「8月ジャーナリズム」ではないが、戦争関連、それも実話からの2点。
「木の上の軍隊」は、太平洋戦争末期、終戦を知らずに沖縄伊江島の大きなガジュマルの樹上に逃げ隠れて2年間生き延びた軍人2人を描く。飢えとのたたかいは、駐留した米軍のゴミ捨て場から食料を得ることで解消されるが、森に元日本軍兵士が隠れていることを地元の人は気づいていた。樹を降りて、ゴミ捨て場に地元村民に「戦争は終わったのか?」と訊く山下一雄少尉(堤真一)。村民は、米軍の残した缶詰の味が忘れたれずたびたびそこを訪れているらしい。「戦争は終わった(負けた)。でも、今の方がいい」。
山下と樹上暮らしを強いられた新兵・安慶名セイジュン(山田裕貴)は朴訥としていて、穏やかな青年。上官に引っ張られるように樹上生活を強いられたが、野生生物で食べられるものとそうでないものを分ける能力に優れている。でも親友の戦死を嘆き、家に「帰りたい」と泣き叫ぶ。痛苦のシーンである。
一方、ドキュメンタリーの「蟻の兵隊」は2005年の作品。1945年8月の敗戦時、中国の山西省にいた日本軍5万9000人の部隊は中国国民党軍に降伏した。しかし、国民党の将軍と取引をした日本軍司令官は日本兵約2600名を武装したまま、国民党軍に差し出す。彼らはおよそ3〜4年も共産党軍と戦うことになる。共産党軍に降伏後、6 年捕虜生活も経験した奥村和一が帰国できたのは1954年。しかし、国民党軍として戦った期間の軍歴が認められず、恩給などの対象になっていない。軍命で国民党軍に参加したのに、「勝手に合流した」とする日本政府相手に当時の仲間らと裁判を起こす。軍命の証拠を求めて、齢80にして中国を訪れた奥村は、日本軍の被害者であると考えていた自分が、中国の人にとって許され難い加害者である事実を突きつけられる。奥村自身初年兵の時、肝試しにと罪なき中国人を刺殺した経験もあった。裁判は実質審理に入らず、奥村らの敗訴で終わる。
「木の上」の山下一雄少尉は、ある意味、謹厳実直な模範兵士である。空港建設工事では、「サボっている」と見なした地元民を情け容赦なく殴打する。木を降りたい安慶名を「必ず援軍が来る。待て」と縛り付ける。山下の言動を「洗脳」の故と理解するのは容易いだろう。しかし、戦争期、多くの国民が「洗脳」されていた。し、進んで「洗脳」されていた。差別されていた、沖縄ではその「洗脳」さえも本土ほど十分な教育や施策がなされていなかった。ましてや、沖縄本島からも離れている伊江島である。軍事空港(建設中も含めて)のあった伊江島は米軍との激しい戦闘を経験し、沖縄全体で島民の4分の一が犠牲になったとされる中で島民の半数が犠牲になった。もちろんそのような戦闘・戦争は島民が望んだものでもない。皇軍が持ち込んだものだ。
山下少尉は「皇軍」の一員として、恥である虜囚になることを潔しとしないため、安慶名ら島民に軍への絶対服従を強い、また犠牲を増やした。同じく、奥村らは「軍命」であるから国民党軍に参加したのであって、そこに疑念を挟むことなど許されなかった。奥村ら部下を国民党軍に「売り渡した」現地司令官澄田らい四郎は国民党軍から戦犯指名を受けていたが、取引に応じ、また49年に日本に逃げ帰っている。
戦争とは理不尽そのものと言える実態がここでも明らかになっている。そして、その理不尽を最下辺で強いられたのが、皇軍に侵略された地の住民たちである。そして、日本の末端兵士、銃後の多くの日本国民が、当時は政府や軍に騙されたとの意識を持っている。だが、「「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。」(伊丹万作)
「木の上の軍隊」平一紘 脚本・監督 2025(本案は、実話に基づく井上ひさしの脚本メモによる)
「蟻の軍隊」池谷薫 監督 2005

