kenro-miniのブログ

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kenroが見た、行った、読んだもんをつらつら書き。美術展、映画、本、旅行など。

私事で恐縮だが、兄弟が倒れて入院し、その後手術は成功したが、認知症が進行し、車椅子生活を送っている。まだ筋力、体力もあり歩けたらと思い、以前ドキュメンタリーで見た「ユマニチュード」を実践する施設がないか探したが、残念ながら兄の住む近辺にはなかった。「ユマニチュード」とはフランスで考案された介護の現場でのケアを受ける人に対する「人間」的な対応姿勢を明確にした(医療・看護)技術である。具体的にはケアを受ける人と目を合わせ、笑顔で語りかけながら歩行を助けたりする。車椅子、座らせたままにしないという哲学がある。当然手間がかかり、看護者などより多くの人手がかかる。フランスでも実践する施設はまだまだ少ないという。

「急に具合が悪くなる」はこのユマニチュードを実践する機関の施設長マリー=ルー・フォンティーヌ(ヴィルジニー・エフィラ)と偶然出会ったステージ4のがん患者である森崎真理(岡本多緒。エフィラと岡本はカンヌ映画祭で主演女優賞)の物語である。同時に、真理が演出する一人芝居を清宮吾朗(長塚京三が好演)が演じ、吾朗の孫で自閉スペクトラム症の智樹(黒崎煌代)が突然舞台に上がったりすることで、障害の有無、壁を取りはらう「固定観念」を打破する気高い物語でもある。「固定観念」とは、精神病院の存在であり、イタリアのバザーリアによる実践がある。「バザーリア法」は実際イタリアで精神病院を廃絶した。最初に精神病院を廃した街トリエステは、現在でも「トリエステ・モデル」として世界的に高く評価されている。

本作の原作は人類学者の磯野真穂さんと哲学者の宮野真生子さんの往復書簡『急に具合が悪くなる』(晶文社 2019)。だから映画でもマリーは過去に日本で人類学を学び、真理はソルボンヌで哲学を学んだことで日仏語での対話が可能になった設定となっている。当初無理があるようにも思えたが、原作の人物像である重要なエッセンスを壊さないこと、磯野さんが映画化に際し、それを望んだことも分かり、さほど無理感はなかったと言えよう。真理がマリーに哲学講義よろしく、資本主義における外部(経済的弱者、人種・国籍やセクシャル・マイノリティ、産業に遅れた地方など)の可視化と肥大化の必然性を説明する。その外部には当然、病者やケアを必要とする人々も含まれる。しかし、資本主義の中心部分は経済的強者たる資本(家)であり、様々な資本の恩恵で弱い部分を補うことができる。億万長者ならぬ兆万長者のイーロン・マスクが壊れていく地球を捨てて火星に自分らだけの桃源郷を作ろうとする発想はその最たるものだろう。

がん患者の真理はまさに「急に具合が悪くなる」。それを腫れものを触るような対応ではなく、屹立した一人の人間として接するマリーや吾朗、智樹や周囲の人々は明確に「資本家」ではない。真理がマリーの施設で認知症の人々が互いに足をさするパフォーミングを取り入れ、そこで触れる身体が互いの格差や強弱を無化する動きに転じるのだ。様々な身体外の「資本」に頼る「資本家」は人をしあわせにはできない。

トマ・ピケティや斎藤幸平の著作が広く読まれる現在、私も含めて資本主義では解決できない関係性を希求し、また、その関係性を拓く思想に飢えているのかもしれない。196分の長尺だがおすすめする。(「急に具合が悪くなる」濱口竜介監督 2026 フランス=日本=ドイツ=ベルギー)