今、朝食に行ってきた。
大食堂だったが、こんなに人が多いのは初めてだった。
やはり夏休みで、しかも土曜だからか。
旅の印象を大まかに
まず、セントペテルブルグ。
今すんでいるところは、アジア人がほとんどいないが、セントペテルブルグには、アジア人系の人がちょこちょこいた。
親近感がもてた。
モスクワもだが、地下鉄の深さがすごい。エスカレーターがすごい長い。
モスクワ。世界一物価が高いとどこかに書いていた。
確かに高い。ただ、日本とそんなにかわらない。
でも、ロシアの所得水準を考えれば、物価が高すぎるだろう。
モスクワになると、さらにアジア人が増えて、人種のるつぼ状態だった。
ウクライナのキエフ。キエフは、モスクワからアマルティに行く飛行機がウクライナ航空だったので、乗り継ぎ。
でも、8時間も待ち時間があったので、街に出て、観光してきました。
僕はキエフは2回目なのだが、20年前にソ連から独立後、半年ぐらいの時に行ったのですが、
その時、キエフの駅の暖房機のところの床で浮浪者のように寝て、一晩を明かしたのだが、その時は、そういう人がいっぱいで、全く目立たなかったので、そういうことができたのです。
でも、その駅もかなりきれいな駅に様変わりしてました。
もう駅で野宿している人はいないだろう。
アルマティ。思ったとおり、日本人そっくりな人がいっぱいいた。
僕の父親はおそらくカザフ人だと思う。
僕もカザフ人以上にカザフっぽかったようだ。外人とはまず思われない。
ただ、アマルティは排ガスで空気が悪く、長くいたくはない街だ。
ビシュケク。今回の旅行で一番のお気に入りの街。
語学学校で、ロシア語を勉強した。先生も美人ばっかり。
空気もアマルティよりは、だいぶましだった。あそこなら、長居してもいい。
人も穏やか。東アジア人的対応。
ただ、市場で、偽警官に職務質問され、もう少しでお金を取られそうになった。
僕は人の顔を見れば、その人の悪度、善度が分かるが、その偽警官たちは、悪だった。ただ、凶悪とまではいかなかった。
それから、空港に行くミニバスで、降りたあと、ドアを閉めたら、運転手が、何か怒鳴っていたので、
どうしたのだろう。”半ドア”なのかな。とか、思って、またドアを開けて、ドアを見て、
またドアを閉めたら。運転手が、さらに怒って、今にも殴りかかってくるぐらいの勢いで怒り出した。
それから、ドアはこう、そっと閉めるんだ。と閉め方の見本を示していた。
そのドアは半ドアどころか、ほとんど閉まってなかった。
そう。運転手が怒っていたのは、僕がドアをきつく閉めすぎるからだったんです。
日本なら、ふつうなのですが、こっとのミニバスは、ほとんど閉めないみたいです。ドアが壊れるからなのか。
それから、タシケント。
タシケントは確かに大都会。大きなビルも結構ある。
日本人も150人居住しているそうだ。旅行者にも結構あった。
安ホテルで、日本人パッカーと相部屋になり、久しぶりに日本人バックパッカーと話をした。
タシケントは大きいが、ただ、イスラム色が強い。
中央アジアというより、南アジアも入っている。パキスタンみたいな感じ。パキスタンのバスでかかっているような音楽がどこでもかかっていた。
人も、イスラム特有の、ずるい。ふてぶてしいなど、東アジア人とは違う。僕からしたら、うっとうしい人たちだった。
タシケントでは、そこら十に警官がいて、たとえば地下鉄に入るときも、いちいち荷物検査をされる。
そのせいか、男性は何も持っていない人が多かった。
帰り、タシケントの空港で、アラブ系の男性に大きなバックを、トイレに行くから見ておいてくれ”と言われたので、見張りをしていた。
でも、その男性は、トイレじゃなく、空港の建物から出て行ってしまった。
僕はまさか爆弾じゃないだろうかと、怖くなった。
爆弾だったら、一番そばにいる僕は、ひとたまりもない。
爆弾テロって、そうやって、他人に爆弾の入った荷物を見てもらって、やるのか!とかいろいろ考えた。
10分経っても、その人は戻って来なかった。
爆発するまで、何分なのだろう?とか考えていたが、15分ぐらいしたら、その人が戻ってきた。助かった。
今回の旅は旧ソ連の国々の旅ともいえる。
そして、今、この街、北欧とも言えなくもないが、ここも実は旧ソ連の国なんです。
ここは一見先進国だが、たぶん旧ソ連の国では一番の先進地域だが、やはりまだ先進国とはいえない。中心国だ。
人がだめだ。
今、ホテルのフロントに朝食のチケットを買いに言ったが、お釣りがなかった。お釣りがない。ホテルって、先進国とはいえない。
ネットのつながらないと苦情をいったら、なんて表示されたか、見て来いと言われた。そんなのそっちでもわかるじゃんと.思った。仕事を先延ばしにしたいのか。
独立して、もう20年だが、人の心の中まで変わるのはまだまだ時間がかかる。