「宮古島島民遭難事件」の絵葉書 | ケネディスタンプクラブ日記

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日清戦争終結後、明治28年(1895年)4月17日に調印された下関条約に基づき台湾は清から割譲されました。
その後、台湾総督府は明治28年(1895年)6月17日始政式を行い業務開始します。
以後、毎年6月17日は台湾始政記念日となりました。
この絵葉書は「台湾総督府始政第13回記念絵葉書」として、13回目の始政記念日である明治41年6月17日に発行され、記念印が捺されています。
記念印には「台湾総督府始政第十三回記念 斗六 41-6-17 」とあります。
斗六は台湾中西部、現在の雲林県斗六市になります。


絵葉書の1枚は「西郷都督幕僚及蕃人」、もう1枚は「琉球藩民五十四名墓碑裏面」
1871年(明治4年)10月、台湾に漂着した宮古島島民54人が殺害される事件(宮古島島民遭難事件)が発生しました。
これに対し清国は「台湾は化外の地、台湾人は化外の民」として清国の統治の外にあると日本に通達します。
これにより明治政府は1874年(明治7年)台湾出兵を行いました。
明治維新後の日本としては初の海外派兵です。
陸軍中将西郷従道が台湾蕃地事務都督として出兵し、彼の幕僚と現地民の住民とで撮影した写真が「西郷都督幕僚及蕃人」、殺害された犠牲者の慰霊碑が「琉球藩民五十四名墓碑裏面」です。