ケン・ローチの作品については、公開されるたびにこのブログでも触れてきた。日本で公開された劇場映画や、ビデオ、DVDが入手できた作品はフォローしてきたつもりだが、さすがにBBCドラマや初期作品は把握できていなかった。それが、本書によって時系列、時代背景と傾向によってまとめられてとても助かった。そして何より著者のローチに対する尊敬と信頼が見え、また軽妙な文体が素敵だ。
1936年生まれのケン・ローチはオン年90歳になる。もう引退して数年というのが当たり前の年齢であるのに、今年になって「オールド・オーク」(2023 https://ameblo.jp/kenro-mini/entry-12964267447.html)が公開され、制作意欲が衰えていないことを印象づけた。しかし、本書でもあるように、ローチは2014年に一旦引退を宣言している。が、翌年の総選挙で保守党が大勝すると「わたしは、ダニエル・ブレイク」(2016 https://ameblo.jp/kenro-mini/entry-12913157028.html)を撮った。保守党の福祉予算削減に怒ったのだ。ローチは「ダニエル」で二度目のカンヌのパルム・ドール賞を獲得している。
そして、復活したローチと『万引き家族』(2018)でパルム・ドールを受賞した是枝裕和監督との対談が実現。是枝がローチが憤っていると評した成果が「家族を想うとき」(2019 https://ameblo.jp/kenro-mini/entry-12913157115.html)。「家族」では現在では当たり前のギグワーク、より多くの労働現場で使い捨てにされる人たちを描いた。資本主義の論理は人を使い捨てるだけではない。労働者の家族や人間関係そのものも壊していくのだ。そして「オールド・オーク」。炭鉱で栄えた街は遠い昔。仕事がない街に、地域の声も聞かずに移を多く住まわせる政策に、住民らの怒りが爆発。持てる者と持たざる者、旧住民と移民、分断を加速させる構造をもたらしたのは誰なのか、何であるのか。
ケン・ローチは一貫してコミュニストであり、底辺の労働者や仕事にあぶれた者を描いてきた。そして、著者が何度も強調するように、ハリウッド的な勧善懲悪、大逆転のカタルシスとは正反対のリアルを示してきた。底辺の労働者は底辺のままであるし、ボロは着てても心は錦、ではなくて、クズはやっぱりクズらしい。そして、多くの場合は救いのないエンディング。ダニエルは死蔵発作で急死するし、「家族」の主人公リッキーは、大怪我を負ってもノルマをこなすために配達に出かける。これが現実である。だから怒っている、怒れと。
英文学が専門の著者でさえも、ローチ作品のローワー・イングリッシュは聞き取れないし、そもそも階級によって文化や言葉が全然異なっていて、そこにある分断を前提にしていない物語はウソなのだ。その分断を直視し、分断を強化する、人を優しくしない、扱わない世界は全てを荒廃させる。
作品に登場する俳優の多くはシロートであったり、そもそもスラングを普通に話すリアルさが脇役にまで行き届いているという。どこかの遠い国のお話ではない。分断を固定化し、人を使い捨てる構造は日本でも進行、拡大中である。ローチのように怒れ。
(『知の革命者たち ケン・ローチ 闘う映画監督』狩野良規 水声社 2026)
