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kenroが見た、行った、読んだもんをつらつら書き。美術展、映画、本、旅行など。

「歴史修正」とだけ聞くといい響きではない。ホロコーストや南京事件、さまざまな戦争犯罪の事実を否定しようとする文脈で、その否定派を指すときに「歴史修正主義(者)」と呼ぶことが多いからである。

『歴史修正ミュージアム』は、歴史への向き合い方、ナラティブ、展示方法などを改善、開かれたものを目指す「修正」を実践、試み続けている美術館の報告だ。著者のフィールドの関係で「西洋」の「先進国」の「大都市」に偏っているのは、ふらりと入る著者の癖のなす技である。だから面白い。なぜ「修正」が必要であるのか。

ヨーロッパの美術館には、自国の植民地支配とそれを無視してきた姿勢の背景にある歴史への直視がある。さらに日本よりはるかに移民の存在が大きいのに、それを公平、対等に遇してこなかった現実への気づきもある。だがそれは十分になされてきたか、なされているか。その逡巡こそが展示といった展示側のプロモートの醍醐味でもある。そこには挑発的と思えるのもあり得る。

英国から宗教的規範の相違で北米大陸に逃れてきた人たちが建国したアメリカ。しかし、そこには先住民がおり、世界中から移民を受け入れて成り立ってきたにも関わらず、黒人奴隷を酷使し、白人社会が当然との歴史も長かった。国家が描く国史像は意図的、歪曲的であることが十分あり得る。だから、独立の父トマス・ジェファーソンが黒人奴隷を多数抱え、その統制に恐怖や暴力を用いていたことも明かされる。フィラデルフィア美術館は建国の英雄らが植民と搾取の加害者であったことを明らかにする。

植民地主義の本元、英国ではイングランドに「植民」されたスコットランド自身が、その搾取構造を「どの口が言っているのか?」とばかりに展示にツッコミを入れる形で、観覧者に気づかせる。人種差別の歴史は帝国としてのイギリスが先んじて展開していたのだ。

被差別側には常に女性側もおり、LGBTQ➕など、性の多様性の文脈ではよりマイノリティへの差別構造も明らかになる。ロンドンのブラック・クィアをフィーチャーした展示や、「秘され」「隠され」「言及してはいけない」規範を男性社会から押し付けられた女性らの主体性を宣言する「ヴァギナ博物館」の存在など、先進国はその「先進」ゆえに歴史に色をつけない責任がある。

美術館、博物館という公共空間は、性・人種・階級などの区別なく全てに開かれている必要がある。人は生まれながらの差別者ではない、と言ったのは誰であったか。育ち方、育たれ方、環境により差別感情を学習していく。ならば、その色彩が厚く塗られていない段階で、公共空間の自由に触れる必要性は高い。ロンドンのヤング・ヴィクトリア&アルバート美術館には子どもらが、美術館を「作る」体験をすることで公共空間を自ら作り上げる空間となっている。公共空間を自ら作るとは、民主主義の責任を自ら学んでいくことでもある。

長く読んでもらうだけの力量には至らない。紙幅に限りがあるので、ノンフィクション作家の梯久美子さんが『通販生活』に連載していたものを整理、補筆した『戦争ミュージアム』も紹介しておきたい。戦争の歴史には評価の前に事実を記す、知る必要があるだろう。そしてその無謀さを生んだ政治と、前戦と銃後と。さすがに侵略の一文字もない靖国神社の「遊就館」のようなプロパガンダ施設は出てこない。各地に遺る戦争の足跡を日本でも十分感じることができる良書である。(小森真樹『歴史修正ミュージアム』太田出版 2025、『戦争ミュージアム −記憶の回路をつなぐ』岩波新書 2024)