性善説と性悪説 | ヨーロッパの片隅で

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人は基本的に悪である(性悪説)と考えないといけないのか?悲しい、情けないことであるが、現段階では今の世の中、性悪説が適用される場合の方が性善説が適用される場合より多いだろう。


どこかで読んだが、「人の行動を律するのは、恐怖と報酬のみである」と言った偉人がいるらしい。まさしくこれは、性悪説だけど、まあ人にもよると思うけど、これが当てはまる場合が多いと思う。


核兵器によって戦争を抑止する。これは、まさしく性悪説に則った考えだけど、恐怖で戦争を抑止しているわけだけど、悲しい。人はこんなことでないと戦争をやめられないのか。我々はまだ原始人だ。早くもっと進化することを望む。


アフリカにいた時、かなり大勢の人が泥棒予備軍だと感じた。見つからなければ、盗んでもいいと考えている人(実際は何も考えてないと思うけど)が多かった。これはまさしく性悪説だけど、これが動物の本能だと思う。


トラが獲った獲物がそこにあったとする。ハイエナはそれがほしいけど、トラがそこにいるから取れない。トラがどこかに行けばいただく、それが動物の本能だろう。トラがいるときは獲らないのは恐怖がその行動を律しているからである。


上の住人、最近、静かになった。なぜか?僕が攻撃(上の住人が寝ている時を見計らって大音量で音楽を聞く)を始めたから。たぶん、うるさくしたら、それをされると思うから静かにしているのだろう。これはまさしく、恐怖が上の住人の行動を律しているわけだ。上の住人には性悪説が適用されるわけだ。悲しい。


自分はそんな立派な人間だとは思わないが、少なくても自分の中に良識を持ち、見つかったら罰せられるから悪いことをするのではなく、見つかっても見つからなくても、それが悪いことだからしないという人間でありたい。性善説が適用される人間でありたい。