ある明治時代の日本女性とその息子 | ケネディスタンプクラブ日記

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明治の時代、ある料亭で働いていた女性がいました。生まれは現在の新宿区牛込。名前を「青山みつ(光子)」といいました。

この人が明治25年(1892年)、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の駐日大使だったハインリヒ・クーデンホフ伯爵に見初められ、やがて結婚します。

今では国際結婚は珍しくもありませんが、当時はかなり周囲の反対があったようです。

 

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クーデンホフ伯爵の領地はボヘミアとハンガリーにまたがる広大なもので、しかも周囲は親戚一同敵だらけ。そんなところに日本人女性の光子がポツンと置かれた疎外感はちょっと想像できません。

 

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日露戦争に日本が勝利し、日本の国際的地位が高めると、光子への偏見は薄らぎましたが、しかし庇護者である夫ハインリヒ・クーデンホフ伯爵が日露戦争終結の翌年1906年に急死してしまいます。

 

この後の1914年に勃発する第1次世界大戦では、日本とオーストリア=ハンガリー帝国は敵同士となってしまいます。大変な状況だったはずです。

この後、光子の次男リヒャルト・クーデンホフは、舞台女優イダ・ローランと結婚します。光子が大反対したため駆け落ち同様だったらしいです。

 

このリヒャルトは、妻イダの援助の基、「汎ヨーロッパ社」を設立し、政治活動を開始します。

彼の国際情勢分析は、世界は南北アメリカ、東アジア、イギリス連邦、ソビエト連邦の5つの地域ブロックを形成し、最終的に世界連邦が完成するというものでした。

 

リヒャルト・クーデンホフ、正式名リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー、彼の構想はEU成立の母体となり、彼の提案通りにEUのシンボルはベートーヴェンの「歓喜の歌」になりました。

 

ベートーヴェン没後150年 切手小型シート ドミニカ国発行 | 切手,中南米 | 趣味の中古切手や紙幣・硬貨の販売と買い取り|ケネディ・スタンプ・クラブ (kennedystamp.jp)

 

EU成立の影に明治時代の日本人の影響があった。この事実は日本人として記憶に残しておくべきかと思います。