日露戦争後の極東アジアを象徴する絵葉書2枚 | ケネディスタンプクラブ日記

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日露戦争終結の翌年、明治39年(1906年)9月12日に、英国支那海艦隊(中国艦隊)が朝鮮に来航しました。
この絵葉書は、それを記念して発行されたものです。

 


日露戦争は日英同盟を締結下で行われ、日本はインドにおけるイギリスの、イギリスは朝鮮における日本の優越権を認めていました。
日本がロシアに勝利した後に、日本の植民地である韓国の京城(今のソウル)に英国艦隊のムーア司令長官が訪れたというのは、
戦後の互いの支配権の確認といった意味もあったと思います。
明治39年(1906年)2月1日より京城(ソウル)には統監府がおかれ、初代統監に伊藤博文が就いていました。
その状況下で英国艦隊とムーア司令長官が京城(ソウル)に入ったわけです。
この会見では、ロシアを撃退した後の東アジアについて、これからの時代の調整が入ったはずです。

この絵葉書には右側にムーア司令長官の写真と、日本、イギリス、韓国の国旗が描かれています。
下部には「英国支那海艦隊歓迎紀念」「牧乙巳商行発行」の文字があります。
左側には5厘の菊切手が貼られています。
そこに捺された記念印には
「英国支那海艦隊歓迎紀念 明治三十九年九月十二日 統監府 京城」と
「12.SEP.06」(1906年9月12日)
「IN COMMEMORATION OF THE RECEPTION TO THE BRITISH CHINA SQUADRON」(英国中国艦隊へのレセプション記念)
「H.I.J.M.'S RESIDENCY GENERAL, SEOUL.」(ソウルの大英帝国駐在総領事館にて)
の文字が記載されています。

 

またもう1枚はその翌年の絵葉書です。

明治40年(1907年)10月24日に、当時の皇太子殿下だった大正天皇が東郷元帥とともに戦艦香取で佐世保に入りました。
この絵葉書は、それを記念して発行されたものです。

 

 


絵葉書右側には東宮殿下(後の大正天皇)、左側には東郷元帥、中央には御召艦香取の写真があります。
香取の周囲にはエンボス加工で「東宮殿下」「行啓記念」の文字があります。
左下には菊切手1銭5厘が貼られ、記念印が捺されています。
記念印には「皇太子殿下行啓記念 佐世保」「40-10-24」「VISIT OF H.I.H. THE CROWN PRINCE.」(皇太子殿下御訪問)の文字があります。

この年はハーグ密使事件があり、韓国皇帝高宗が譲位、純宗が即位しました。
その後日韓親善のため韓国皇太子「李垠」が日本に留学。日本の皇太子(大正天皇)が大韓帝国を訪問するように伊藤博文が動いて実現しました。

皇太子(大正天皇)は御召艦香取で韓国へ向かい、10月16日に仁川に上陸、10月17日から19日まで漢城に滞在し10月20日に漢城を出発。
佐世保に到着したのはその後になります。

伊藤博文暗殺はこの2年後です。

この2枚は、歴史を切り取った絵葉書であると言っていいと思います。