kenro-miniのブログ

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kenroが見た、行った、読んだもんをつらつら書き。美術展、映画、本、旅行など。

 このブログで取り上げるのは戦争や差別、社会問題を扱った映画や本が多い。そこでの筆者のコメントもリベラルだというのは自覚しているし、訪れた方には分かってもらえると思う。筆者もそういった反差別や権力犯罪弾劾、悪法と考える政策などへの反対集会やデモに参加することもあるが、至って穏当なものである。このブログほかSNS、たまに寄稿する短文など筆者の行動の場は文字が中心である。だから、実際にアウトリーチを旨とする運動や人に対して何か引け目をずっと感じていたというか後ろめたい思いがあることは正直に告白しようと思う。直接的な運動や共生から逃げていると。

 新宿で帰る場所がなく性売買に従事せざるを得ない女性たちと話し、寄り添うColaboの活動は知っていたし、代表の仁藤さんらが凄まじい攻撃に遭っていたこと、事業が新宿区の助成から外されたことなどは知っていた。しかし本書でその凄まじさと、その背景に揺るぎないミソジニーが攻撃者やそれを許す社会にはびこっていることを再確認させられた。小川たまさんが明かしている。ミソジニーとは「女性嫌悪」などという単純なものではなく「家父長制に抗おうとする女性への制裁欲」(ケイト・マン)であると(181頁)。そう、そのバックに家父長制が厳然とあるのだ。家父長制とは女性は男性より下である、劣っている、から男性に従順でだけあれば良い、そのシステムは過去から未来永劫壊してはならないという感情であり、構造であり、観念の差別である。しかし、払拭には程遠い現実がある。仁藤さんらを名誉毀損などで100件を超えて訴えた暇空茜何某という人物が、それを体現している。全て暇空側の敗訴、反対に暇空を訴えた裁判では暇空の「デマ」が名誉毀損に当たるとしてColabo側が勝訴している。しかし、裁判に勝ったからといって差別や攻撃が止むわけではない。暇空応援団が暇空の訴訟費用をカンパし、暇空と対立したミソジニストらが勝手にColabo応援団のフリをして話をややこしく、また仁藤さんらを疲弊させる。ついにはColabo弁護団の中にも、背信の弁護士まで出てくる。どこまで女性を性的消費する社会とそれに寛容であるのか仁藤さんの絶望は深い。しかし、絶望しているだけでは女性らを救えない。

 新宿区から一度は追い出されたColaboは自前で部屋を借り、女性たちの相談事業やシェルター運営を続けている。だが不安定であるし、攻撃にも晒されやすい。そこで本書の終章では仁藤さんは「女性人権センター」建設プロジェクトを立ち上げたとする。相談ほか業務を総合的に運営できるビルの建設である。2030年開館を目指して10億円を世界の女性たちに呼びかけるという。壮大で、とてつもないアイデアであるが、だからこそ応援したくなる。

 仁藤さんの実体験録と田中優子さんの論稿で指摘される「家族・家庭はいいもの」という幻想。(性暴力も含む)暴力、遺棄、無視など、家におられないから夜の街に出てくるのに行政や家庭裁判所などは家庭に返すのが一番とするが、それが少女たちを追い込むのだと。この家庭が一番の思想は、家父長制の維持とパラレルでもある。こども家庭庁が発足の際、最初は「こども庁」であったのに、自民党の右派勢力が「家庭」をねじ込んだ。しかし今や高市政権。政権自体が右翼そのものであり、武器輸出、国家情報局設置とスパイ防止法、国旗損壊罪制定、そして改憲と、NPT会議で中国が「日本が軍事大国化を志向」と評したのは正鵠を射ているのである。そして紛れもなく戦争国家であった日本は戦前、家父長制が法定されていた。

 仁藤さんのミソジニー「粉砕」の思いは、反戦国家につながるとも思う。

(『Colabo攻撃 暴走するネット社会とミソジニー』仁藤夢乃編著 地平社 2025)