従軍した兵士が帰還後PTSDを発症して苦しんでいることが認知されてきたのは、ベトナム戦争が契機であるという。ベトナム戦争終結から半世紀が経つのに、日本で戦争トラウマが公に語られるようになったのは最近のことである。きっかけは、2018年に黒井秋夫さん(1948年生まれ)が「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を設立したことである(2023年に「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」に改称。以下「市民の会」。)。黒井さんの父親は、暴力を振るう人ではなかったが、帰還後魂が抜けたかのような無気力な人生を送っていたという。黒井さんはそのような父親の姿に否定的であったが、2015年にピースボートに乗船し、そこでベトナム戦争に従軍し、帰還後にPTSDを発症したアレン・ネルソンさんのDVDを観たことで、父親の無気力の理由が理解できたことにある。父親から生気を奪ったのは戦争だったのだと。
防衛省が公表していないので、正確な数字は不明ともされるが、自衛隊のイラク派兵(03〜09年)後、在職中に自殺した隊員が29名、インド湾への給油活動(01〜05年)後、同じく25名と報道もあるが、01年以降毎年60〜80名程度の自殺者との報道もある。自殺の原因は多種多様で、個別的であるから海外派兵そのものの自殺との関連性を推測することは難しい。しかし、戦闘場面でなくとも極度の緊張を強いられる戦場経験が精神に何らかの影響を及ぼしたであろうことは想像に難くない。イラク派兵やインド湾給油活動では激しい戦闘場面を経験していなくともこの数値である。殺戮、暴力と飢餓を目の当たりにした日中・太平洋戦争に従軍した者の心を壊さずにいたはずがない。しかし、黒井さんらの運動によって、2025年になって厚労省が調査に言及するまで、何ら国としての対策が取られていなかったのである。
「市民の会」では、各地で証言集会を重ね、そこで家族に暴力を振るい、アルコールを手放せない父親を「早く死ねばいい」、亡くなって「ほっとした」との証言がなされる。そういった父親がなぜそうなったのか、子どもらは父親の軍歴を調べ、どのような作戦、戦闘を経験したのか調べて、その壮絶な従軍体験に想像を働かせていく。戦後80年、従軍経験のある人はもうほとんどいない。その子どもらも70、80代なのだ。時間は少ない。
ところで、黒井さんらの運動には帰還兵士のPTSDを研究してきた数少ない研究者の実績が寄与している。「第二次大戦連合軍元捕虜とその家族」のオーラルヒストリーを聞き書きしてきた中尾知代岡山大学教授によれば、日本軍に捕虜として酷い扱いを受けた元兵士らは、日本国として(そこには戦争時の最高責任者であった天皇も含まれる)「謝罪」を求める。「謝罪」は英語で普通に考えればapologyであるが、日本政府は元捕虜のみならず、各国の戦争被害者に決してapologizeしないという。Sorryだ。英語的価値観でapologizeしてしまうと天皇の戦争責任に及ぶと日本政府が考えているとしか思われない。(※1)また、戦争トラウマについては中村江里一橋大学講師の浩瀚な研究実績がある。(※2)
NHK朝ドラの名作「カーネーション」で、主人公小原糸子(尾野真千子)が、幼い頃からの付き合いである髪結の女将安岡玉枝(濱田マリ)が病に臥したので見舞いに来る。玉枝は、糸子と同い年で一度復員し、2度目の出征で戦死した息子の勘助(尾上寛之)を思い出す。勘助は復員した際、心を病んでいた。玉枝は「勘助はやられたんやない。やったほうなんや」と呟く。そう、勘助は日中戦争でおそらく大陸で強姦(やその後の殺戮)に関わったのだ。復員した勘助は初恋の人サエを見かけ、フラッシュバックし激しく動揺、自殺を企図していた。この場面を入れたことで、日本(人)にとって戦争とはなんであったのか、きちんと描いていたと思う。戦争PTSDの調査、追究は始まったばかりである。
※1 『戦争トラウマ記憶のオーラルヒストリー 第二次大戦連合軍元捕虜とその家族』2022 日本評論社。中尾氏は執筆時、岡山大学大学院准教授。なお、「天皇の戦争責任」部分は筆者の感想。
※2 『戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症』2018 吉川弘文館。なお、中村氏は現在、上智大学准教授。
『戦争トラウマを生きる』蟻塚亮二・黒井秋夫 2025 泉町書房
