[光る君へ] 『第12回・思いの果て』のあらすじ他 | コンデジ片手に出かけよう

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私の旅の思い出を紹介します。

<あらすじ:NHKサイトでの概略紹介> 
道長(柄本佑)の妾になることを断ったまひろ(吉高由里子)。為時(岸谷五朗)が官職に復帰する目途もなく、生計を立てるためにまひろの婿を探すことを宣孝(佐々木蔵之介)が提案する。その頃、まひろと決別した道長(柄本佑)はかねてから持ち上がっていた倫子(黒木華)との縁談を進めるよう兼家(段田安則)に話す。一方、姉の詮子(吉田羊)は、藤原家との因縁が深い明子(瀧内公美)と道長の縁談を進めようと図るが…


<光る君へ紀行紹介地>
庚申信仰と関係深い「八坂庚申堂」が紹介されました。


まひろたちが夜通し眠らずに過ごした、庚申(こうしん)の夜。「庚申」とは、十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)を組み合わせた60種類で構成される“干支(えと)”のひとつ、庚(かのえ)・申(さる)を意味します。
平安時代の貴族たちの日記にも、庚申の夜についての記述が残されています。
貴族たちは、この夜は外出をすることなく、ふだんよりも慎み深く過ごしながら、朝が来るのを待ったといいます。


京都市東山にある、八坂庚申堂。
ここには、庚申の日を特別な日と捉える風習が残っています。
現在も、60日に一度めぐってくる庚申の日には、本堂で護摩焚(ごまだ)きや、無病息災を願うこんにゃく焚(だ)きが行われています。庚申の夜の風習は、その後、武士たちの間で広まり、江戸時代には民衆にまで広がっていったと伝えられています。



<気になるキーワード>
◎さわ(まひろの友人)との出会い
さわはまひろ(紫式部)の友人。父の藤原為時が世話をする女性の、以前の結婚で生まれた娘。愛情に飢えた、一風変わった娘で、まひろを慕い親しくなる。やがて父親の九州赴任についていくことになります。


『さわ』はドラマオリジナル人物ですが、紫式部の人生を考えると2名の人物のMixとも考えられます。
①紫式部の姉:紫式部集にもありますが、姉がいましたがドラマに出ていない
②姉のように慕う友人:姉を亡くした紫式部と、妹を亡くしたある女性とが親しくなり、お互いに「あね」「いもうと」と呼び合う関係となったが、自身は越前国へ、女性も父に従って筑紫の肥前国へ赴き、その女性は現地で亡くなり再び会うことがかなわなかったことが記されています。

※さわという女性ですが、紫式部にとって大事な人物の一人ですので、いつか特集時期を作ります。

◎赤痢にかかった藤原実資
藤原宣孝は、まひろに藤原実資との結婚を勧めますが実資自身は赤痢にかかってしまいます。「さわ」の母親もそうでしたが、平安京では死に至る疫病がはやり始めていたんですね。

◎源倫子への婿入りを望む藤原道長
源倫子の父・源雅信と藤原道長の父・藤原兼家とはいわば政敵(ライバル)。そんな家庭に婿入りを勧めていた兼家に対し道長は婿入りを承諾しましたね。

◎まひろに対する源倫子の行動
源倫子の和歌サロンで、まひろが貴族の娘らしからぬ行動をしていると言ったときに、倫子は板の目を見るなどまひろをかばうような行動に出ましたね。倫子はまひろに親愛の情を示していますが・・・それだけではなさそうです。

◎庚申信仰
ネットの情報というのはありがたいもので、源氏物語第50帖・東屋(あずまや)で「庚申」という言葉が出てくるのを知りました。場面としてはこんな感じです。
『腰折れたる歌合せ、物語、庚申をし、まばゆく見苦しく、遊びがちに好める』
このシーンでのメインは、源氏物語宇治十帖のヒロイン・浮舟。左近少将と浮舟は結婚しそうだったのですが、左近少将が、浮舟は常陸介の継子だと知り破談になっています。



<注目したポイント>
◎藤原道長との縁談に関する「藤原詮子」と「源明子」の思惑

「兼家の髪の毛1本でもあれば呪詛できます」
「私の心とからだなぞ、どうなってもいいのです」
「必ずや、兼家の命を奪い、父上の無念を晴らします」
そんな風に源氏物語での六条御息所を連想させる発言をしていた「源明子」
まあ、969年(安和2年)に起きた藤原氏による他氏排斥事件・安和の変で父・源高明が失脚させられていますからね。

実は第12回の予告を見て、高松殿などの場所を見てきました。平安時代の地図を見るとなかなか面白い
・高松殿 :源明子の実家
・東三条院:藤原詮子の実家
・堀川院 :円融天皇の里内裏


 

光る君へでは描かれていませんが、藤原兼家と円融天皇との間には確執があり、内裏が焼失した際に円融天皇は藤原兼家の世話になることを拒んでいます。そして藤原兼家と円融天皇の確執の被害を被ったのが藤原詮子という構図です。そのため、詮子は父・兼家を恨んでいたんですね。

 

 

安和の変で源高明の家は没落していきますし、隣の邸宅を見ると藤原兼家の屋敷ですから、源明子の怒りも納得できそうです。


「藤原詮子」と「源明子」の思惑は打倒・藤原兼家で一致しているのですが、この縁談は貴族の摂関政治に大きな影響を与えます。

あと「堀川院」「東三条院」「高松殿」は別記事で紹介します。