[源氏物語関連地] 比叡山横川エリア (第54帖・夢浮橋より) | コンデジ片手に出かけよう

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源氏物語・宇治十帖の「第53帖・手習」「第54帖・夢浮橋」に出てくる横川。横川の僧都が仏教修行のために籠っていたのが恵心院です。ここで出てくる横川の僧都は、日本浄土教の祖ともいわれる「恵心僧都・源信」をモデルにしているといわれますね。
※Top写真は、比叡山横川の恵心院


比叡山というと密教天台宗の本拠地。そして、天台宗というと悟りを開くのに修業が大変というイメージが強いです。そんな中で「恵心僧都・源信」は往生要集という浄土念仏に関する百六十余部九百五十余文にも及ぶ経論の要文を典拠として引用しつつ、自らの念仏往生の思想とその実践方法を見事にまとめ上げました。



”南無阿弥陀仏と念仏三昧をすることで阿弥陀如来の本願で浄土に導かれる”ということを唱えた「恵心僧都・源信」の考えは、当時(平安時代)の貴族たちに支持され、藤原道長が帰依します。



985年(寛和元年)に「恵心僧都・源信」は44歳で比叡山浄土教大成の書『往生要集(おうじょうようしゅう)』三巻を完成しています。そして986年(寛和二年)には、花山法皇など二十五名が『往生要集』に示された浄土念仏の思想を実践する念仏結社「二十五三昧会」が組織されました。その後は、浄土念仏の思想が広がっていき、現代は様々な浄土思想宗派がありますね。

 

 

「恵心僧都・源信」ですが、1017年(寛仁元年)六月十日に、二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)の臨終作法により阿弥陀如来の手から延ばした糸を自らの手に執り、弥陀の相好「面善円浄(めんぜんえんじょう)」の文を誦えつつ入滅されました。そして藤原道長も同じように、阿弥陀如来から糸を伸ばし、それを持ったまま往生したといわれます。