伊勢神宮、出雲大社を含めて、神社参拝には割と縁があった方ですが、ここ数年、何かに突き動かされるように神社参拝、御朱印集めをし始めていました。

 

そこに思いがけず、食道がんの告知、治療が始まり、教えて頂いたのが今回紹介するこちらの神社。

 

  石切神社

 関西では「石切さん」と呼ばれ、そのご利益は広く知られています。

 

「でんぼ(腫れ物)の神様」と知られ、「癌封じ」のご利益があると広まり、お百度参りは有名ですとのこと。

 

私も術前に参拝、御祈祷、お百度参りでお伺いし、術後にはお礼参りにも行かせて頂きました。

 

でも驚いたのは、術前に「息子の手術前に、直接、顔を見て励ましたい」と北海道から大阪に訪れた80を過ぎた両親が、この石切さんの存在を知り、「そんな神社があるのなら、自分たちも参拝に行きたい!」と言い出し、最近、足を痛めて、散歩もままならない父親までもが私のために、お百度参りをしてくれたこと。


当たり前ながら、両親の息子を思う気持ちに触れ、「順番を違えてはいけない」と寛解への思いを強くしました。

 

御祭神

 饒速日尊(にぎはやひのみこと)

 可美真手命(うましまでのみこと)

 

神話からのご由緒

 神々の住む高天原で、天照大御神から、大和の建国を命じられた孫の饒速日尊(にぎはやひのみこと)は、天磐船(あまのいわふね)に乗り込み船団を組んで船出。

 

 大分・豊前の宇佐で息子の天香山命(あめのかぐやまのみこと)に「フツノミタマの剣」を授け、船団の半分を預け、自らは大和へ向かいました。登美の里と呼ばれたこの地の長・長髄彦(ながすねひこ)は、饒速日尊に従い、長髄彦の妹の登美夜毘売(とみやびめ)と結婚し、可美真手命(うましまでのみこと)をもうけます。

 

 そこに宮崎・日向の高千穂から東へ進行していた神武天皇は、大和へ進行しましたが、長髄彦の軍勢を前に退却を余儀なくされます。その時、神武天皇の兄、五瀬命(いつせのみこと)は、「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東を向いて)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西を向いて)戦おう」と話し、和歌山・熊野へ移動して日を背にして大和に入ることにします。

 

 しかし、神武軍勢は、熊野の地で、熊野の女王の軍から毒矢を放たれ全滅の危機に瀕します。そこに現れたのが、宇佐で饒速日尊から「フツノミタマの剣」を授かった高倉下命(たかくらじのみこと)と名を変えた天香山命。

 高倉下命が「フツノミタマの剣」を神武天皇に献上すると、熊野の軍勢は倒れ、神武軍勢は息を吹き返し、大和へ進行します。

 

 大和で迎え打った長髄彦は、「我らの主君こそ日の命だ!神武は偽物だ!」と言い、可美真手命が証の品を差し出すと神武側も同じものを提示し、「なんだお互い天照大御神の子孫ではないか!」と長髄彦をさとし、自らも天皇への忠誠を誓い、大和統一が成し遂げられました(いわゆる神武東征)。

 

 可美真手命は、神武天皇が即位した翌年、出雲地方に向かうのですが、生まれ育った宮山に饒速日尊をお祀りしたのが石切劔箭神社の発祥と言われているそうです。

 

【関連記事】

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御朱印

 

各神社のご由緒、日本神話は非常に面白いですね!!

 

これを機会に、参拝記録とご由緒を神話と関連づけながらまとめていくシリーズも始めたいと思います。

 

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