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ヨーロッパの片隅で

シリアスな話題から下ネタまで、ただ思いついたことを書いていきます。

今日は、がんばって、昼から行動した。


まず、入国管理局に行き、滞在許可の申請書をもらい、

保険会社に行き、滞在許可に必要な保険に入り

病院に行き,これも滞在許可に必要な胸のレントゲンを取り、

行きつけの大型電気屋屋に行き

最後に近くのスーパーで買い物をして帰ってきた。


今回は、結構自然にロシア語が出たのだが、なんとみんな英語で返された。


今まで英語で話しかけたら、英語ができないと言ってくるような年配のおばさんまで、片言の英語で返してくる。


前にも書いた。人の心理である。


日本人も外人に英語で話しかけられたら、分からないと言って、逃げるのに、相手が片言の日本語で話しかけてきたら、下手な英語で対応するというやつです。


今回のことで、こちらの英語通用度がかなり高いことが分かった。おばあさんの片言の英語でさえ、僕のロシア語のレベル以上かもしれない。参った。


ただ、保険会社のロシア系の若い女性だけは、ある程度英語ができるけど、あえてロシア語で対応してくれた。


ロシア系のいうのは名札の名前を見れば分かる。


いや、名前を見なくても、容姿で分かります。


北欧系より、ロシア系の方が、明らかにきれいです。


電気屋さんで、こないだ買ったスマートフォーンの値段を見たら、18000円ほどだった。キルギスでは、12000円ほどだったから、買っておいてよかった。


ちなみに、ネットで調べた日本での最安値は15000円でした。

今回の旅で利用した航空会社は、ウクライナ航空、バルチック航空、ウズベキスタン航空です。


今回は旅行会社を通さず、すべて、ネットや空港のカウンターで直接購入しました。


ウクライナ航空は、非常に安く買えました。コストパフォーマンスは最高でした。


しかも、食事もちゃんとついていましたし、あの値段では文句の言えないサービスだったと思います。


所得水準が低い中央アジア便だったから、あんなに安かったのか。


バルチック航空は、ヨーロッパの格安航空会社で、飛行機もきれいで、ちゃんとしていましたが、徹底してコスト削減をしているので、食事も別料金で飲み物もお金を払わないと全くでませんでした。


それでも、ウクライナ航空より割高だったから、ウクライナのすごさがわかります。


ウズベキスタン航空は、全くの通常料金で乗ったのですが、ビシュケクータシケント(東京ー大阪と同じぐらいの距離)が16000円ぐらいだったので、日本並みでしょうか。


今回はウクライナがよかったです。もちろん超安かったからよかったわけで、機内の薄汚さや出発の遅れなどがあったので、いい航空会社とはいえませんが。


今、今度、日本に帰国する時の便を考えているのですが、年末年始、帰国したいのですが、やっぱり結構高いですね。


今、ちょっと面白いなあと思って、考えているのが、エミレーツ航空、ドバイ経由です。つなぎは悪いのですが、ドバイで観光もいいかなあ。


でも、お金がない。



今回の旅では、最後の訪問地タシケントで初めて日本人旅行者に会いました。


それまでも、日本人旅行者がいるはずなのですが、どうも、僕はガイドブックとして、ロンリープラネットを使っていて、多くの日本人旅行者は、地球の歩き方などの日本のガイドブックを使っているので、行動パターンに接点が少なかったようです。


タシケントでは、一人で使えるダブルルームだと思っていた部屋が、実はシェアということで、もうひとつのベッドに日本人パッカーが入ってきたので、同室でじっくり話しました。


その宿にはなんと、僕が滞在中、日本人が4人も滞在していたことになります。そのあと、3人来たので、もっといたことになる。


タシケントは安宿が少ないのか、地球の歩き方に書いている宿とロンリープラネットに書いている宿が同じだったようです。


それで、その日本人パッカーですが、歳は30代後半といったところで、かなり年季の入った男性でした。


僕はこれまでに50カ国ぐらい旅行しているのですが、たぶん彼は、もっともっとしていると思います。


まじめな人で、国を全部制覇したいみたいです。あそこまでいくとしんどいですね。


彼の行った言葉で共感したこと


ロシアは、鉄道の切符売り場に最も接客業に適さない人を配置している。(これは、そのとおり。笑える)


ドルを下ろしたら、一ドル79円だったよ。(レートは77円台だったから、悪いという意味だが、実際は、今まで一ドル70円台で買えたことはないはずで、かなりうれしかったのだと思う。)


僕の語学学校に一週間行くという旅行スタイルは、上級パッカーも感心。彼もやりたいと言っていた。


タシケントは日本人が多かった。日本センターでも日本人と話をした。


彼の話を聴いて、僕も早く南米に行きたいと思った。

僕が中央アジア滞在で一番食べたのは、ラグマン。



ヨーロッパの片隅で-ラグマン

うどんみたいな麺の上にトマトベースの味付けで野菜や肉が乗っている。


いろんな店を比べるために、初めて入った店ではこれを注文していた。


庶民的で最も食べられている食べ物だと思う。おいしかった。


この写真はアルマティでトイレに行きたかったので、適当に入ったレストランだったが、付いてきたパンは、結局ここがいちばんおいしかった。カザフはパンがおいしい。


そのほか、マンティと発音する肉まん(中国語で包子)もよく食べた。


やはり中央アジアはもちろん宗主国だったロシアの影響が大きいのだが、中国の影響もかなりあるようだ。


特にキルギス、カザフではところどころで漢字表記の看板などを見た。


日本も頑張っているようで、カザフ、キルギス、ウズベキスタンで日本センターという大使館とは別に日本を紹介するために日本の本を置いている図書館などがあった。


アルマティとタシケントで日本センターに行って、ネットをした。


日本語を見れたが、日本語入力はできなかった。


でも、韓国の企業の進出のすごいと感じた。


サムソンやLGなど。


ビシュケクで僕もとうとうスマートフォーンを買った。


なんとサムソンのやつ。日本はケイタイでの海外進出に失敗した感がある。日本製のスマートフォーンはなかった。


それで、今スマートフォーンをいろいろいじって遊んでいる。


Wifiでネットにつながるのが大きい。


逆にネットにつながらないと、ほとんど役にたたない。


ビシュケクではサムソンのスマートフォーンは安かった。


僕が買ったのは、Galaxy miniというやつだが、ネットで調べた日本での最安値よりさらに3割安かった。


でも、ばかなことにこれを買うためにお金を下ろして、その余ったキルギスのお金が国外で他の通貨に両替できないと知って、がっかり。


その分を差し引くと、日本の最安値といっしょぐらいになる。


タシケントであった日本人バックパッカーがこれからキルギスに行くと言っていたので、超格安で両替しますと言ったが、なんか、いやそうだったので、それ以上、押さなかった。


まあ、今度また行くときまで、キルギスのお金は持っておこう。


そう、キルギスはまた行きたい国です。



前記事でも書いたように、僕のロシア語も今回の旅行でやっとレベル5になったわけですが、いくつか上達した理由があります。


今回、旅行した国は英語の通用度がかなり低かった。


特にカザフスタン、キルギスタンでは、ロシア語しか通じなかった。


ロシアは訪れた場所が、レニングラードとモスクワといった都会だから、若干英語が通じた。


ウズベキスタンは、パキスタン人のようなイングリッシュスピーカーも大勢訪れるせいか、片言の英語ができる人も結構いた。


当初の予定では、カザフ2週間、キルギス3日ほどと思っていたのだが、カザフのアルマティの空気が悪く(排気ガス充満)、結局


カザフ滞在を9日で切り上げキルギスのビシュケクに11日間いた。


ビシュケクで語学学校にいくことをアルマティにいくことをアルマティにいるときに思いつき、ビシュケクで1週間語学学校でロシア語を勉強した。


この授業はよかった。この授業でロシア語を話しまくれたから。


アルマティでは、公園のようなところで、”宿を貸します”。と言う人が大勢集まっているところがあり、安く部屋を借りられるということで、交渉して、3件ほど見に行った。


でも、僕の条件をみたすのがなくて、結局ホテルに滞在した。


ホテルでも一日1500円ほどで滞在できたので、500円という安価でも条件の悪い宿には泊まりたくなかった。


その交渉でかなりロシア語を駆使した。英語ができるという人が、現れたりしたが、僕のロシア語以下のレベルだった。


ビシュケクでは土曜について、語学学校の宿は週末は受け付けておらず泊まれなかったので、安宿に泊まった。


安宿で朝、宿の主人と結構話をした。



ヨーロッパの片隅で-ビシュケクの宿の主人

66歳の宿の主人。写真に写っている9年前になくなった若い奥さんのことや、ビールを路上で売るビジネスのことなどを話してくれた。


宿のことをしているのは、この人の娘さんたち、美人だった。


キルギスでも日本人のような人もいたが、この人のようにちょっと違う感じ。


カザフでは、僕は完全にカザフ人だった。


この人とロシア語で話し、ある程度コミュニケーションできたので、僕のロシア語もなかなかと自己満足した。


その後、語学学校でみっちりやったので、もう大丈夫?



留学先に帰ってきて、3日が経った。


結構、たるんでいる。


でも、夏休みの最後に試験をするらしい。そろそろ勉強もしないといけない。


また、今回の旅で習得したロシア語が学業に活きてくることを望む。


昨日は、ホテル、銀行、売店などで話をしたが、こっちの人は英語がうますぎ、ロシア語は必要ない。だから、ここにいてもロシア語が上達しない。


でも、たしかに銀行でも、私の対応をする前まで、銀行員は電話でロシア語で話をしていた。


ロシア語のスピーカーでもあるはずだ。でも、英語もぺらぺら。


まあ、ロシア語も英語も、こちらの現地語もルーツは同じ古代ギリシャ語なんだから、やればうまくなるのは当然だ。


僕ら、アジア語言語の人間がいくらヨーロッパ言語を勉強しても、やっぱりそんなにうまくならない。


でも。中国語は、この旅行でも上海からきたパッカーとモスクワの安宿で話込んたが、10年ぶりに話してもなんか通じる。


ところで、今回の旅行で僕のロシア語は一応レベル5まで、到達した。英語、北京語、広東語に次ぐ、レベル5到達言語だ。


ただ、まだまだあやふやなレベル5で、使わなければ、すぐに落ちる感じです。


でも、なんとか今回の旅行のロシア語の到達最低目標は、達成しました。


ロシア語を使っていきたいと思います


こちらのサイトの売り買いをする掲示板で、アパートを探そうと思っています。


アパートを出すのはたいていある程度の年配だから、英語ができず、ロシア語が通じる人が多いはずです。


今まで、何回か電話したが、通じなかったので、これから、 僕のロシア語を試すチャンスです。


明日にでも、電話してみます。





ケイタイで日本語打てるか確認





Android携帯からの投稿

今、朝食に行ってきた。


大食堂だったが、こんなに人が多いのは初めてだった。


やはり夏休みで、しかも土曜だからか。


旅の印象を大まかに


まず、セントペテルブルグ。


今すんでいるところは、アジア人がほとんどいないが、セントペテルブルグには、アジア人系の人がちょこちょこいた。


親近感がもてた。


モスクワもだが、地下鉄の深さがすごい。エスカレーターがすごい長い。


モスクワ。世界一物価が高いとどこかに書いていた。


確かに高い。ただ、日本とそんなにかわらない。


でも、ロシアの所得水準を考えれば、物価が高すぎるだろう。


モスクワになると、さらにアジア人が増えて、人種のるつぼ状態だった。


ウクライナのキエフ。キエフは、モスクワからアマルティに行く飛行機がウクライナ航空だったので、乗り継ぎ。


でも、8時間も待ち時間があったので、街に出て、観光してきました。


僕はキエフは2回目なのだが、20年前にソ連から独立後、半年ぐらいの時に行ったのですが、


その時、キエフの駅の暖房機のところの床で浮浪者のように寝て、一晩を明かしたのだが、その時は、そういう人がいっぱいで、全く目立たなかったので、そういうことができたのです。


でも、その駅もかなりきれいな駅に様変わりしてました。


もう駅で野宿している人はいないだろう。


アルマティ。思ったとおり、日本人そっくりな人がいっぱいいた。


僕の父親はおそらくカザフ人だと思う。


僕もカザフ人以上にカザフっぽかったようだ。外人とはまず思われない。


ただ、アマルティは排ガスで空気が悪く、長くいたくはない街だ。


ビシュケク。今回の旅行で一番のお気に入りの街。


語学学校で、ロシア語を勉強した。先生も美人ばっかり。


空気もアマルティよりは、だいぶましだった。あそこなら、長居してもいい。


人も穏やか。東アジア人的対応。


ただ、市場で、偽警官に職務質問され、もう少しでお金を取られそうになった。


僕は人の顔を見れば、その人の悪度、善度が分かるが、その偽警官たちは、悪だった。ただ、凶悪とまではいかなかった。


それから、空港に行くミニバスで、降りたあと、ドアを閉めたら、運転手が、何か怒鳴っていたので、


どうしたのだろう。”半ドア”なのかな。とか、思って、またドアを開けて、ドアを見て、


またドアを閉めたら。運転手が、さらに怒って、今にも殴りかかってくるぐらいの勢いで怒り出した。


それから、ドアはこう、そっと閉めるんだ。と閉め方の見本を示していた。


そのドアは半ドアどころか、ほとんど閉まってなかった。


そう。運転手が怒っていたのは、僕がドアをきつく閉めすぎるからだったんです。


日本なら、ふつうなのですが、こっとのミニバスは、ほとんど閉めないみたいです。ドアが壊れるからなのか。


それから、タシケント。


タシケントは確かに大都会。大きなビルも結構ある。


日本人も150人居住しているそうだ。旅行者にも結構あった。


安ホテルで、日本人パッカーと相部屋になり、久しぶりに日本人バックパッカーと話をした。


タシケントは大きいが、ただ、イスラム色が強い。


中央アジアというより、南アジアも入っている。パキスタンみたいな感じ。パキスタンのバスでかかっているような音楽がどこでもかかっていた。


人も、イスラム特有の、ずるい。ふてぶてしいなど、東アジア人とは違う。僕からしたら、うっとうしい人たちだった。


タシケントでは、そこら十に警官がいて、たとえば地下鉄に入るときも、いちいち荷物検査をされる。


そのせいか、男性は何も持っていない人が多かった。


帰り、タシケントの空港で、アラブ系の男性に大きなバックを、トイレに行くから見ておいてくれ”と言われたので、見張りをしていた。


でも、その男性は、トイレじゃなく、空港の建物から出て行ってしまった。


僕はまさか爆弾じゃないだろうかと、怖くなった。


爆弾だったら、一番そばにいる僕は、ひとたまりもない。


爆弾テロって、そうやって、他人に爆弾の入った荷物を見てもらって、やるのか!とかいろいろ考えた。


10分経っても、その人は戻って来なかった。


爆発するまで、何分なのだろう?とか考えていたが、15分ぐらいしたら、その人が戻ってきた。助かった。


今回の旅は旧ソ連の国々の旅ともいえる。


そして、今、この街、北欧とも言えなくもないが、ここも実は旧ソ連の国なんです。


ここは一見先進国だが、たぶん旧ソ連の国では一番の先進地域だが、やはりまだ先進国とはいえない。中心国だ。


人がだめだ。


今、ホテルのフロントに朝食のチケットを買いに言ったが、お釣りがなかった。お釣りがない。ホテルって、先進国とはいえない。



ネットのつながらないと苦情をいったら、なんて表示されたか、見て来いと言われた。そんなのそっちでもわかるじゃんと.思った。仕事を先延ばしにしたいのか。


独立して、もう20年だが、人の心の中まで変わるのはまだまだ時間がかかる。



先ほど、早朝、タシケントから、この留学先の北欧の街に帰ってきました。


タシケントは暑かったけど、朝、この町に降り立った時は、涼しいと通り越して、肌寒かったです。


Tシャツを3枚重ね着しました。


1ヶ月ちょっとの旅行。なかなかでした。いい意味でも悪い意味でも。


今、久しぶりに湯船に浸かりました。これからホテルの朝食に行ってきます。


それぞれの国についての感想はまたあとで書きます。


写真も少ないけど、いくらか写したのでアップしたいと思います。

I still in bishkek.
I will leave tomorrow.
I bought mobile with wifi.
I am writing this by mobile at supermarket.



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