘陵地に端が見渡せないほどの広さを持つヘンリームーア財団のスタジオと公園である。

20世紀を代表する抽象彫刻家であるヘンリ・ムーアの作品は、大きな作品も多く、パブリック・アートとして日本でもよく見かける。「抽象」だが、矩形ではなく直線がほとんどないのが、ムーアの特徴だ。そしてムーアが挑戦し、ムーアの知己であるバーバラ・ヘップワースが大成したのが「空洞のある彫刻」である。ムーアの作品は何を表したものかすぐには分からないフォルムでありながら、曲線の持つ柔らかさが作品そのものを優しくしている。一方、ムーアの普遍的なテーマ「母子像」は、もちろんキリスト教の「聖母子」の発展系であろう。いや「ファミリー」が「聖家族」なのである。

あいにく曇天であったが、大きく雨に降られることもなく、公園を隅から隅まで回ってみた。2階建ての家くらいはあろうかというブロンズが点在し、作品から作品にゆっくりたゆたう時間もまた素敵だ。ムーアの生み出すフォルムは、そうとはすぐには見えないが、基本的に人体像が多い。それが横たわり、優しくこどもを包んだりしている。公園内には、ムーアの工房が残っていて、そこにある等身大のデッサンや試作の多くが人体であることから分かる。ただ、メタモルフォーゼ?の過程で、人体はどんどん抽象化してゆき、曲線のフォルムだけが残る。ジャコメッティの彫像があれだけ細いのは、作者が無駄と思う部分を削ぎ落とした結果と、方法論や完成形は違うが、同じように完全を目指すアーティストの性とも思える。天気が良ければ、羊のフンがないフィールドでゴロリと一日過ごしたい空間だった。

ムーアの居宅が公開されていて、英語ガイドはやはりほとんど分からなかったが、書架に入江泰吉の仏像写真集を見つけて興味深かった。

最終日。夕方の飛行機まで時間があるので、バッキンガム宮殿に行ってみた。実はロンドンには数回来たことがあるが、初めての訪問だ。ただし、玄関前のお上りさんと同じく、中には入らず、衛兵を遠くから眺めるだけで済ませた。最後は、初日に疲れて半分までしか回らなかったテート・ブリテンへ。いきなりデュシャンの《大ガラス(彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも)》がある! 確かフィラデルフィア美術館と東京大学にしかないはずだが。調べれば、東京版はストックホルム版と、このロンドン版とならぶ複製版の一つで、東京版だけデュシャンの没後1980年に瀧口修造や東野芳明らの監修によって再制作されたものらしい。ロンドン版は、ポップ・アートの先駆者と言われるリチャード・ハミルトンによるレプリカである。テートのデュシャン・ルームには、デュシャン・ボックスこそなかったが、他の作品ほか、《大ガラス》制作過程のエスキースなどもちゃんとある。アートの起源はミメーシス(模倣)にあるという根本理論を思い出すとともに、デュシャン自身が《泉》(有名な便器のあれ)をはじめ、レディメイドをオリジナリティへの挑戦をオリジナルな自作と化した戦略は、きちんと受け継がれている。

テートには、近・現代アートのコレクションがすごい。フランシス・ベーコン、ブリジッド・ライリーなど。もうご機嫌でロンドン・アート散歩を終えた。

多くのところで順調に来たのに、帰国便を待つヒースロー空港で老眼鏡を落としてしまった。ショック。ポンドが、物価がすごく高くてなんとか昼はコーヒとパンくらいで済ませるなど節約したのに、日本に帰ったらメガネを新調しないといけないのか。とほほ。

(左はヘンリー・ムーア《Three Piece Sculpture:Vertebrae(脊椎)》、リチャード・ハミルトン《大ガラス》レプリカ)。