摂津国一宮、全国2300余りの住吉神社の総本宮、住吉大社、通称「住吉っさん」に行ってきました!!

 

  住吉大社

写真左、特別なイベントはなくとも露店が出ているのが流石、住吉大社。

写真右の神橋は、住吉大社の象徴として名高い「反橋」。「太鼓橋」とも呼ばれています。

 

五体力石守

 敷き詰められた玉砂利の中から、「五」、「体」、「力」と墨書きされた小石を探し、お守りにすると「寿命力」、「福力」、「体力」、「智力」、「財力」の5つの運力が授けられるとされています。ご利益、ご利益!!

石を入れる専用のお守り袋は、社務所で購入できます。

 

大歳社の「おもかる石」

住吉大社から、少しだけ歩いた場所にある大歳社の境内には「おもかる石」と言われる石があります。

二礼二拍手一礼の後、「石を持ち上げ、石に手を当て祈り、もう一度石持ち上げ、お祈り前より、軽く感じれば祈りはかない、重ければ好転に向けて努力すべし」という趣旨の説明が書かれていました。

私はもちろん、石が軽くなりましたよ😁

 

御朱印

 時節柄、御朱印帳に直接、書いていただくのではなく、書き置きで頂き、後で自分で御朱印帳に貼るスタイルでした。

 

ご由緒にまつわる神話の世界

 伊弉諾命(いざなぎのみこと)が、亡くなった伊奘冉命(いざなみのみこと)を追い求め、黄泉(よみ)の国に向かい、

 

「まだ国作りは完成していない。一緒に戻ろう」

 

と問いかけました。

 

伊奘冉(いざなみ)が

 

「黄泉の国の神々に、戻って良いか聞いてみるから、

 外で待っててね」

 

と言ったのに、伊弉諾(いざなぎ)は待ちきれず、黄泉の国に入ってしまいました。

 

 死んで腐敗した醜い姿を見られた伊奘冉(いざなみ)は、

 

「恥をかかせやがって!」

 

と怒り伊弉諾(いざなぎ)を追いかけます。必死に逃げた伊弉諾(いざなぎ)は、黄泉の国とこの世との境まで逃げ大岩で塞ぎ、

 

「お前はもう、戻るべきではない」

 

と絶縁しました。

 

 伊弉諾(いざなぎ)は、黄泉の国の穢(けが)れを祓(はら)ったときに様々な神を生まれました。その中で、海で身を清めた際、海の底で「底筒之男神」、海の中程で「中筒之男神」、表面で「上筒之男神」が生まれ、その三神が住吉三神として、この住吉大社に祀られています。

 

 さらに、先の記事で紹介した「坐摩(いかすり)神社」のご由緒にも登場した、14代天皇の仲哀天皇の皇后、神功(じんぐう)皇后は、新羅遠征時、住吉大社の加護を得て、強大な新羅を平定して帰還され、凱旋の途中で神託によってこの場所で鎮斎(神おろし)され、後に先の三神と共に祀られたとのことです。

 

 なので住吉大社には、それぞれの御祭神が祀られた第一本宮から第四本宮があります。

 

遣唐使発祥の地

 住吉大社は、ご祀神である神功皇后が加護を受け、新羅遠征から帰還されたとされていることもあり、遣唐使たちが航海の無事を祈願した場所。遣唐使船には住吉大社が祀られたようです。

 この時代には、この辺まで海が広がっており、港に近かったようです。

 

神話に世界は興味深いですね〜。

 

天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月夜見命(つくよみのみこと)、素戔嗚命(すさのおのみこと)が生まれた経緯も、『古事記』と『日本書記』では異なっており、素戔嗚、出雲と大和の関係を含めて興味深いです。

 

【過去の参拝記事】

 

 

 

 

 

以下の記事は、全ての内視鏡医の先生、逆流性食道炎の経験者の方にお読み頂きたいとの思いで書いたものです。是非、ご一読ください!!

 

 

最後まで、お読みいただき、ありがとうございました!!

 

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