[源氏物語] ゆかりの地説明板No.26 西鴻臚館 | コンデジ片手に出かけよう

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源氏物語ゆかりの地説明板No.26・西鴻臚館はJR嵯峨野線「梅小路京都西駅」の近く、ホテルエミオン京都の前に設置されています。この説明板ですが2008年の源氏物語1000年紀の際に一度設置されていたものが、ホテル建設に伴い一時撤去され、2023年12月に一部記載内容を変更されて再設置されたものになります。


<参考:以前(2008年)に設置されていた説明板>
設置当時の名称は「西鴻臚館跡」だったんですね。



平安京における鴻臚館は、羅城門北側に朱雀大路をはさんで左右に東西鴻臚館が建てられたが,弘仁年間(810~24),東西市の設置に伴い七条北のこの付近に移転されました。西鴻臚館跡は推定地としては京都市中央卸売市場第一市場あたりになり、京都市が設置した「源氏物語ゆかりの地案内板(No.26)』があります。
※現在の説明板では、東西鴻臚館の位置関係がわかりませんので、2008年設置の説明板にあった地図をアップしておきます。
※東鴻臚館阯碑は、江戸時代に島原と呼ばれるかつて賑わった花街あたりに設置されています。



平安京の鴻臚館はおもに渤海使を迎賓。渤海国は現在のロシア極東地域にあった国で、日本海を通る北路にて来訪。登客院(石川県羽咋郡志賀町?)や松原客館(福井県敦賀市)に滞在して都からの使者を迎え、使者に伴われて都に上り、鴻臚館に入ったとされています。


しかし、日本側では824年に右大臣藤原緒嗣により「渤海使は国賓ではなく貿易商人である」と判断されて、以降12年に一度とされました。また、渤海国が契丹(東丹国、遼)によって滅亡(926年)させられたのちは当然だが渤海使の来朝は無くなり。施設は衰え、鎌倉時代の頃に消失しました。






<参考情報>
源氏物語第1帖・桐壺で光源氏が来日した高麗人(韓国人)の人相見に占いをしてもらうシーンで出てきます。
そこでの占いなどは原文では次のように書かれています。
◎「国の親となりて、帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。朝廷の重鎮となりて、天の下を輔くる方にて見れば、またその相違ふべし」と言ふ。 
◎「光る君といふ名は、高麗人のめできこえてつけたてまつりける」とぞ、言ひ伝へたるとなむ。