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kenroが見た、行った、読んだもんをつらつら書き。美術展、映画、本、旅行など。

 

選択的夫婦別姓を支持する立場から、女性の「結婚」「改姓」には関心がある。職業を持つ、持たないに関わりなく、女性の側が「結婚」によって退職を含めて、生活基盤が一変され、「改姓」によって、自己のアイデンティティや職業その他の連続性を断たれる現状は、両性間の非対称を如実に示す。画家という創造的、前進的な立場にあっても、それは変わりない。

今回、「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」展に登場する女性作家は、1913(大正2)年生まれの田中田鶴子(〜2025)から1933(昭和8)年生まれの田部光子(〜2024)までの間に生まれた1920年代生まれが中心である。どの作家も戦前教育を受けたとはいえ、戦後の両性平等の日本国憲法発効後自立した世代であり、法律上はほとんど女性差別のない時代に画業をこなしている。しかし、実態は、どうか。毛利眞美(1926〜2022)は、堂本尚郎と結婚後、妊娠を機に「筆を折る」。榎本和子(1930〜)は、東野芳明と結婚後「一時制作から遠ざかる」。白髪富士子(1928〜2015)は、夫一雄が多忙になり、自身の「制作を断念」。これらは結婚や出産が女性の職業や創作といった自己実現の連続との両立の困難の一側面ではある。しかし、ここに登場する女性作家たちは、たとえ彼女らの活動を好意的に取り上げた美術評論家ら「戦前の父」と、その期待に応えた「戦後の娘」との世代、ある意味パターナリズム的な関係性の中であっても。

「アンチ・アクション」とは、戦後50年代を中心に美術界を席巻した「アクション・ペインティング」の動きへの応答である。「アクション・ペインティング」は、その描法時の激烈な動きや、奔放な画面との対峙という面で「男らしい」。そしてそれを評価する眼差しは、明らかに男性作家にだけ、それを求め、注目していた。同時に、日本で読売アンデパンダン展を中心に展開された「反芸術」のインスタレーションは、男性のセクシャリティを全面肯定するかにも見えた。「アクション・ペインティング」で言えば、ポロックのドリッピングが射精を想起させ、篠原有司男のボクシング・ペインティングは男性の活発性と暴力性を、「反芸術」の文脈では、工藤哲巳の《インポ哲学》なども工藤自身の批評精神も含めて、男根中心主義を見ることもできるだろう。

「アンチ」に生きた女性作家たちの、その挑戦の一つが多彩な素材探求・使用である。もちろん、アンフォルメルの時代、油彩やキャンバスだけにとらわれない画材、画法に挑んだ男性作家も多かった。しかし、数で言えば圧倒的に少数の女性作家が、これほどの多彩な挑戦は特筆ものである。多田美波(1924〜2014)のアルミ、草間彌生(1929〜)には何を使用しのかすぐには不明なミクストメディア作品、田中敦子(1932〜2005)と言えば、エナメルが登場する。そして、技法をあげれば、福島秀子(1927〜1997)は「捺す」があり、その多くの作家が挑んだマチエール、物質感の探究がある。

これら、女性作家の活動は、これまではいわば男性(中心)美術史のサイドメニューとしてだけ語られてきたのではなかったか。本展及び、本展企画の濫觴である中嶋泉『アンチ・アクション 日本戦後絵画と女性の作家』(増補改訂版 筑摩書房 2025)は、その偏った美術史観を解き解いて見せた。

冒頭、女性が「結婚」「改姓」によりその連続性が断たれることをあげた。染色で境地を開いた芥川(間所)沙織(1924〜1966)は、最初の夫が芥川也寸志、建築家の間所幸雄と再婚したが、その3年後に急逝している。元々の姓は山田。山田を生き、また、もっと長生きしていたら、さらなる創造が生まれたのではと勝手に想像する。

(「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」2025.3.25. 〜5.6.兵庫県立美術館)(表題は、芥川(間所)沙織《スフィンクス》1964)