今日バス停でバスを待っていたら、タバコの火を貸してくれって、青年が言ってきた。僕はライターを持っていなかったので、首を横に振ったのだが、その他、3人ぐらいにも頼んでいたが、首を横に振られていた。最後にはなんとかライターを貸してもらったようだった。
最近はヨーロッパではタバコを吸う人が減ってきたので、タバコの火を借りるのも大変だなああ。
いや、そういう話をしたいのではない。そもそも彼はなんで自分のライターを持っていないのだろう? 偶然にしては、そういう人が多すぎる(結構頻繁にタバコの火を貸してくれって言われる)
それに、日本人的感覚だったら、もしライターを持ってくるのを忘れても、そんなに簡単に見も知らない人に火を貸してくれって頼まないだろう。ライターぐらいそのへんの売店で買うだろう。こっちだって、ライターぐらいどこでも買える。
ここでは、タバコの火を借りるぐらいだけど、南の方に行くほど、ひどくなってくる。フランスの南の方では、タバコの火ではなくて、タバコをくれってよく言われた。駅とかで見ず知らずの人にですよ。日本人的感覚ではありえないですね。
僕はタバコは吸わないので「持ってない」ですみましたが、持ってても、横に売店があるんだから、「あそこで買えるよ」って言ってやりたかった。
もっと南、ポルトガルなんかでは、ペットボトルの水やジュースをくれって、よく言われた。僕は大きなペットボトルの飲み物を手に持っていることが多かったので。
そして、彼らは、水をあげると口をつけないで上手に飲む。
最初は僕も、「ノーと言えない日本人」だったので、そういう風に、飲み物をあげていたのだけど、もっと南、モロッコとかに行くと、それがもう、100mおきぐらいに水をくれって頼まれるので、最後には「ノーと言える日本人」なってました。そうしないともう、鬱陶しいです。
こういう習慣に対して違和感はあるが、僕はそういう習慣をいけないと思っているわけではない。相互扶助の精神なのだろうか? コミュニケーションの手段なのだろうか?