神戸のユダヤ人難民 | ケネディスタンプクラブ日記

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 前回、欧州からユダヤ人をナチスから守った5人の外交官の話を書きました。
 その中の1人、日本人の杉原千畝が発給したビザで、大量のユダヤ人がシベリア鉄道を渡って満洲や上海、そして日本に逃れてきました。

 ナチスドイツと同盟を結んだ日本ですが、ユダヤ人に対しては政策が異なります。
 マンガでも「ゴルゴ13」(さいとうたかを)第49巻「河豚の季節(とき)」や「虹色のトロツキー」(安彦良和)などで、大戦中の軍部とユダヤ人の関わりが描かれています。
 軍部はユダヤ人受け入れを国策として利用できると判断した部分もあるのでしょうが、一般の日本人からしても、元々神様が八百万(やおよろず)もいる国柄ですから、ヨーロッパにあったようなユダヤ人差別(宗教対立)もあるはずもなかったのかもしれません。興味ある方は是非調べてみて下さい。

 さて、幕末に開港し外国人居留地もある神戸市には、杉原千畝が発給したビザを握りしめたユダヤ人が数多くやってきました。その数は4千人とも言われます。

 神戸に現れたユダヤ人難民の集団、その様子を安井伸治氏(大戦中の1942年に病没)を中心とする当時のアマチュアカメラマングループが1941年に撮影していました。後に「流氓ユダヤ」シリーズとして世に出る写真です。
 この時、安井氏のグループに手塚粲(ゆたか)という人物がいました。彼は12歳の息子と一緒に神戸のユダヤ人難民を撮影しています。

 この少年が、大戦の空襲も生き延びて成長し、手塚治虫となるのです。
 神戸市在住のユダヤ人難民、パン屋のアドルフたちが主軸になる手塚治虫の傑作「アドルフに告ぐ」は、少年期の手塚治虫自身が見てきた事実がベースとなっているのです

 

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